ことばと学びと学校図書館etc.をめぐる足立正治の気まぐれなブログ

社会を正気に保つ学びとは? powered by masaharu's own brand of life style!

文字・活字文化振興法案をめぐる補足

2005年07月21日 | メディア

(この記事が参考になると思われた方は人気blogランキングにアクセスしてください。)

文字・活字文化振興法案をめぐっては、図書館の充実など読書環境の整備や読書活動の推進、読解力の育成、出版業界の振興などが、渾然一体として論じられている。それらは互いに密接に関連し、影響しあってはいるが、法案の論点を明確にするためにも、それぞれの問題点を整理しておく必要があるだろう。

いわゆる「活字離れ」「読書離れ」について
読書に関する最近の調査から、子どもの「活字離れ」「読書離れ」が進んでいるという証拠はみつけにくい。2004年の5月の学校読書調査によると、小学生の読書冊数が相変わらず多く、中・高校生の読書冊数も大きく伸びており、不読者の割合は、どの校種とも少なくなっている。「子どもの読書活動推進に関する法律」の制定をはじめ、朝の読書など全校一斉読書、読み聞かせやブックトークなど、教師や学校図書館関係者の日々の実践が功を奏しつつあるといえるだろう。それにネットやケータイなど電子メディアの利用を含めれば、青少年が文字や活字に触れる機会はむしろ大幅に増えていると考えられる。このことに関しては、「活字離れ」なんて、起きていない(YOMIURI ONLINE)、ネット普及=活字離れは間違い(YOMIURI ONLINE、本よみうり堂)、植村八潮氏のブログ「ほんの本の未来」などを参照されたい。

では、子どもたちが本を読まなくなっているわけでもなく、活字離れが起こっているわけでもないのに、「読書離れ」「活字離れ」といわれるのはなぜか。ひとつには、出版業界の業績不振がある。新刊の発行点数は増えているのに、販売部数は伸びず、売上高が減っている。出版業界から見れば、活字離れ、読書離れと写るのだろうが、本が売れないからといって読書離れといえない。もうひとつは、読書量は徐々に回復しているとはいえ、子どもたちに「もっと」本を読んでほしいという親や教師の願いが、このような表現に込められているにちがいない。かくいう筆者自身も、楽しく、わくわくする本や、感動的で生き方に役に立つ本がたくさんあることを子どもたちに伝えたいし、本は情報(コンテンツ)だけでなく、組版や装丁、質感なども一緒に味わい楽しんでほしいとも思う。しかし、そんなことは子どもたちにとっては、大きなお世話かもしれない。読書を阻害している要因を取り除き、豊かなメディア環境を整備することで、子どもたちは、どんどん自分で本を選んで読むようになることがこれまでの実践のなかで分かっている。しかし、成長するにつれて読書時間の確保が難しくなり、絶対的な読書量が少なくなるのが残念である。

OECDの学力調査(PISA)における読解力低下の問題
これは、ひとえに言語教育あるいは教育の核心にかかわる問題である。いま、学校教育は、子どもの主体的な学びの活動を保障していくことが求められているが、それを実現するキーワードは対話と協同による学びである。読解力も、ただ個人の読書量を増やせばいいというものではなく、作品との対話、同じ作品を読んだ仲間との対話を通して身につくものである。アメリア・アレナスの美術鑑賞教育『みる かんがえる はなす』(淡交社、2001)に習って、読書指導も「よむ かんがえる はなす」教育実践をすすめてみてはどうだろう。そのような取り組みとして、スペインの社会・文化運動を基盤とする「読書へのアニマシオン」、ヴィゴツキーの社会的構成主義やバフチンの言語理論に基づく読書指導(たとえば、佐藤公治著『認知心理学からみた読みの世界 対話と協同的学習を目指して』北大路書房、1996)などにも、今後注目していきたい。しかし、その前に、まず、生身の人間関係や直接的なコミュニケーション活動を通して、対話する力、状況を読み解き関係性を把握する力、自らの思考を振り返って評価する力を育むことが、あらゆる活動の基礎となる。ネットやケータイは、活字ばかりでなく絵文字や映像を使って相互のコミュニケーションをするのに適したメディアだが、むしろ大量の活字のやり取りのなかで活字に依存する度合いが増えているのではないかと気がかりである。

みる・かんがえる・はなす。鑑賞教育へのヒント。淡交社このアイテムの詳細を見る

 

認知心理学からみた読みの世界―対話と協同的学習をめざして北大路書房このアイテムの詳細を見る



出版業界の不振
先にも触れたように、書籍の販売部数の減少や出版業界の不振の主な原因は、国民の「活字離れ」「読書離れ」にあるとは言い切れない。今、出版のあり方や流通システムの変革と再編を必要とする状況が進行しているが、業界の時機を逸しない的を射た対応を期待したい。そのひとつの鍵を握るのが、紙媒体と電子媒体の統合と共存であろう。たとえば、デジタル・データとして作成・保存される出版物は、書籍、個人による印字、電子出版など、読者が利用しやすい、さまざまな出力形態を選択して提供できるが、その利点をうまく生かすことが必要だろう。オンデマンド出版や「新潮ケータイ文庫」などの試みがすでに始まっているが、こうした取り組みを有効に展開していくために今後どのようなシステムが構築されるのかに注目したい。また、出版社や書店にとっては、大量に売れるヒット作を出版・販売することも必要かもしれないが、個々の読者にとっては売れない本も貴重である。出版部数の少ない専門書の流通を改善することで価格を抑え、図書館ばかりでなく個人でも手に入れやすくなれば、たいへんありがたい。(書店の品揃えやネット販売に関しては、2005年7月21日付朝日新聞朝刊の経済欄「なるほど!戦略」にジュンク堂の取り組みが紹介されていて参考になる。)

日本図書館協会の声明
最後に、私はこの法案に関して日本図書館協会が2005年7月8日付けで出した「文字・活字文化振興法案について」と題する声明を支持する。とくに下記の引用部分に共感し同意するとともに、ここでの提案をぜひ法案に生かしてほしいと願うのだが、はたして衆参両院を通じての審議の中でどこまで検討されたのだろうか? 活字文化議員連盟の議員の皆さんは、このような声にどのように応えようとされたのだろう? また、学校図書館関係の団体は、この法案にたいして、どのような立場を表明しているのだろう?

文字・活字文化はすぐれて思想の自由、人権尊重に関わることです。国民一人一人の内面に関わることであり、これを法律により振興することは、その意図することとは逆の結果も招きかねない側面があります。「文字・活字文化が…健全な民主主義の発達に欠くことができないもの」(第1条)、「国民が、その自主性を尊重されつつ」(第3条)と述べていますが、例えばその「民主主義」にあえて「健全な」との語句を入れ、一定の価値観を示しているようにみえるのはなぜでしょう。国、地方公共団体は文字・活字文化振興の環境整備、条件整備にのみ責任を負うことを強調すべきです。 人類が民主主義を獲得してきた歴史は、出版、表現、学問、思想の自由を獲得してきた歴史そのものです。その意味で単なる文字・活字文化ではなく、法案第1条には「自由な」との語句を入れ、「自由な文字・活字文化が、人類が長い歴史の中で蓄積してきた知識及び知恵の継承及び向上、豊かな人間性の涵養並びに民主主義の発達に欠くことのできないものである」とすべきだと提言します。読むことは、本来個人の自由な営みであり、読むことに妨げがあってはならない、という基点を明らかにすることが必要です。(日本図書館協会「文字・活字文化振興法案について」2005.7.8)

(この記事が参考になると思われた方は人気blogランキングにアクセスしてください。)

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« さらに、文字・活字文化振興... | トップ | 文字・活字文化を担っている... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

メディア」カテゴリの最新記事