ことばと学びと学校図書館etc.をめぐる足立正治の気まぐれなブログ

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文字・活字文化を担っているのは書籍や新聞・雑誌だけではない。

2005年07月25日 | メディア
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文字・活字文化振興法案は、7月22日に参院を通過し、成立した。しかし、JLAメールマガジン第264号によると「衆参いずれの委員会においても審議が行われず、その内容を深める論議がなされなかった」そうだ。やはり・・・懸念していたとおりだ。法案に関して、新聞各社は一様に国民の活字離れや読書離れを憂え、文字・活字文化振興の重要性、書き言葉の重要性、そのための教育の重要性を強調してきたが、これが声明や宣言ではなく法律であるということは、ただ「良いことを言っている」ではすまされない。法律を作って具体的に何をしようとするのかが問われる。

国や地方自治体が文字・活字の文化の重要性を認識し、図書館の整備、読書活動の推進、学校におけるメディア教育などに関するこれまでの取り組みや運動を支援し、盛り上げていこうというのなら大いに歓迎である。その際、社会やメディア環境の変化に伴って、私たちのライフスタイルも変化していることを認識しておく必要がある。いまや文字・活字文化を担っているのは書籍や新聞・雑誌だけではない。公私を問わず圧倒的に多くの文書がパソコンで作られており、そのなかにはネットで読めるものもかなりある。書籍、新聞、雑誌などの印刷メディアだけでなく、ネット上の情報やコミュニケーションも、言論や思想の自由と民主主義の維持に重要な役割を果している。そして、文字・活字に依存しないマンガ、写真集、絵画、楽譜などの出版物もまた、私たちの文化を支える大切なメディアであることも忘れてはならない。

また、法律が書き言葉だけを取り上げて「言語力」としているのは間違いである。話し言葉を基盤として発達した私たちのコミュニケーション能力は書き言葉を獲得することで質的な転換をし、その後、相互に影響しあいながら発達していくものである。書き言葉の重要性を主張するために話し言葉の駄目なところを強調するのは一面的である(たとえば公明党のHPに掲載された劇作家山崎正和氏の議論)。書き言葉と話し言葉はそれぞれ特性が異なり、それが長所にもなり短所にもなるのである。そのことを十分に意識し、映像も含めて言語以外の多様なメディアをバランスよく活用して、それぞれの特性を十分に生かしながら「正気で」生きる力を涵養することが教育の役割であろう。そのような教育の基本は、書物にかぎらずあらゆる情報やコミュニケーション活動をクリティカル(批判的)に吟味し、適切に状況を判断する力を育成することである。

一口に「文字・活字文化推進の具体的な条件整備」を求めるといっても、そこには、いろいろな思いがこめられているようだ。振興法成立の翌23日、読売新聞は「21世紀活字文化プロジェクト」で、法案成立とともに、再販制度の堅持と出版業界への新たな財政支援、優遇税制などを求める(おそらく出版業界の)声が強いと報じている。出版業界を支援し再販制度を維持しなければ、学術的な本や「良書」が淘汰される懸念があるというのである。

以下、同サイトに紹介されている各党の気になる発言を取り上げる。( )内は筆者のコメント。
自民党・与謝野政調会長「今後大事なのは国や自治体の取り組みだ。大もうけをしなくても、出版業・新聞業が成り立つような環境にないと、日本の文化は急速に衰える。やさしい映像文化・インターネット文化が出てきているから、文字・活字文化はみんなで努力しないと急速に衰える」(再販制度を念頭においた発言であることは明らかだ。)
公明党・神崎代表「映像文化だけでは人は受け身になり、考える力を失ってしまう。青少年の心の荒廃が叫ばれている今こそ、活字文化の振興は時を得たものだ」(逆もまた真なり。文字・活字だけでは、人は豊かな感性を失ってしまう。かつての受験勉強の弊害は、実体や実感を伴わない文字・活字の丸暗記によってもたらされたものであった。文字・活字を真に意味あるものとして受けとめ、豊かな想像力を働かせるためには、生活経験や視聴覚メディアによる感性の裏打ちが必要である。)
民主党・仙谷政調会長「海外には、図書館が本を仕入れる際、活字文化振興基金のようなファンドに資金を入れるところがあるそうだ。図書館があることで、本来なら著者に入る印税収入が減るわけだから、減収分を相殺するのが目的だという」(わが国でも公共貸与権を認めたいという趣旨らしいが、海外の実情を正確に把握し、図書館の無料原則の意義をふまえたうえで論じてほしい。)

ここでも、「やはり・・・」という思いが強い。「言語力」の涵養や図書館の整備など読書環境の整備のために法律をつくることが急務であるかのように見せかけて、じつはその法律を楯にして業界の保護を図ろうという意図が当初からあったのではないか。「良書」などという絶対的な価値観で括ってしまわないで、出版者の自由と同時に読者の自由も尊守しながら、多様で豊かな読書環境・メディア環境の実現に向けて国民的な運動を展開していきたいのである。そのために、出版業界には、ぜひとも経済、メディア、読者の動向と今後を見据えた、新たな出版と流通のあり方を考えてほしいと思う。

法律そのものに異論があるわけではない。ただ、人間の活動全体の中で文字・活字が果たす役割を正当に位置づけたうえでの施策を展開してほしい。今後は上記のことを念頭に置きながら、具体的な施策が、どのような形で提案されるのかに注目したい。とくに、再販制度の維持や版面権の創設、公共貸与権の扱いなどについては、自由な出版活動、出版物の公正で自由な流通、自由な読書活動や情報行動の妨げとならないように、国民的な議論を尽くすべきであろう。

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