咳止めを飲み始めるのが遅すぎたせいか、昨日は咳止めを飲んでも咳で熟睡できず…朝、起きてメールをチェックすると、カナダのテレビ局からの仕事依頼のメールが入っていた。
祖母も退院したことだし、今日、Yにはお別れをしてくるから、そろそろ仕事に再び本腰を入れ始めようと思いつつ、科学系の番組の為、悩む。とりあえず、明日、電話で詳細を聞いてから返事をすることにしました。
メール対応の後は気合を入れてメークして、祖母の日赤のイケメンドクターに会いに行ってきた。
先週の木曜日に鼻腔カテーテルを入れた経緯から説明し、また来月、祖母の経過を説明しに伺う約束をして、面談は15分程で、即終了。O先生、やっぱり格好良かったつかの間のうっとりする時間を過ごしてから、恵比寿へ、先生との面談内容を母に説明しに行った。
祖母、今日も目を覚ましてくれません
母に日赤での話をしていると、今度は往診の先生が往診に来て下さいました。
祖母、熱は収まったけど、血圧がやはり低い。そして今日は点滴の落ちが悪いので、新しいルートを確保してもらうついでに採血を試みるが、このところのゆるゆるのお腹の調子から、点滴や栄養剤を鼻腔からいれていても脱水しているようで、針が刺さらず、採血するのも物凄く時間がかかる。
祖母、カテーテルを入れた日は呼吸が浅くなったのですが、今日は深く息を吸っていたので、私たち家族やお手伝いさんは安心していたのですが、今日の往診の結果、「血液検査の結果をみないと何ともいえないけど、また呼吸の仕方が変わってきたら後1~2日だと思ってください」と宣告される。
えぇ~だってカテーテルを入れる前日までは歌を歌っていた祖母…鼻腔カテーテルで栄養を取ればもう少しカロリーが摂取でき、元気になると思っていたのに、寝耳に水だ
でも百歳だから良かれと思った処置でも体がついていかないんだろうな…
あぁ~年末の肺炎から本当にジェットコースターの気分が未だに続き、相当凹む私…
今日Yを見送りさえすれば、気候も暖かくなり、色々なことが少しは落ち着くと思っていたのに…
暗い気持ちになりながら、祖母に「ママタン、今から私はYにお別れを言いに行ってくるから頑張ってね。Yは43という若さで逝っちゃったんだよ。だからYの生きるべき寿命をママタンが少し分けてもらって、お願いだからもう少し頑張って」と声をかけてから、麻布へ一度帰り、支度をしてから、斎場へ向かった私。
斎場に向かう途中、母に用事があったので、電話をすると、電話の途中で、突然、電話の向こうから物凄い音がし…数秒経ってから、電話の向こうで「大丈夫ですか!」とお手伝いさんの大きな声がする…
何?なに?ナニ?(@_@;)と思っていると数表後、母が「ごめん、貧血起こしたぁーっ。でももう大丈夫。とりあえず、横になるから」と言って電話を切る。
おい!おい!おい!おい!
貧血と行っても祖母は低血圧だけど、母さんは一時は上が240もあった高血圧でしょ!?マジで大丈夫だろうか?と動揺するも、何かあったら、お手伝いさんから連絡があるだろうと思い、斎場へ向かう。
そして、Yのお通夜で大学の同期8名と悲しい同窓会。Yのことで悲しみがマックスだったのに、その中の一人がなんと松葉杖で参列してるし…
思わず「どーしたのぉ~」と聞くと
リュウマチになってしまったらしい…
頼むよ、本当にぃ~と言っている内に、我々のお焼香の番が巡ってきて…ハート型の祭壇の中にYの遺影
遺影をみても、なんか彼女が死んだことが信じられず、夢遊病者のように焼香を済ませ、しばし皆で呆然と立ち尽くしていると、最後に彼女に会える時間が設けられました。
私と1月の時点から連絡を取り合っていたNは変わり果てたYを見ることができないと思っていたので動揺するも、棺の中のYは12年間の辛い闘病生活からやっと解放されたというような安らかで、綺麗な顔をしていました。
私はそこで泣き崩れ、彼女に何も言葉はかけられなかった…他の同級生の数人は泣きながらも彼女の頬を撫で、しっかりとお別れをしていた。
私、最後まで、彼女にお別れが言えなかった…
だって別れたくないもん…元気になったらまた朝まで飲もうって約束したじゃん…私、あなたの結婚式でご祝儀出したのに、私、あなたからまだご祝儀回収してないもん。なのに不祝儀まで先に持って行きやがって、そんなの詐欺だよ
本当はちゃんとお別れをしてこようと思ったのに、結局、お別れできなかった私。
帰宅しても、現実を受け止められずに…
ブログを書きながら献杯
あぁ~しかし、祖母の予想外の展開…明日の電話での仕事の打ち合わせ、どーしようかなぁ~
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