メグノメ

遷延性意識障害の母と紡ぐ日々

バラとバオバブ

2009-04-30 01:38:49 | Weblog
わたしが勝手に、
「おうじさまの星にさいているのはこんなバラだろうなー」
と思うのにそっくりなバラが、庭に咲いた。
花屋さんにおいてあるみたいな
ベルベットのような花びらが折り重なって華麗に巻いているバラではなく、
触れると破れてしまいそうなやわらかな花びらが
ゆるやかに風をはらんで寄り添い合っている、
そんなバラ。
あさ、カーテンを開けて目が合うたびに、やさしい気持ちになる。

一方。
こちらも”星のおうじさま”に出てくる、バオバブ。
母がまだリハビリ入院中に、母にどうしても土を触らせたい衝動にかられ、
手をとり一緒に種を植えた。
その後、だいじにだいじに育てて、芽を出し双葉を出したものの、
退院後忙しさにかまけて管理を怠ったために、調子が悪くなり、
どうもこれ以上育ちそうにない。
あきらめきれずに、まだ手元に置いているけど。

きょうはバラをよくよく見ると、
ふたつめの花のつぼみが。
そして、アオムシくんの貫通したまあるい穴が…
これが開いたら、どんなかたちになるでしょう?

さいきんは何かとメディアでバオバブを目にすることも多い。
敬愛する本橋成一さんの”バオバブの記憶”観たいなあ。

100てん

2009-04-27 23:40:19 | Weblog
母のかかりつけのお医者さんが替わって、
土曜の往診のとき
ひとまず血液の検査をしてもらった。

退院してから、まだ一度もしていなかった。
入院中は、検査のたびにいつもイマイチすっきりしない結果で
でも大きな問題はないので、退院に至った。

夕方一本の電話。
お医者さんからだった
「検査の結果がでました」
「はい」どきどき(わざわざ電話がくるなんて、もしかして悪いしらせ?)
「100てんでした」
「はぁ」
一瞬”100てん"の意味がわからなかったけど、
検査結果上、母の健康状態はまったく問題ないという意味だと
すこし考えてわかった。
「はやく結果を伝えたかったので」
と先生。

調子はいいはずだとかんじてはいたけど、
ようやく、はっきりと、すっきりした結果をもらえて、
ほっと一安心。

それに、すぐにいい結果を届けてくれた先生の気持ちがうれしかった。
うまくやっていけそうだ。




夕方6時

2009-04-27 00:27:16 | Weblog
夕方6時の空に
自分ではどうにもならないことを
ぽかり ぽかり と
浮かべていたら

あなたのいるあのまちでも
あなたのいるあのむらでも
あなたのいるあのもりでも
時計の針が
夕方6時を指していた

あなたの夕方6時は
きっと

机の上の書類を重ね
肩をさすりながら仲間との会話に
目元をゆるませるころ

自転車に片足をかけたまま
ご近所さんにごあいさつ

ぺこぺこのおなかをかかえた
草のにおいの子どもたちが
目の前の料理に今にもとびつきそう

それともまだまだパソコンとにらめっこ

ここで夕方6時なら
あなたのところはまだ夜明け前
天使と夢をみてるころ

お日さまのにおいのグラウンドで
白いボールを追いかける
見失わないように

同じ夕方6時の空を見上げているかもしれない

見上げることもなく 
部屋でひとり
途方にくれているかもしれない


あなたのところから吹いてくる風の中に
どうか涙のにおいがまじっていないようにと
外へ出たのです

あなたの夕方6時が
どんなだろうかとおもっているのです
ただおもっているだけです


わたしは優しさで泣いたりしない
生きていてください
それだけでうれしい人が
どれだけいることか
知らなくてもいいので生きていてください

この夕方6時の空の下にあなたがいるということが
わたしはうれしい


夕どき

2009-04-16 23:32:46 | Weblog
もうすこしだけ長く
この時が続いてください、と思った。

空にはとんびが泳ぎ
目の前には小さな庭に広がる新緑の海。
その中で父がせっせと動き回ると
草の放つ新鮮な香りを鼻が捕らえる。
白い愛犬ジャムと2さいのまーくんは戯れて
父のじゃまばかり。
おこられたってなんのその。
母と姉とわたしは、
ウッドデッキの上で風に吹かれながらそんな光景を眺めている。
わたしは母の車いすの横で、素足を木肌の上に投げ出して、
まるで湯船に浸かっているときみたいな気分でいる。
なにもしていない。

なんてことのない夕どき。
だけど二度とはこない夕どき。
どうしたことか、時間がすぎていくのが惜しくて仕方がなかった。



ハッピー

2009-04-15 00:21:09 | Weblog
来月は、ちょっとゼイタクだけど、東京へ。
森の仲間ごりたんの写真展へ行く。

2年ちょっと前、
2年間暮らした八ヶ岳の麓にすべてを置き去りにしたまま
帰郷した。
それから少しずつ、ずいぶん拾ってきたつもりだけど、
まだ拾っていない、なにか。
それを見つけに、いってきます。

月に1度は、母からはなれて、
数時間という単位ではない自分の時間を持とうと思っている。
それができるのも、母の調子がいいあかし。

今月は、福岡。
だいすきなユニコーンとだいすきな仲間たちに会ってきた。
ハッピーな夜だった。
わたしのハッピーを、母もよろこんでくれているだろう。

写真展、お近くの方は、ぜひ。

小骨の剣

2009-04-14 23:54:06 | Weblog
のどの奥にささっていた
魚の小骨が
ようやく抜けタ。
そんなかんじだ。

薄々感じていた違和感の正体が、
魚の小骨だったとわかったのは
よかったのだ。
だから抜き去ることができた。

わたしが小骨をかかえていたということは、
あの人も同じように小骨をかかえていたということ。
それを知らなかったのだ。いや、知ろうとしなかった。
たがいに確認し合わなければ、正体は不明のまま。

確認したことで、小さな骨の剣先を
互いに向け合うことになったことは残念なことだが、
所詮魚の小さな骨。
さいごには、たがいに抜き合って、傷は跡形もない。
エールを送り合うことさえもできた。

この出会いは、ふしぎにたくさんの贈り物を残してくれた。
出会いには、いろんな役目があるものだな。
いいかえれば、
人は誰しも、知らず知らずのうちに
その人にしかできない役割を果たしているのだな。
気づこうが気づくまいが、生きていなければ役割は果たせない。



再開

2009-04-13 00:06:57 | Weblog
長いことお休みしてたブログ、
またマイペースで、書いていきます。

ずっとお休みしてたのは、
だましだまし使い続けたオンボロパソコンが
とうとう音を上げてしまったため。
オツトメ ゴクロウサマデシタ
思い切って新調した。
サクサクうごく。

でも、オフライン生活もなかなかよかった。

さいきんのたのしみといえば、
庭で育てている野菜や香草。
日差しがあたたかく、暑いくらいのここ数日。
ライムグリーン色の葉っぱたちが毎日わさわさと伸びるのと同様に、
わたしの手足もむずむず動きたがる。
春の風がわたしの心をくすぐっている…といいたいところだけど、
鼻がくすぐられて、くしゃみ連発。
くしゅんくしゅんいいながらも、土いじりはやめられない。
段ボールコンポストも、三代目に入った。

手足が動きたがっているのは、
どうやら母も同じらしい。

たとえば、これまでは足がこわばりがちでしっかり踏ん張れなかったため、
裸足で立たせるのは危険だった。
だけど、このところこの陽気で素足が気持ちいいだろうと思い、
えーい、と室内履きと靴下を母の足からうばった。
母の素足はフローリングにおそるおそる触れ、
くすぐったそうにつま先で確認し、
立てるように体重をのせてあげると、少しずつ足と床が寄り添っていく。
そして時間をかけながらじっくり体重を預けていくと、
しっかりと両足で踏ん張ることができた。
そのうち、わたしが支えなくてもひとりでちゃんと立てるだろう。
母は両足のうらに、地をかんじているはずだ。
母の足のうらは、地球をしっかりとつかんでいる。
わたしには、母の両足がよろこんでいるように見える。


気分一新、ブログのデザインも変えよう。
これまでのカエルは、母と家にカエレますように、
という願掛けでもあったので。
母は、もうわたしたちのところにしっかりと帰ってきたので。

オカエリ