メグノメ

遷延性意識障害の母と紡ぐ日々

海との再会

2010-02-25 23:36:17 | Weblog


一面にひろがる海をまのあたりにして、
喜びを
からだいっぱいにダンスで表現しつづけるまーくん
と、
かがやきやにおいや風やたぶん光景を
からだいっぱいに受け止める母。

またひとつ、ふたつ、再会をはたすことができた。

海沿いの道、とちゅうきゅうけいのひなたぼっこ。
そら色のくるまで
日南のおばあちゃんちまで約2じかん。

難なくクリア!

この日の波はやさしくて、
ひさびさに家族でおとずれたわたしたちをむかえてくれた
おばあちゃんの
まつげをうるませそうに
寄せる波もやさしくて、
それはすぐにくだけて笑顔になった。

いっしょにこの海をこえる日も
そう遠くはないよ、おかあさん。
そうすなおに思えた、小さなたびの一日。


くさっても

2010-02-18 00:00:01 | Weblog


会わないあいだは、
わたしの胃のしたのほうに滞ったかたまりだった。

台所の排水網にひっかかったまま
じゃあじゃあ水を流してもそこに小さくいて
腐ってもそこにいて
じゃまにはならないんだけどきもちわるい。

あなたたちのうらぎり草
くさってもそこにあって。

会ったら思い出したよ。
ショックでふきとんでいた
あなたがくれたあれこれ。
わたしのいのちをゆたかにしてくれた。
それもぜんぶふきとばすくらいの威力があったことを
知っているだろうか。
知ってほしいと胃がいうんだけど、
まあどっちでもいい。
あなたが今をいきているから。
少し、後悔しているなら、少し、うれしい。

あなたがうばったものよりも、
あなたがくれたものをおもったほうが、
わたしもしあわせになれる。
それがわたしのひそかな報復。
あなたからもらったものが、こんなに育っているよと。
あなたがうばったものよりも、今こんなにすてきなものが手の中にあるよと。

消えないよ。
でも、もういちどわたしたちの道がクロスしてもいいと思った。
そう思えたら、くさった草も青々とただ生きていたことを
すなおに想像できた。
やっと、かたまりは解けた。


ただ それだけ

2010-02-10 23:50:05 | Weblog


ただ

そのまま

そのままををうけとめればいい

ただ

それだけ

それだけ


ふわふわの泡をうかべた
お茶をたてられるような
まあるいまあるい
お椀になって

ただ うけとめるだけ

ことばにならない声は
その中で
をんをん響かせて
ふわふわの泡にうかべて


ただ それだけ

ただ それだけ


つぶされそうにつよい力も
するどくつきささる爪も
まあるくまあるく
つつみこむたなごころになって

ただ うけとめるだけ

にぎりかえさなくても
問いかけなくても
いいんじゃない
両掌の寝床があれば


ただ


それだけ


それだけ




シンドイクルシイワズラワシイ

2010-02-10 23:20:03 | Weblog


ひとのために生きるのは 
しんどい 苦しい わずらわしい

じぶんのことも わからないのに
じぶんじゃないこと わかるわけない

もしも じぶんだけのために生きるとしたら
もう しんどいおもいもせず 苦しまずに 
いられるだろう

つまり 
苦しむこともやめて 消えることをえらぶだろう


シンドイ クルシイ ワズラワシイ
だれかをおもって 生きているあかし
だれかとともに あるというあかし

わたしを苦しませるだれかのおかげで
わたしは生きていられる

苦しいうちは 生きていたい