メグノメ

遷延性意識障害の母と紡ぐ日々

きょうのことば:Eおばあちゃん

2008-09-26 23:42:10 | Weblog
ひとりでの離床を禁止されているEおばあちゃんが
ベッドから起き上がったので、わたしがそっとベッドサイドに寄ってしゃがむと、

「ああよかった、ばらばらになるかと思った。」
とEおばあちゃん。

「何がばらばら?」
とたずねると

「人間、だれでもいつかはばらばらになるんだからね。いっしょがいいよ。」


“150%?” “∞!”

2008-09-26 22:27:27 | Weblog
母のことを人に伝えるのには、かなりのエネルギーを要する。
言葉で説明できることは、受け手の持ちあわせている「常識」や「経験」を越えることが難しい。
母はたいてい車椅子に座っているか横になっていて、刺激がなければ力なく眠ってしまっていることが多い。母がどういう人なのか、を、そんな、目に見える範囲だけで判断されやすい。
あなたは、母にどんな可能性を見ることができるだろうか?

母をリハビリ専門医が診てくれた。
この病院には専門医がいないので、月に2回鹿児島から招いているらしい。
母の様子をよく見て、わたしのはなしもよく聞いてくれた。
だけど、この人も母の可能性にふたをした。
「残念ながらできないこと」について語ってはくれたが、これからどうしたらよりよくなるかについては、何一つ収穫を得られなかった。

歩行器にしがみついて、確実に自力で足を運んでみせた母に対して、
「150%の力でがんばっていますね」と繰り返した。
それは一見ほめことばのようであったが、結局そのあとの話は、もうこれ以上はのぞめないだろうね、ということだった。

100%って、いったいどこなんだろう?
母の100%の能力を、会って数分の人が、どうして知ることができるのだろう?
根拠なく患者の可能性にわざわざ限界を設けるようなことが、よりよくなるためにと医者のもとへやってくる患者にとって、必要だろうか?

くやしくてくやしくてしかたがないけれど、信じられないものは、もうムシ!
ぜったいよくなる、少なくとも発熱した6月よりも前の状態まではよくなる、と根拠なくますます希望を見つめることにした。
世界中の人が信じてくれなくてもいい、わたしが信じていればいい。

よくなるには、療法士さんたちの力が必要なんだけど…例の彼は「たいしたもんですね」というリハビリ医に対して「いやぁそれほどでも」という顔。いやいや、“たいしたもん”なのは、母と、苦労や工夫を重ねてきてくれた前の療法士さんのこと!あなた、1人でろくに母を立たせることもまだできないじゃないですか!もう笑うしかないや。

母の回復に関して、正確な評価はさほど重要ではないし(ましてや数字に置き換えるなんてことはまったく意味をなさない)、誉め言葉がほしいわけでもない。
ほしいのは、母のしあわせ、ただひとつ。
だから、できないことを取り上げるより、できることを見つけて、認めて、できれば伸ばす手助けをしたい。
それがきっと母のしあわせに、わたしのしあわせにつながっている。
それがきっと、母の、わたしの、生きる力になる。

もちろん、こういう機会を設けてもらったことは、感謝している。

はじまりはノック

2008-09-25 02:02:50 | Weblog
母のベッドサイドで、テーブルに水筒を置いたら
「コトン」と音がなった。

するとカーテンのむこうのベッドから
「はぁ~い、どうぞー、来たねー、入ってー」というおばあちゃんの声。
あ、おばあちゃんの世界の中でノックの音に聞こえたのか、と思い、
ほんのちょっといたずら心で
「おじゃましま~す」と言ってみた。

今度は、斜め向かいのベッドのほうから
♪~♪~ナースコールの音。
おばあちゃんが起き上がったらしい。
斜め向かいのおばあちゃんは自分でボタンを押して人を呼ぶという行為はできないが、
ベッドを起きようとすると足元にマットが敷いてあってそれを踏むと、鳴る。
ひとりで離床すると危険なので、すぐに看護師さんが来れるようにするためだ。
看護師さんが、「どうしたと?」とやってくると、
「誰か来たみたいやから、玄関出ようと思って」。
看護師さんは、いつものことね、といった雰囲気で対応をした。

あちゃー、ごめんね、おばあちゃん、わたしのいたずらのせいで。
と、思わずカーテンのこっちがわで肩をすくめて苦笑い。
でも、ふたりのおばあちゃんの世界がノックでつながって、おもしろかった。

かと思えば、足元のほうのベッドから
「火の手がもうきましたか?」。
「え?日の出?」とたずねると、
「いえ、火の手」
「ああ、だいじょうぶです、どこも火事になってないので、安心してください」と伝えると、
「そう、よかった。」と言った後、
ささやくような声で、「あなたもみんなを助けたいでしょう?」。

まあ、いつもだいたいこんな調子で、
たいていそれぞれの会話はかみ合わず、
てんやわんやな状態になったりもするし、
もちろんそれぞれの家族にとっては深刻な問題。

だけど、このときのわたしは、
会話は成り立つはずの理学療法士さんとまったく通じ合うことができなかった直後で、がっつりヘコんでいたので、
ちょっぴり笑顔にさせてもらって、癒し系ばあちゃんたちに感謝。






ならんでみると

2008-09-24 01:06:31 | Weblog
今月はじめから、母は再び「回復期リハビリ病棟」にいる。

今母がいる4人部屋は、とっても賑かだ。
ネズミや虫はいっぱいいるし、あっちには『ナカジマさん』こっちには『ミヤちゃん』がよくやってきて、牛のせりは開催されるし、おばあちゃんは赤ちゃんにお乳をあげるのにいそがしく、一日に何度もごはんの時間になる…
3人のルームメイトたちの話によると、である。

おばあちゃんたちは“認知症”なのか“高次脳機能障害”なのか分らないけれど、わたしとは違う風にこの世界を認識している。

おばあちゃんのひとりが大きな窓のそとを眺めながら「ほれほれ、運動会のしろい幕があっちもこっちも…わぁ~いぃっぱい車が行きよるが。」と言うので、車椅子の横にしゃがんで指差す方向を見てみたが、もちろんそんなものは何も見えない。
だけど、そうやって横にしゃがみこんで並んで同じ方向を見つめるだけで、不思議と運動会のわくわくが胸に湧いてくる。青い空には花火が。今、そのときのことを思い出しながら、なんとなくそんな光景を見たような気さえしてくるのだ。
そうしているだけで、言葉にするとかみ合わないこともぜんぶふんわり包まれてしまって、相手を互いに受け入れ合えたような気がした。言葉でつながらなければならない相手ならば、そんな気分にならないかもしれない。
こういうともだちも、たまにはいいかな、と思う。

手をのばすと、きまっておばあちゃんはしわくちゃの両手でしっかりと握ってくれる。


おでん

2008-09-22 21:40:27 | Weblog
「お母さんが、あのおお~きい鍋で、よくおでんいっぱい作りよったよね。」
父が言った。

ひんやりとしはじめた夜の空気が、
家族5人で食卓の灯をほかほか囲んだあの日々を、呼び出したのだろう。

―いのちがあるだけで何よりもしあわせ。
偽りのないそんな気持ちで満たされているこの心の、
ほんの小さな隙間から秋風はしのびこんで、
やわらかいところをつまんで去っていく。
ひりひり。


あゆむ

2008-09-22 02:29:19 | Weblog
わたしは「できる」と言い、彼は「できない」と言った。

新しく担当になった理学療法士の彼は、いつも“できない”ことを説明するための言葉ばかりを見つけてきた。
それは、決まって専門用語や一般論だった。
わたしは、母を説明する言葉をさがしたけれど、どう言ったって彼の中で瞬時に彼の知識の中にある“似たもの”に変換され、“できない”という結論を導き出されてしまうと感じたので、むだなことはやめた。
あなたの話す言葉が正確に何をさすのかはわからない、わたしにわかるのは、母に触れともに動くときに得る感覚だけだ、と伝えると、しばらく考えて「やってみましょう」と言ってくれた。

そして、母は歩いた!
歩行器にがっつりしがみつき、後ろから支えられてではあるが、三歩、四歩、よろよろと歩いてみせた!

わたしは、彼と話すのも忘れて、母に「すごい!すごい!」とただ連発した。
できる、と思っていたけど、「すごい!」が口をついて出てくる。
6月以降の体調不良のため、1年半をかけて獲得していった身体を動かす機能がいったんゼロに戻ったので、またぼちぼち行きましょうかねぇ~と覚悟を決めていたのだが、今回は取り戻すのが早い。ちゃんと脳が、身体のあちこちが、覚えてくれているのだ。
3ヶ月も寝たままだったのだから、やっぱり容易ではないけれど、べそをかきながら、「こわい?」と聞くと即座に“うん”とうなづくほどのおもいをしながら、母はひとつひとつ取り戻していく。(うなづくことも、ここ数日で時々できるようになってきた)
もう歩けるはずだとかんじていた。

彼は、ほんとうですね、と言った。
母という人間の意思の存在も、ようやく認めてくれたかに見えた。
次から歩く練習も、リハビリに組み込んでもらえることになった。
これからは、前日までの漫然としたリハビリも、がらりと変わることだろう。
「できなくてもしょうがない」から「できるのかもしれない」へ。
あきらめから、きぼうへ。

きぼうを小脇に抱えて
迷いなくただ一歩一歩すすめていれば、
それを見ただれかも
ちょっとだけあきらめをそこに置きざりにして
一緒にあゆんでくれるのかもしれない。
すべてが一気には変わらなくても。

あゆんでいこう。