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関心事項(どちらかというとPCで見る用になってます)

   

 

束ねて清算

2017-01-31 16:36:50 | 脳内整頓-とりあえず言いたい

「教育と成長」より
「教育」を受けて学んで「成長」することで、徐々に自分とは関係ないものに接し
がんばればがんばるほど自分ではなくなる結果になり、
ふと気づけば「私てなんなのか?」わからなくなり退化しているような気分になる、ということかな。
せつないことだな。


年明けから転換期の自覚があり 長かった 「存在否定」が終わる気配を感じていました。
まとめラッシュと 自分の引きこもり具合でそれを感じていましたが、
ここんとこ、ケガが続いてます。

全部 手 なんですが、あー切っちゃったくらいの小さな切り傷が2件と続いたと思ったら
げー痛いというくらいの流血1件、
そしたら今日はコーヒーをかぶってやけどです。ずきずきします。

コーヒー豆が熱湯とともに 突然踊りかかって来たのだ。コーヒー豆のご乱心 これは予測不能。

ケガにはあまり縁がなくて 10年20年してないと思う。
思い出せないくらいの小さいやつならしてるだろうけど。 だから続くと 気になります。

私としてはですね、全時代のちょこちょことした端数を束ねてケガで清算してくれてるならいいな。 と思う次第です。

厄落としとか  転換期とか ならいいけど、大難の前に小難とかは言わないでほしい。 
こっからさらに大難来られても もぅ意味ないだろ。

 

 

2017-02-01 16:36:50


大きな呪いは大きな祝福 大きな祝福は大きな呪い

2017-01-24 22:46:18 | 自己確認(現状把握)

だってそう思うんだもん。

すごく祝福されていると感じると バランスを取らなきゃなんない。
それで何重にも呪いを作り出した。すんごい疲れた。

祝福いらないから呪いも消えて。頼むから。


それから、わざと 将来に不安を感じるようにふるまっていた。
部屋をぼろぼろのまま放置するとか。さびれた感じで 廃墟感が出て 悲壮感を作り出せます。

無価値感は呪いとしてすごい使える

ぜったい意識に上らせなければ完璧。

自分で気づかないほうが不幸を続けられるのと、
加えて 「自分には価値がない」と感じる権利もない という呪いとしても使える。

祝福大きすぎて 呪いも何重にもしとかないと。

祝福と呪いが相殺されて消える。
すると  祝福と呪いから解放された 自分が残る

それは自然発生の自分 みたいな感じ。 

 

 

2017-01-29 22:46:18


1/24 自然発生

2017-01-22 22:04:45 | 試行錯誤 または仮定

しおりちゃんの 「存在は自然発生」 がとてもよいヒントになっています。
「人間は “自然発生” というのが気に入らない」 というのも、よいヒントです。

その通りだと思うからです。「自然発生」では、説明にならないと思っていた。
説明にならないとしても、もし ほんとにそうだったらどうするんだろう。

年末年始に実家に帰って 家系に伝わる無価値感 を感じてて、
自分が雪国の家屋になった気分で 押しつぶされそうな気分だった。

無価値感にうなされて夜中に目が覚めた。 こういうイメージがわきました。

 

誰かが、誰かに何か言われたとかで 無価値感を感じた。

それは自然発生の感情で、最初は漠然とした感じでふわふわ浮いている。
でも それが気になったり、何回か繰り返されたりして そこに意識が集中された 

注目を与えて、水を上げて 光を当てることで育つ
意識を集めることで 最初はふわふわしていたものが 徐々に重くなり、

重くなって地面に降りて、大地にどっしりそびえ 岩のようになる
世代を通して それに目をかけて育てる

無価値感以前に 感じてる存在自体が 自然発生で
元々 価値 も 無価値 もない。

価値があるといえばあるし、ないといえばない。

たまたま ない を選び続けてきたのが 私の家系なんだなと思った。

それから 「家系」は 同じテーマに取り組んでいるひとつの意識 のように感じました。

 

 

2017-01-24 22:04:45


年明けから 「まとめ」が止まりません

2017-01-21 22:19:25 | 脳内整頓-結論らしきもの

■自分の価値を証明するための人間関係と活動

自分の価値や存在を証明するためにやることは
どんだけ必死にやろうが 賞を取ろうが うまくなろうが、自分とは何の関係もない活動なんだな。
取り組んでるその何かは、自分とは何の関係も持てない。この数年で そのことを学んだ。

やってることが楽しくて、楽しいからやってるそれは、自分と縁ができる、というか
縁があるというか 、関係がある という感じ。
 

 

■自分の性質を 問題とみなすか?否定するか。
または そういうもんなんだ、として 問題とはみなさないか

それだけだったんじゃないか という気がしてきました。
自分の性質は 世界に唯一のもので、それを「肯定」できるということは、
絶対 前の世代から さりげなくやり方を受け継がれてる。

でないと、他者基準の人間には、「周りと違う」 「前例がない」 となって、唯一のもの なんて
認めやしないんだから。否定になりやすいと思う。

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「周りと違う」 「前例がない」「奇妙な性質」を認識して 肯定できる力が
一般的に「愛」と言われるものなんだろな。
「愛」のやり方が受け継がれていない場合は、
他者の 前例がない奇妙な性質は 受け入れる以前に、認識できないことがあると思います。
認識できないと「決めつけ」とか「無視」「不審」などの扱いになると思います。
2022/4/9
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■世界に唯一の自分の反応にどう気づいてどう受け入れていくのか

それってほとんど 創造 だ。それでニュートラル

ニュートラルでないと 自分の反応とか感情には気づけない 思い込みとか先入観とかあると。

 

 

■みんなといるとき、自分が消えるように感じるのは 錯覚なのかも。

こういうやつ。
 

自分が消える感じが不快で、人に会いたくなくなっていたんだけど
「錯覚なのかも?」と思い浮かんだら、人に会って試したくなりました。
確かに、錯覚だったのかもと思えてきました。


■自分のことを受け入れてくれる人 というのは、「家族」であって、 「男」ではないんだな。

だから 無意識に男性として見ない。そういう人は 錯覚として 「その程度の男」 に見えるんだな。
大変に失礼な言葉だけど、 これも 未熟者の 「錯覚」 の1つだと 思います。

 

■相手が誰でも 一対一で 向き合うことに変わらない

無価値感がデフォルトだと、このようなことにも、気づくことがむずかしいんですよ。
私にとっては たいへんな視点の変化なんですよ。 

その 向き合う自分自身に、向き合う実体がないんだから、
どんないけめんが来たって 誰とも向き合えるものじゃなかったんだな。
やっとそのことに気づきました。

 

■ 『なぜあなたは「愛してくれない人」を好きになるのか』 より

心の底で 自分をよしと思えないと 自分を大切にしないので
相手の都合よく動いちゃうということなんだな。

自分を認めてない人は 相手にとって都合がいいんだ
自分の都合よく動く人を 心から好きになることはない
都合のいい人形、道具、舞台背景 以上にはならないからだな。

 

「恋という名の憎しみ」 表面は「恋」、裏面は「怨恨」

 

不快であれば 自分には合わないから離れればよいだけ。
相手を自分のために利用していると、その人が必要なので 不快でも何されても 離れられないんだな

 
 
 
■「もっと良くなりたい」という 向上心 は、現在の自分を否定することにもつながる
「向上心」 というと、10人中10人 「良いもの」 「人として必要なもの」 と言うんじゃないか。
どうでしょう?


 

■今まで 自分が苦しんできたこと
「私はそういう性質なんだ」 「私の存在の変えられない性質なんだ」 と気づいて、受け入れられるようになるため

「受け入れる」 って今一つよくわからない言葉なんですが、
事実を事実と認めること くらいの意味で、否定も肯定もしないことなんではないかと解釈しています。

否定も肯定もしない「ニュートラル」だけど、やや肯定寄り
「肯定する」だと それはそれで落とし穴があるからな。

そのままの状態を中立に把握する、not 思い込み、先入観
何か別の既存のものに変えようとしない、
そういうのが 「愛する」 というんではないか。



己をゆるし、本当の自分を認める者、それこそが、本当の強者だ。 byいたち様
 

 

 

2017-01-24 22:19:25 


コンフィドエッセンス 2

2017-01-20 11:20:35 | オーストラリア・ブッシュ・フラワーエッセンス

私は今 7週間 といったところです。

自分で 飲んだほうがいいような気がするのと、「もういらない」という感じがないので飲み続けています。

たしかに、じわじわと効いてきている実感があります。
これまで 別のエッセンスでも感じたことだけど、「改善したいテーマ」に直接効いて いきなりそこが変化するというより

その考えが起こっている背景から、じわじわ修正されてってる感じがするんだよなぁ。

だから、飲んでも飲まなくても 日常にとくに変化はない という感じなんだけど、
ふとした時に あれあれなんか違う とか 重いのがなくなってる その結果違う行動をとれる
という効き方で

そういう効き方が 私も 深遠に感じます。
周波数がいきなり変化するとつらいから 拒絶反応が出たり リバウンドする んだと思う。

しかし 外堀からじわじわ埋めてこられると、「変化した」という感じではないのですねぇ。
こういう変化は楽しくて それでやめられないのもある。

コンフィドエッセンスは、下記のエッセンスのブレンドで、どれも私にとって重要なものばかり・・・。

ボアブ 世代から世代へ受け継がれているネガティブなパターンを取り除く

ドッグ・ローズ さほど強くない普通の恐怖心(水が怖いとか泥棒が怖いとか)

ファイブ・コーナーズ 内面、外面の美しさを認める、愛する

サザン・クロス 被害者意識、不平不満

スタート・デザート・ローズ うまくやれなかったと思っている罪悪感

 

夢もよく見ます。

あと、目が覚めるとき、過去の出来事を思い出して、落ち込んでることが これまでに何回かあった。

落ち込む、というより、自信を喪失するきっかけとなった出来事を思い出す、振り返る、という感じだったのかも。

こんなことがあれば、自信なんか持てるわけないよね、とか
こういう考えがあったから、自分はだめだと思ったんだね、とか 気づくきっかけになる。

今朝は、「頭ごなしにだめ出しして、自分とは何の関係もない型にはまろうとする」のは
家系で引き継がれてきたものなんだなと思った。
「これじゃダメなんだとっっ ホレっ」 といって、次の世代に丸投げするイメージが浮かんだ。

そして、「人に会っている自分」がいやでたまらないと思ったんだけど、
「人といると、 自分が無くなる感じがする」のは、錯覚なのかも とふと思った。

自分がなくなる感じがするから、なくならないように大げさなリアクションをするんだけど、

大げさな分が 「あとから後悔する分」なのかも。
「なんでそんなことやっちゃったんだろう?」という分。

その時は錯覚で「足りない」臨場感があるんだけど、
あとから一人になると錯覚はなくなってるから 「なんでそんなことやっちゃったんだろう?」と思う。

はたから見てて 「そんなことしなくていいのに」 というのを人がやるのは、そのせいなのかも。

何もしなくて十分なのに、本人は「足りない」と思ってるから何かプラスするんだけど、
周囲から見れば、そのプラスした分だけ不要。

ずーーと 自分がいやで、とくに「他人といる自分」がいやでいやで
年明けずっと 誰にも会えなかったんだけど、「錯覚かも」 という仮定が浮かんでからは、

それもそうかもな と自分でも思えてきて、
少し 人に会う気が出てきました。

2017-01-20 23:08:32