勝海舟の家扶で杉岡ヨシと言う方がいました。
ハンサムではないけれど、頭が良く機転がきいて愛層の良い若者でした。
彼は、勝家の敷地内にあるホイットニー家で、初めてイエス様のことを聞き、信仰をもち、6人の人と一緒に洗礼を受けました。
「アメリカに勉強に行き、宣教師になりたい、そしてお金持ちになり自分のように貧しくて勉強できない者たちを助けたい。」と、いつもクララに語っていました。
しかし、神戸に行って2~3ヵ月で肺病になって亡くなってしまうのです。
もし、杉岡ヨシが、牧師になったらどんない良かったかと思いました。
明治時代、本当に多くの若者が結核で亡くなっています。
勝海舟の息子の小鹿(ころく)の奥さんは、熱心に集会に出ていましたが、20歳でイエス様を信じ結核で亡くなりました。
当時、医学が発展していたら・・・と思うことがたくさんあります。
いまは、医学とともにいやしの祈りもあるので、もっといやされる方が多くなりました。
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