月下に杯を重ね

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繁慶(はんけい)

2005-11-17 15:45:31 | 刀工
 元の名を小野清堯(おのきよたか)といい、鉄砲鍛冶の出である。
 清堯作の鉄砲も相当数現存している。
 
 大坂城陥落後、天下は太平へと向かったため、鉄砲が今後不要になっていくのを見越し、刀鍛冶に転身した。同様の理由で鎧鍛冶から転身した虎徹(興里および興正)の例もあるが、転身成功者の数少ない一人である。
 繁慶は徳川家康の駿河移住に伴う形で駿河に移住し、その地で刀剣の鍛造法を学んだという。家康没後に江戸へ帰還。鉄砲町において作刀する。
 
 銘は「日本善清堯」「繁慶」「小野繁慶」。鉄砲名も刀銘も彫銘という特殊な銘を切る。彫銘は繁慶一門にのみ見られる特殊なものである。
 良業物。
 
 虎徹入道興里とは異なり、その師が誰であるかは全くわかっていない。
 ひじき肌という独特の鍛えと相州伝の大乱れ刃を焼き特徴的な作風である。おそらくは、相州正宗あたりを目指したものと考えられる。
 巷では、本阿弥某に己の作刀を正宗と鑑定され、「正宗のごとき凡工と間違われるのは無念である」とこぼしたとされるが、信頼出来る話ではない。
 なお繁慶は自作の刀や鉄砲を一宮や大社に奉納している。