暮れに父が亡くなって以後、あれこれと断続的に訪れる法要や手続きなどに追われている。今日はそんなあれこれから感じたことの一部を紹介してみようと思う。このブログをお読みのみなさんの中には、これからご両親を見送らなければならない方もいるだろう。そんな方の参考になればとも考えている。身内が亡くなることを前提にした話なんて縁起でもないと思われかもしれないが、この種のことは元気なうちに考えておくに越したことはない。大事な人が病気になって入院でもしてからでは死んだ後の話なんかできるものではない。死はいずれみんなに順番に訪れるものなのだから、笑い話で済むうちによく話合っておくのがいい。それがまず教訓の第一である。
さて、死亡直後のあれこれはともかくとして、最初にやらなければいけないことは葬儀の手配である。我が家は割りと古い家柄と言うこともあり、ごくありふれた平均的な日本人なので葬儀の方式に関しては余り疑問の余地がなかった。ともかく、祖父や母の際にもお世話になった近所の葬儀社と菩提寺に電話をして日程を確定してから、あちこちへ連絡をすることになる。ここで困るのは親戚はともかくとして、父の個人的に親交があった人たちが分からないのである。とりあえずは年賀状を探し出して眺めてみるが、連絡をした方がいいのかどうなのかが分からない。何でもいいから電話してしまうというのも一つの手だが、それなりの人数がいるし、連絡されても困惑するような人もいるだろう。結局考えた挙句、父が勤めていた会社のOBで作っていた旅行会と大学の同窓会の幹事を探し出し、そこにだけ連絡をすることにした。自分が死んだ時にどことどこに連絡してほしいのか、ちゃんとどこかにメモを残しておきましょう。これが教訓その2。
とりあえずは連絡を終えると今度は葬儀用の写真探しである。父は長いこと闘病生活を送っていたので最近の写真はほとんどチューブが挿入されているもので、まさかそんな写真を使うわけにはいかない。仕方なくかなり前の物でもいいからということで兄弟で写真を持ち寄って写真を選定。10年くらい前の写真も含めてなんだかんだ20枚くらいは集まったのだが、顔が小さかったり、眼鏡が光っていたりして、何とか使えそうなものは結局2枚しかなかった。そういえば、歳をとると写真を撮る機会が減るから、もしもの時のために毎年お正月の家族が集まった時などに意識して写真を撮っておいた方がいいと、今は亡き親戚のおばさんが言っていたのを思い出した。やはり年寄りの言うことはちゃんと聞いておくものである。これが教訓その3。
あんまり長々書くのもいかがなものかとは思うので、今回はこれくらいにしておくが、みなさんもこれだけは覚えておいた方がいいというようなアドバイスなどがあればコメントくださいね。
さて、死亡直後のあれこれはともかくとして、最初にやらなければいけないことは葬儀の手配である。我が家は割りと古い家柄と言うこともあり、ごくありふれた平均的な日本人なので葬儀の方式に関しては余り疑問の余地がなかった。ともかく、祖父や母の際にもお世話になった近所の葬儀社と菩提寺に電話をして日程を確定してから、あちこちへ連絡をすることになる。ここで困るのは親戚はともかくとして、父の個人的に親交があった人たちが分からないのである。とりあえずは年賀状を探し出して眺めてみるが、連絡をした方がいいのかどうなのかが分からない。何でもいいから電話してしまうというのも一つの手だが、それなりの人数がいるし、連絡されても困惑するような人もいるだろう。結局考えた挙句、父が勤めていた会社のOBで作っていた旅行会と大学の同窓会の幹事を探し出し、そこにだけ連絡をすることにした。自分が死んだ時にどことどこに連絡してほしいのか、ちゃんとどこかにメモを残しておきましょう。これが教訓その2。
とりあえずは連絡を終えると今度は葬儀用の写真探しである。父は長いこと闘病生活を送っていたので最近の写真はほとんどチューブが挿入されているもので、まさかそんな写真を使うわけにはいかない。仕方なくかなり前の物でもいいからということで兄弟で写真を持ち寄って写真を選定。10年くらい前の写真も含めてなんだかんだ20枚くらいは集まったのだが、顔が小さかったり、眼鏡が光っていたりして、何とか使えそうなものは結局2枚しかなかった。そういえば、歳をとると写真を撮る機会が減るから、もしもの時のために毎年お正月の家族が集まった時などに意識して写真を撮っておいた方がいいと、今は亡き親戚のおばさんが言っていたのを思い出した。やはり年寄りの言うことはちゃんと聞いておくものである。これが教訓その3。
あんまり長々書くのもいかがなものかとは思うので、今回はこれくらいにしておくが、みなさんもこれだけは覚えておいた方がいいというようなアドバイスなどがあればコメントくださいね。
あまりに突然のことで、すべてを彼女に頼っていた義実家の家族はバスタオルのある場所すらわからず、家庭の雑事は言わずもがなで...
意識が戻らぬまま、義母がなくなったあとも、「そういえばもしものときに互助会のようなものに入っていると言っていた」と、一度だけ聞いた話を覚えていたのは私で...本当に色々大変でした。
だから、「もし、私が今倒れたら、主人はどこに何があるかわかるだろうか?」
即、遺言を含めた諸々のリストを書きあげました。
悲しみの混乱の中にあっても、現実の問題は次々に遺族の目の前にあると思えば、もしものときを若いうちでも考え、自分の意志を示すのが大切なのかもしれませんね。
不孝が起きた時は悲しみでパニック状態の中、
しかるべき事はしまくてはいけないから。
我が家は旦那はんが50歳になったら何が起きても大丈夫なように全てをwordで打った物をプリントして渡してくれています。
なのでムームンパパさんのこの記事は大変参考になりました。
私の祖母は、まだ元気なうちに正装して遺影用の写真をスタジオで撮影していました。
亡くなった時は、それをさっと使えたのでとても良かったです。きっと、変な写真を使って欲しくなかったのだと思います。
それから、ブログに書いたとおり、父と祖母は血縁ではありませんから、遺産相続(といっても大したことはないのですが、そしてだからこそです)が大変でした。
養子縁組をしていなかったからです。
継母の時は、なかなかそこまではしませんよね。
でも、とても大切なことだと思いました。
手続きのことで、要らぬ心労を重ねてしまうからです。
まあ、今のところ、私は該当はなしですけど。
それから、私は葬儀は密葬でお願いしたいと思っています。遺書に書いておかないと・・・
あやうく自殺するところでした
チチに撮ってもらうことにしています。
でもハハも葬儀はいらないかなー。
義母の葬儀はほんとうに大変でしたから。
これは本人の話になってしまうんですけどね。
私の友人の親御さんは70歳を過ぎてから、身辺整理を始めたそうです。
思い出の写真とか旅行先のお土産の置物とか。
自分達が亡くなったあと、生前に残したもので、子供たちが判断に困って捨てられないものを残さないために…
かなりの物を廃棄したそうで…
こんな段取りも必要なのかもしれませんね。
普段から家事をさせなきゃいけませんね
若くてもやっぱり準備は必要ですなあ。
思っていても実際にやっている人は少ないですから
かっこいいおばあちゃんです。
密葬ですかあ。
普通と違う葬儀の時はかなり細かく決めておかないと残された人はとまどうかも。
私自身は葬儀は残された人が忙しさに紛れたり、
別れを様式化することによって
残された人の悲しみを和らげる効果もあるのかなあと思ってます。
お金はかけなくていいけどね