2.進行中、明日をつくる大作戦
昨秋、アメリカをひと回りしてきた。そのときの印象だが、わずか一、二年のうちに、またもアメリカは進んでいるという感じがあった。
変化はあらゆる面に見られたが、その中でもきわだった特徴は、ホーム・ファニッシング(furnishing=家具の備え付け、住まいづくり)の傾向が、ムードとして消費者の間に高まっているということであった。
これまで、アメリカ人は、元気がよいというか、大ざっばというか、住まいのムードを高めるということにあまり注意を払わなかった。そこがヨーロッパ市民の生活感覚と少し違ったところだった。しかし、ここにきて、アメリカ市民にも、自分の住まいの環境をよくしようという気持が急に高まってきたようである。
これはなぜかというと、やはり、外部に情熱をそそぐ対象が少なくなってきて、まず身のまわりから生活をつくっていかなければならなくなったということであろう。
自由世界の警察という役目を朝鮮戦争とベトナム戦争で果たし、やがて国内で反戦ムードが支配的になるという一連の流れがベトナム敗戦という形で終わったとき、アメリカ市民はそれぞれ自分たちの生活時点で、新しいアメリカ作りをはじめざるを得なくなったのである。
そこで、日本はどうかというと、こちらは少し違っていて、GNP至上主義時代においては、まだ市民生活レベルでの住まいのファニッシングは不可能という段階であり、そのまま不況の泥沼の中で沈滞化していった。
だが、国の経済政策が輪出型から内需型に切り替えられるにおよんで、原因は異なっていても、現象的にはまたもアメリカに追従する形になりつつある。
アメリカはいま土地ブームの初期に当たっている。昭和五十二年現在の数字を見ると、日本全体の土地評価額は三百六十兆円。ところがアメリカでは、日本の二十五倍もの国土がありながら、土地評価額は円換算で三百兆円を少し越したばかりである。しかし、このところ、急に高まったホーム・ファニッシングの意識を背景に地価がどんどん上りつつあるのだ。
アメリカの専門店は、この住宅及び住宅関連事情の急変に対応しようと、いま必死の転換をはかっているのである。さて、日本だが状況が似ているということであれば、基本的な戦略は同じであろうと思う。基本を踏まえて、あとはより日本的な住まいの環境づくりを考えていくということになる。
そこで、日本ではどうなのか。はっきりいえることは、もう家具だけをどうのこうのという時代は去ったということである。いかに大型化していっても、家具専門店というスタイルでは、時代の流れに対応できない状況になりつつある。
消費者はいま何を望んでいるのかということをはっきり見きわめ、その需要に合わせた商品構成を行なわなければならない。家具店は、家具専門店の枠から離れて、ますますホームセンター化していくのである。
また、ホームファニッシングは個人レベルではできない。消費者一人一人の頭の中でイメージ化することは不可能に近い。どのような住まいにするかという統一したイメージを、消費者が一人でつくり出すのは困難なのだ。
そこで、これらの多様なイメージはホームセンター側が作らなければならなくなる。消費者は数多くのモデルルームの中から選択するという作業を行なうことになろう。
そのためには、ホームセンター側に、優秀なインテリアデコレーターがいなければならない時代感覚と美的感覚の両方が優れたデコレーターは、そう簡単には養成できない。しかし、できないから、そのままで指をくわえていては時代にとり残されてしまう。
私の今後の最大の仕事は、早急に多くのインテリアデコレーターを育てることである。
アメリカとは、細部ではかなり生活感覚が違う日本で、インテリアデコレ一ターを育てるのは大変である。アメリカヘ行って見てきたものを、そのまま「サルマネ」するというわけにはいかないのである。
その発想でやればたちまち、前に書いたようにテレビのセット調になってしまう。「ゴールド・ブラッツではこうディスプレイしている」などという調子では本当のものはできない。日本の生活に調和していて、さらに美的な、夢のあるモデルルームがつくれなくては、一人前のデコレーターとはいえない。
こんな才能を持っているのは、ヤングの中でも百人に一人というところだろうとは容易に想像できる。ジェフサ会あたりとタイアップして、かなり本格的な学校をつくっても、モノになるのは百人に一人といえるだろう。これはロでいうような簡単な事業ではない。腰を据えて、大がかりなシステムを実行に移さない限り、かけ声倒れになるのは目に見えている。しかし、ホーム・ファニッシングという時代の大波はすぐそこまできているから、とにかく手をつけざるを得ないのである。 次へ
昨秋、アメリカをひと回りしてきた。そのときの印象だが、わずか一、二年のうちに、またもアメリカは進んでいるという感じがあった。
変化はあらゆる面に見られたが、その中でもきわだった特徴は、ホーム・ファニッシング(furnishing=家具の備え付け、住まいづくり)の傾向が、ムードとして消費者の間に高まっているということであった。
これまで、アメリカ人は、元気がよいというか、大ざっばというか、住まいのムードを高めるということにあまり注意を払わなかった。そこがヨーロッパ市民の生活感覚と少し違ったところだった。しかし、ここにきて、アメリカ市民にも、自分の住まいの環境をよくしようという気持が急に高まってきたようである。
これはなぜかというと、やはり、外部に情熱をそそぐ対象が少なくなってきて、まず身のまわりから生活をつくっていかなければならなくなったということであろう。
自由世界の警察という役目を朝鮮戦争とベトナム戦争で果たし、やがて国内で反戦ムードが支配的になるという一連の流れがベトナム敗戦という形で終わったとき、アメリカ市民はそれぞれ自分たちの生活時点で、新しいアメリカ作りをはじめざるを得なくなったのである。
そこで、日本はどうかというと、こちらは少し違っていて、GNP至上主義時代においては、まだ市民生活レベルでの住まいのファニッシングは不可能という段階であり、そのまま不況の泥沼の中で沈滞化していった。
だが、国の経済政策が輪出型から内需型に切り替えられるにおよんで、原因は異なっていても、現象的にはまたもアメリカに追従する形になりつつある。
アメリカはいま土地ブームの初期に当たっている。昭和五十二年現在の数字を見ると、日本全体の土地評価額は三百六十兆円。ところがアメリカでは、日本の二十五倍もの国土がありながら、土地評価額は円換算で三百兆円を少し越したばかりである。しかし、このところ、急に高まったホーム・ファニッシングの意識を背景に地価がどんどん上りつつあるのだ。
アメリカの専門店は、この住宅及び住宅関連事情の急変に対応しようと、いま必死の転換をはかっているのである。さて、日本だが状況が似ているということであれば、基本的な戦略は同じであろうと思う。基本を踏まえて、あとはより日本的な住まいの環境づくりを考えていくということになる。
そこで、日本ではどうなのか。はっきりいえることは、もう家具だけをどうのこうのという時代は去ったということである。いかに大型化していっても、家具専門店というスタイルでは、時代の流れに対応できない状況になりつつある。
消費者はいま何を望んでいるのかということをはっきり見きわめ、その需要に合わせた商品構成を行なわなければならない。家具店は、家具専門店の枠から離れて、ますますホームセンター化していくのである。
また、ホームファニッシングは個人レベルではできない。消費者一人一人の頭の中でイメージ化することは不可能に近い。どのような住まいにするかという統一したイメージを、消費者が一人でつくり出すのは困難なのだ。
そこで、これらの多様なイメージはホームセンター側が作らなければならなくなる。消費者は数多くのモデルルームの中から選択するという作業を行なうことになろう。
そのためには、ホームセンター側に、優秀なインテリアデコレーターがいなければならない時代感覚と美的感覚の両方が優れたデコレーターは、そう簡単には養成できない。しかし、できないから、そのままで指をくわえていては時代にとり残されてしまう。
私の今後の最大の仕事は、早急に多くのインテリアデコレーターを育てることである。
アメリカとは、細部ではかなり生活感覚が違う日本で、インテリアデコレ一ターを育てるのは大変である。アメリカヘ行って見てきたものを、そのまま「サルマネ」するというわけにはいかないのである。
その発想でやればたちまち、前に書いたようにテレビのセット調になってしまう。「ゴールド・ブラッツではこうディスプレイしている」などという調子では本当のものはできない。日本の生活に調和していて、さらに美的な、夢のあるモデルルームがつくれなくては、一人前のデコレーターとはいえない。
こんな才能を持っているのは、ヤングの中でも百人に一人というところだろうとは容易に想像できる。ジェフサ会あたりとタイアップして、かなり本格的な学校をつくっても、モノになるのは百人に一人といえるだろう。これはロでいうような簡単な事業ではない。腰を据えて、大がかりなシステムを実行に移さない限り、かけ声倒れになるのは目に見えている。しかし、ホーム・ファニッシングという時代の大波はすぐそこまできているから、とにかく手をつけざるを得ないのである。 次へ