佐藤のアトリエを訪れた道昌に対し、佐藤は誠意の応対をする。「日本の具象彫刻家として評価の高い先生であるにもかかわらず、なんと清々しい物腰であることか」--道昌は驚嘆の思いを禁じえなかった。
村内美術館オープン記念の一環として、正面玄関に佐藤の作品<若い女の像>を設置する時には、佐藤自らが指揮をとる姿をみて、道昌はますます佐藤に傾倒していく。
以来、道昌は佐藤の展覧会や講演会は必ず視聴し、宮崎県美術館に佐藤忠良記念館がオープンした時には、イの一番に飛んでいく。
佐藤はよく人に対して「もの造りが自分の作についておしゃべりすると、カメラのシャッターより速く、その言葉が作品にはね返りひけらかしや申し訳になりかねない」という意味のことを話す。だから「自分の想いのすべてを語っている作品に対峙してもらうのが一番」と佐藤はいうのだが、道昌は最近の日本人がすっかり失いつつあるシャイな精神を、今なお持ち続けるそうした佐藤に、作家というよりも、一人の人間としていわくいいがたしの魅力を感じるのだ。
村内美術館開館十五周年の記念催事をどうするか、道昌の胸にはアレコレの計画が去来したが、学芸員が提案してきた「佐藤忠良展」の企画に、即ヒザを叩いてOKを出したのも、佐藤を長い間見つづけてきた道昌の想いがあったからこそだ。
村内美術館オープン記念の一環として、正面玄関に佐藤の作品<若い女の像>を設置する時には、佐藤自らが指揮をとる姿をみて、道昌はますます佐藤に傾倒していく。
以来、道昌は佐藤の展覧会や講演会は必ず視聴し、宮崎県美術館に佐藤忠良記念館がオープンした時には、イの一番に飛んでいく。
佐藤はよく人に対して「もの造りが自分の作についておしゃべりすると、カメラのシャッターより速く、その言葉が作品にはね返りひけらかしや申し訳になりかねない」という意味のことを話す。だから「自分の想いのすべてを語っている作品に対峙してもらうのが一番」と佐藤はいうのだが、道昌は最近の日本人がすっかり失いつつあるシャイな精神を、今なお持ち続けるそうした佐藤に、作家というよりも、一人の人間としていわくいいがたしの魅力を感じるのだ。
村内美術館開館十五周年の記念催事をどうするか、道昌の胸にはアレコレの計画が去来したが、学芸員が提案してきた「佐藤忠良展」の企画に、即ヒザを叩いてOKを出したのも、佐藤を長い間見つづけてきた道昌の想いがあったからこそだ。