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村内まごころ商法 & 剛毅の経営

昭和53年に出版された本と、ホームリビングに掲載された記事でたどる、村内道昌一代記

革新を求め続けて(11)

2007年01月23日 | Weblog
民族の特性を農耕民族型と騎馬民族型の二つのタイプで区分けした場合、道昌は自らの生き方、そして自企業の経営展開を農耕民族型と規定する。

この二十年間で道昌が出店展開した店舗数は、八王子本店を核に、府中店、相榎原店、立川店、南大沢店、厚木店--の六店舗であり、そのスピードは決して早くはない。これらの店の他に大月店、原宿店などもあったが、すでにスクラップしている。

その背景には眼前の動物、つまり獲物(顧客)を追い求めるというよりも、土地(市場)を耕やし、種(ウォンツやニーズ)を蒔き、その実(顧客)を収穫するという道昌独自のやり方がある。

ただし、農耕民族型とはいえ、道昌のやり方は創意工夫を追求する、どちらかといえば研究実践型であり、ただただ忍従型の農民タイプではないということだ。

そうした道昌の開拓者的農耕経営の姿勢を端的に表しているものに会社案内がある。最新の会社案内のテーマは″draw(ドロー=引き出す)″。その前が″Flexible Eyes(柔軟な目)″。いずれも単なる会社案内ではない。道昌の人生哲学、経営思想がそのバックボーンとなっており、求職活動の学生から経営のプロにいたるまで、思わず引き込まれる中身の濃さをもつ。

今、村内がなにをしようとしているのか、そして、今後どのような方向を考えているのか--″draw″は、村内を超えて業界そのものを考えさせられるドキュメントでもある。

革新を求め続けて(12)

2007年01月22日 | Weblog
最新の企業案内″draw″の冒頭から。

 「あなたの洋服ダンスの、一番右上の引き出しには、何がありますか?
 会社のデスクの、膝の上の平たい引き出しには、何がありますか。
 もちろん中味は人それぞれ。でもたくさんのモノを収納するには、できるだけ多くの引き出しがあったほうが、何かと便利ですよね。
 私たち村内ファニチャーアクセスにも、たくさんの引き出しがあります。
 そしてその中には、たくさんの『アイデア』が詰まっています。
 ニューマーケットをターゲットにした家具売り場を考えてみよう、とか。
 都心から少し離れた場所に店舗展開をしたらどうなるか、とか。
 美術品や自動車、ログハウスも日常生活の延長といえないか、とか。
 村内ファニチャーアクセスは、新しいアイデアの引き出しを、どんどん引き出して、現在の家具専門店の在り方を模索しているのです。結論はまだ見えていません。
 でも、だからこそ面白いと思うのです」

道昌の日常姿勢が気張りや気取りのない散文詩形態のコピーに表現されており、ついつい次ページへ目を移したくなるような企業案内である。

内容は以下①店舗内店舗「Choice」の試み=新家族が語る″選択″の時代②村内式売り場づくりの戦略=「洋8畳」を再現する③店舗展開の根底にあるもの=日本のメーベルフイスタたれ④生活のエンターテイメント=クールベのある風景--などと続く。

革新を求め続けて(13)

2007年01月21日 | Weblog
百姓商法を自認する道昌ではあるが、どっこい、その百姓商法はクワ・スキに依存した人力一辺倒の前近代的な形にはない。

売り場は常に時代を反映し、園芸的な明るさをもつ。時にチューリップ畑となり、時に紫陽花の大輪が開いているかと思えば、愛らしいポピーが咲き乱れるといったように、とりわけ八王子本店の売り場は刻々と違った顛を見せる。

売り場に並べられる家具は商品である。商品は生鮮食料品はいうまでもないことだが、家具といえども鮮度を失い最後には腐っていく。

売り場での腐敗を防ぐためには、ユーザーニーズの変化をとらえた的確かつ間断のないマーチャングイジングと、それによって得られた新鮮な商品を斬新なディスプレー手法を核に、生活ソフトで味つけをしていくことが肝要となってくる。

その点、道昌の百姓商法は早くから売り場づくりの面でも近代化され、様々な技術革新が施されてきた。いってみれば米作にだけ依存することなく、麦作りも行い、果樹園芸にも取り組む。ばかりか、それぞれの分野での革新への絶えることのない挑戦がある。

POSシステムといえば、いまでこそ家具販売業界でも日常的に使われる言葉となったが、道昌はジェフサのリーダーとしていち早く、その導入を決断、そこからあがってくるデータをマーケティングとマーチヤングイジングに有効活用するという点で業界のトップを走る。

仕入れ・買い掛け管理、商品コントロール、売掛入金管理、顧客管理などのデータベースも、いまやコンピューターで管理する。

道昌の百姓商法は、コンピューターと人の心をミックスさせた独自の境地に達しつつあるともいえる。

革新を求め続けて(14)

2007年01月20日 | Weblog
革新へのあくなき挑戦--それが道昌商法の根本であるとすれば、それはどこからきているのか。

昭和五十年代前半のある年、道昌は年度テーマに「競争による充実」を掲げた。社内外を問わず、積極的な競争を仕掛け、そのエネルギーを村内グループの成長源にしていこうという考え方によるものだ。

道昌の「競争による充実」とは、村内商法のよりいっそうの強化を意味する。生活者の視点で商品構成を図り、売り場づくりを行い、そして生活ソフトの提案を行うとともに、ゲリラ的商法に対しては戦争も辞さない、という内外に対する闘争心の維持だ。

その闘争心は「事業経営者は精神的に老化してはならない」という常日頃の自戒から生まれてくる。さらにいえば、自らの精神を風化させないために、社内外の矛盾を的確にキャッチしうるピーンとしたアンテナを張っておかなければならない。革新といっても、矛盾を見いだす力がなければ、何を革新すべきかが分からない。経営者が精神的に老い、企業が成長性を失うと、社内外を取り巻く矛盾の所在が分からず、したがって革新すべき対象が不明になっていくことを指す。

その意味で、矛盾の発見努力と革新への方途は表裏一体をなすものであり、矛盾→革新→再矛盾→再革新の繰り返しが、すなわち「競争による充実」と道昌は考える。

昭和五十年代前半に掲げたこの「競争による充実」テーマは、決して一過性ではない骨太なテーマでもあるのだ。

革新を求め続けて(15)

2007年01月19日 | Weblog
道昌が昭和五十年代前半に掲げた「競争による充実」は外に対してばかりではなく、内に対するテーマでもあった。

たとえば、昭和五十一年九月から始められた「店対抗優勝制度」。これは支店長クラスの管理職を対象にして行われるもので、その月の成績によって優勝店の店長には、本部から優勝旗と金一封が贈られる。ゲーム感覚の中で中間管理者の経営管理能力を養成していこうというのが狙いであった。問題は何を成績評価の対象にするかだが、スタート時点の考課ポイントは①売上実績=五〇点②ビル清掃状況=一〇点③商品清掃状況=一〇点④代金回収状況=一〇点⑤勤怠状況=五点⑥車輌管理状況=五点⑦返品率状況=五点⑧商品完納率状況=五点--の八項目。

たとえば売上実績は目標達成率×二分の一で計算される。ある店のある月の売上日標が三億円とすると、三億円の達成で五〇点、二億円の実績で三三点となる。売上実績については客観的な数字がそのまま出るが、他の考課ポイントの中には、客観的査定の出しにくい内容もある。

そこで、ビル清掃は総務部、商品清掃は本部商品部、代金回収は経理課、勤怠は総務部人事課、車輌管理は総務部車輌管理者、返品率はコンピューター室--など、査定する側の担当部署をキチンと決め、客観性を維持できるように工夫。

コンクールといえばたいていの企業は売上中心主義である。その方が簡単だからだ。しかし、道昌の狙いは、このコンクールを通じて、売り上げに付随する管理者としての総合管理能力を育成するところにあり、当然のことながら、その考課ポイントはキメの細かいものとなった。

革新を求め続けて(16)

2007年01月18日 | Weblog
「店対抗優勝制度」は、店長クラスの管理者能力の向上育成という狙いとともに、立地状況、店舗規模、さらには顧客条件など、展開する支店によって異なる販売環境を、本部としてどう適正にチェックしていくか、という支店管理のシステム化を目指すものでもあった。

全店共通して評価すベきポイント、支店の特殊な条件を加味してポイントを振り分けていくシステムの構築は、経営サイドに冷静な分析能力を要求することにもなり、また、その要求が経営サイドに不断の努力を迫ることにもなる。

「店対抗優勝制度」のほかに、たとえば道昌は「ディスプレーコンテスト」なども発案しその継続実施に力を注いだ。

スタート時点での内容を紹介すると、本店の販売員を対象にブライダルフロアチーム、クラシックファニチャーフロアチーム、リビングフロアチーム--など、アイテムフロア別に十五チームに区分。その中にはテナントも含まれ、ディスプレーの技術を競い合うというものだ。審査のポイントは十項目。一項目につき十点ずつを配し合計百点満点。

具体的なポイントは①商品・売り場の清掃状況②商品の整理整頓状況③プライスカード・POPカード状況④照明効果の状況⑤売りやすさ・買いやすさの状況⑥商品どうしの配色および季節感の状況⑦関連商品の演出状況⑧見せ場の演出状況⑨売り場の創意工夫状況⑩売り場のエキサイト状況--などだが、この十項目には受身(基礎)的課題と能動(応用)的課題が巧みに盛り込まれており、「店対抗優勝制度」と同様、複眼的な内容志向にあることが分かる。

自身と社員を磨く(1)

2007年01月17日 | Weblog
店長クラスの管理者育成を目指した「店対抗優勝制度」や、売り場担当者全員参加による「ディスプレーコンテスト」を、道昌が発案実施した背景には「人材育成なくして企業の発展なし」という今日にいたるまでの終始一貫した道昌の考え方がある。

″人材育成″の必要性は、少なくとも経営者なら誰しも考えることだ。しかし、そのための方法や実施をどのように効果的かつ継続的に行っていくか、ということになると、一歩前に足が出ないということになり勝ちだ。

その結果、よくても外部の研修機関に社員教育を預けてしまうか、悪ければなんの手も打たないで社員の質の悪さをなげくばかりということになる。

その点、道昌は「人は放っとくままでは能力を高めることができないばかりか、その人が本来的にもっている能力すらも十分に発揮することは不可能」と考える。これはなにも社員を信用していないということではなく、自身の体験的経験法則にもとづくもので、道昌自身「チョッと油断していると怠け心が出てくる」ことと常に闘い続けてきた反省を土台にしてのことだ。

自身の体験と社員を見つめ続けてきた教訓から、道昌は社員づくりとは①教育の面②仕事に対するヤル気をいかに引き出すかという面--の両面をうまく組み合わせていくことが緊要と考えるようになった。

教育とは知識を教え込むことであり、それ自体はネガティブである。一方、ヤル気は得た知識を企業人としていかに活用し、それぞれの立場で業績向上に結びつけていくかの精神的ポジティブ要素であり、そのどちらが欠けても、企業人としての成長は不可能、と道昌は考えるのだ。

自身と社員を磨く(2)

2007年01月16日 | Weblog
社員ばかりではなく自身をも磨きっつけていくというのは、簡単なようでいてむずかしいことだ。とりわけ、組織のトップに立つ人は、その組織の大小を問わず、よほど己れに謙虚でないと、″裸の王様″になりかねない危険をもつ。

道昌はその危険から脱する方策として、一つの定点をもつ。″商売の原点への回帰″という定点である。迷ったら元に戻れ、とはよくいわれることだが、地理的な迷い道ならともかく、観念的色彩が強い商売の迷い道の場合、よほどしっかりとした定点をもっていないと、どこに戻ったらよいのか不分明になり勝ちだ。

すでに見た通り、オイルショック時、道昌は全社あげての節約キャンペーンに取り組んだ。道昌自ら率先しての節約運動は、日ならずして成果をあげはじめたが、その一方で社内に沈滞ムードがただよいはじめた。

道昌はこのままでは「角を矯めて牛を殺す」方向に行きかねないと感じ、定点に立ち返る。「お客さまあっての商売」という定点にだ。

全社を「お答さまのために」の方向にエネルギーを再集中させるため、道昌は迎賓館運動を打ち出す。小売業にとってお答さまは王様であり、その王様にご利用いただくお店は迎賓館であるべきだ、、と道昌は考えたのだ。

その運動を堆進するため、道昌はお客さまに対し率先して「いらっしゃいませ」「ありがとうございました」を誠心誠意発声するとともに、店内の清掃をはじめとする迎賓館運動のポイントを、全社員に明示する。

そのポイントは、すべてお答さまに対する基本的対応姿勢ばかりで、抽象的な事項は一切ない。道昌の立ち返るべき定点が明確だからだ。

自身と社員を磨く(3)

2007年01月15日 | Weblog
ちなみに迎賓館運動の指示ポイントは①掃除は完全に。清掃で美しい環境づくりを行う②明るく元気な挨拶③いつも元気で④さらに一層、深く正しい商品知識を身につけるために勉強しよう⑤よりよい商品をおすすめしよう⑧高級品はクレジットで⑦伝票は早く正確に作成する⑧必ずお茶の接待を⑨送迎の手配は早く正確に⑩手荷物はお持ちする⑪お帰りには心からの一言、「お幸せに・・・」「お大事に…・:」⑫お見送り厳守!」など、いずれも具体的なものばかりだ。

道昌自身、以上の指示ポイントを自らの課題として率先実行したことはいうまでもない。社員を磨くためには自らをまず磨く--上に立つものの基本原則を定点とする道昌にとっては、当たり前といえば当たり前の話だが、世の中、その当たり前のことができない経営者の多いことも事実だ。

八王子本店に村内美術館が併設されているが、いつ行っても売り場は、その美術館と同じように清潔感があふれていることに気がつく人は多いだろう。

その背景には、照明器具の上についている虫の死がい一匹、壁のわずかな汚れ、天井のわずかな一本のクモの糸--などにも気配りした掃除マニュアルがあるからだが、そのマニュアルも、道昌自身の姿勢があればこそ、全社員の行動指針として定着しているのだ。

自身と社員を磨く(4)

2007年01月14日 | Weblog
人は石垣、人は城--人材活用で戦国時代の最強騎馬軍団を創ったといわれる武田信玄の組織づくりは、今の企業にとっても不変の真理だろう。

道昌は営業の木口専務、財務の石井専務、そして社員・幹部のよき相談役としての妻の泰代専務--の三本柱を支えに、現在の村内ファニチャーアクセスを創りあげてきた。

同時に健一郎常務、弘道商品部部長の二人の息子を次代の村内ファニチャーアクセスを託すために、特に仕事を思い切ってまかせ、時に厳しく指導してきた。

平成元年九月、村内ホームセンターは社名を村内ファニチャーアクセスへ変更したが、CI導入のリーダー役となったのは健一郎であった。シンボルマークからロゴにいたるまでを一新する大がかりなCI導入であったが、ホームセンターからファニチャーアクセスヘの名称変更は、むしろ時代に逆行するのではないかという感じを抱いた業界関係者も多かったはずだ。

しかし、「家具専門店としてのあり方を持代とともに模索しつづけ、家具を核に生活者の日常生活の延長をもとらえていく」という道昌の考え方を理解していた健一郎は父、道昌との連携の中で一見時代に逆行するファニチャーの文字を社名にすり込むことを決断する。

その決断は、時代の流れの中で、いつしかホームセンターの名称がDIY型ショップの代名詞となってしまった現在、まさに正しかったといえる。どころか、ファニチャーアクセスの社名は、年とともに新鮮度を強めているともいえるから不思議だ。