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村内まごころ商法 & 剛毅の経営

昭和53年に出版された本と、ホームリビングに掲載された記事でたどる、村内道昌一代記

自身と社員を磨く(5)

2007年01月13日 | Weblog
村内ファニチャーアクセスは、家具販売業界の中にあって、常に革新を求め続ける数少ない企業の一社として知られる。

その革新への底力が、誰の目にも分かる形で表面化したのが平成元年九月に行われたCI導入だ。

CI導入に当たっては、長男の健一郎(現常務)が実行部隊長として活躍するが、いかにも村内というべきか、シンボルマーク、ロゴ、店内サイン、ユニフォーム、包装紙などのデザインを、米国のCI専門デザインコンサルタント企業として和られるブライト&アソシエイツ社に依頼する。

「家具インテリアに関してはヨーロッパが主流であり、それに追いつくには、国際的な視野と国際的な感覚で、これからの家具インテリアを表現する必要がある」という道昌の考え方を背景としてのことだ。

村内ホームセンターから村内ファニチャーアクセスヘのCI導入により、村内は全社をあげて商売の基本、初心に戻る。CI導入はえてして形だけに終わりがちだが、村内の場合は、それこそ社員一人一人の心持ちをガラリと変えるほどのインパクトをもって遂行された。

ブライト&アソシエイツ社を含め、CI導入に要した費用は、家具販売業界の常識を超えるものではあったが、その際に導入されたシンボルマークやロゴは、年を追うにしたがって斬新さを増しており、やる以上生半可に取り組むべきではないという道昌の心根が、まさにその新CIに光を投げ続けているかのようだ。

自身と社員を磨く(6)

2007年01月12日 | Weblog
自身と社員を磨く--そこにこそ企業としての革新力があると道昌は考える。そして、革新とは積みあげてきたものを、時には思い切って否定することにつながる。

村内ホームセンターの社名は地域社会にしっかりと定着し、またそのネーミングについて、道昌は大きな誇りと愛着をもっていた。

ホームセンターの商標について、西友が抗議を申し込んできた時にも、敢然としてハネのけた。

西友のいいぶんは「ホームセンターの名称は当社が商標登録をしており、貴社の店名は、当社の権利を侵害している」というものであった。

道昌からすれば、西友の抗議は噴飯ものであった。第一にホームセンターという普通名詞が、商標登録の対象になるのかという疑問。第二に村内ホームセンターは″村内″という固有名詞と一体化したものであり、村内とホームセンターは切っても切り離せないものであること。第三にそれよりもなによりも、ホームセンターの普通名詞を和ったのは、西友の商標登録以前、米国の流通業界を視察した時であり、ホームセンターの名称は西友独自の創造によるものではないこと。

道昌は理不尽なことには敢然と立ち向かう性格をもち、たとえ相手が天下の西武流通グループといえども、ひるむものではなかった。

結果は当たり前のことだが、道昌の主張が通った。

そうした事件を経験しているだけに、″ホームセンター″に対する道昌の愛着はひとしお強いものがあった。

しかし、道昌はそのホームセンターをあえてファニチャーアクセスに変更した。愛着を革新の心が超えたのである。

自身と社員を磨く(7)

2007年01月11日 | Weblog
バブル景気崩壊以降の経済環境、一向に進展のない行財政改革、足元にヒタヒタと押し寄せる高齢化・少子化を核とする社会基盤の変動--などから、道昌は中長期的にみても買気は低迷を続け、経済大国日本は、いずれ普通の国になり下がっていくのではないかと考える。

当然のことながら、家具インテリア需要は、バブル景気までのような右肩上がりの拡大は望むべくもなく、よくてレベル(水平)推移とみる。

市場規漢が右肩上がりの拡大期には、それなりの経営努力で、家具インテリア企業はお互いの成長を謳歌することができたが、これからは、生・販・卸ともに、規模の格差は拡大し、二極分化が強まっていくと道昌は考える。

定まったパイの中での出店競争、店舗規模の拡大競争は、今後も続き、その必然の結果として、家具専門店業界は転廃業、倒産をはじめとした企業淘汰が加速化し、米国と同じようなM&Aも日常化していくとみる。

そうした将来見通しの中で、道昌は自企業をどのような方向にもっていくべきか--をお客さまの視点で模索する。その姿勢は加住時代から一貫したものであり、道昌の定点でもある。

その定点に立って、自企業の方向を考える時、村内ファニチャーアクセスは、創業以来追求してきたお客さまにご満足していただける店づくりを、一番主義として追求していくことに、迷いがあってはならないという常なる結論に至る。

時代はカスタマー・サティスファクション(CS)という言葉を流行させているが、道昌はとうの昔からCSを定点としてきたのだ。

自身と社員を磨く(8)

2007年01月10日 | Weblog
道昌の二番日の息子、弘道(現取締役企画・商品本部部長)が、他社から戻ってきたのが十年前。
 
弘道は兄健一郎(現常務)と同様、様々な部門を経験するうち、自社の売り場に妙な違和感というか、疑問を感じるようになる。

インテリア雑誌や女性誌のインテリア特集などで取りあげられる内容と、自社の売り場がどこか違うのだ。

しかし、どこが違うのか、弘道自身にもハッキリとしない。「このままでは、いずれユーザーニーズやウォンツから、村内は大きくズレてしまうのではないか」と危機感を増幅させつつ、弘道はいろんな人に学ぶ姿勢で意見を聞いてまわる。

社内でも弘道は自社の売り場づくりや商品構成について、革新の必要性があることを説いていく。

そんな弘道の模索ぶりを見ていた道昌は「とりあえず自分の考えることを、売り場に具現化してみたらどうか」とアドバイスする。

弘道は社内の合意のもと、八王子本店内の二十五坪の売り場を、実験スペースとして借り受ける。

その小さなスペースを「二十歳代から三十歳代のニューファミリー層が楽しめる生活提案」をテーマに、自らが考える方向で商品展開を図る。

それが「Choice(チョイス)」のスタートである。売り場改革を目的としたこのチョイスは、弘道の試行錯誤の中で徐々に成果を表しはじめ、やがて村内ブランドとして成長していく。

自身と社員を磨く(9)

2007年01月09日 | Weblog
「何かが違う」、「最近のユーザートレンドと、どこかがズレているのではないか」--村内弘道(現企画・商品本部部長)の疑問からスタートした「Choice(チョイス)」は芽から若葉へ、そして若木へ着実に成長していく。

八王子本店内のわずか二十五坪の売り場づくりのため、弘道がリーダーをつとめる業務改革推進室は、妥協のない自主マーチャングイジングを徹底的に追求、「何かが違う」疑問の答えを求めてスタッフ一同、既成概念を振り払いつつ全国を歩きまわる。

木製小物や新しい感性の家具関連商品を求めて静岡に足を運び、インテリアグッズ関連の商品発掘と勉強のために、インターナショナルギフトショーをはじめとする、それこそありとあらゆる関連見本市を視察してまわる。

同時に「新トレンド」に乗った高感度な街・ショップ、たとえば東京の自由が丘や銀座プランタンなどにも納得がいくまで足を運ぶなど、弘道の疑問は一個人から、行革推進室のスタッフ全員へ、そして、企業全体へと波紋を広げていく。

そうした努力の中で二十五坪のチョイスは倍の五十坪へ、さらに平成六年度末の本店増床リニューアルの時、一千坪へ一気の拡大を示す。

「二十歳代から三十歳代のニューファミリー層が楽しめる生活提案」を狙いとしたチョイスは、本店の巨大な売り場面積の中に埋もれるどころか、逆に村内の新しい顔として見事に花を開かせ、その種は相模原、府中、厚木の各店にも移植され、芽吹いていくことになる。

自身と社員を磨く(10)

2007年01月08日 | Weblog
改善と改革は似て非なるものがある。改善とは現状をある程度肯定した上で、その現状をより進化させることをいう。一方、改革は現状を否定し、全く新たなものを創り出すことを指す。

JRの例でいえば、同じ新幹線でも、東海道・山陽新幹線や東北新幹線は改革の路線にあり、山形新幹線や秋田新幹線は改善路線といえる。

村内弘道(現企画・南品本部部長)の疑問からスタートした「Choice〔チョイス)」は、その点からすれば、まさに改革路線上にあったといえる。

村内の既存売り場を否定し、全く新たな発想のもとに商品を発掘し、売り場を創り出す--とはいっても、事はそう簡単ではない。事に当たって、不退転の覚悟が担当者になければ、結果として、改革はなしくずしに崩れ、改善次元にとどまればよく、悪くすれば、ただただ現状に混乱をもたらすことになりかねない。

道昌は弘道の疑問を良しとし、二十五坪の売り場、つまり、その疑問の解答場所を与えるが、同特に、弘道をはじめとするスタッフの姿勢を不退転とさせるために、独立採算制をとる。

以降、今日にいたるまで、チョイスは店舗内店舗として、常に売り場生産性を問われ続けている。

「形だけの改革ならある程度はできる。小売り業の改革である以上、付加価値を求めるべきだ」という道昌の考え方によるものだ。土を耕し、実を確実に刈り取る--道昌の百姓商法からしても、それは当然のことでもあった。

自身と社員を磨く(11)

2007年01月07日 | Weblog
道昌の発想は時に常人からみると飛躍する。たとえば「家具専門店だからといって、その範囲の中でモノを考えていたのではダメだ。なぜ、ディズニーランドがあれほどににぎわっているのか。しかもリピート客が多い。家具専門店もディズニーランドに学ぶべきことがたくさんあるはずだ」と考える。

普通の家具専門店経営者であれば、自らをディズニーランドに比することなど思いもよらないはずだ。しかし、道昌にとっては、家具専門店の売り場もディズニーランドと同様、夢と楽しさをお客さまにアピールするエンターテイメントの場であることになんら変わりはない。

そんな発想が、飛騨・高山や旭川の家具を集めた催事を成功させる原動力ともなってきた。

これらのイベントは、木口南専務の発案によるものだが、その根底に「家具専門店をディズニーランドと同じエンターテイメントの精神を持つべきだ」との道昌の考え方が、木口の肌身にも浸透。単に産地メーカーのものを集めて展示販売するということではなく、″お祭り″にポイントを置いたイベント考案の礎になったといえる。

その後、飛騨・高山展や旭川家具工芸展は、折にふれての同社の重要な催事企画に成長しつつあるが、両催事の成功は店外でも思わぬ波紋を広げはじめる。

この十一月二十六日から開催される東京国際家具見本市で飛騨・高山と旭川が共同ブース出品するキッカケとなったのだ。

自身と社員を磨く(12)

2007年01月06日 | Weblog
十一月二十八日、横浜港北店がオープンした。地主との折衝をはじめてから五年を経過、地上六階建て、地下一階のビルの二階、三階の二フロアに村内ファニチャーアクセス、一階に上新電機、五階にスポーツクラブのNAS港北、その他のフロアは駐車場・駐輪場のコンプレックスビルが、横浜市営地下鉄線・センター南駅前に、とりわけ目立つ形でそびえる。

駅前広場を挟んで反対側では、港北東急百貨店ショッピングセンターが、来年四月のオープンを目指して建設を急ぐ。横浜駅から新幹線の新横浜駅を通り越して、センター南にいたるまでの沿線は、中高層住宅、戸建て住宅が建ち並び、なお開発中だ。

その開発発展途上の商圏のド真中に横浜港北店はオープンした。五年前の地主との交渉からビルの建ち上げ、そして売り場づくりにいたるまでの前線指揮をとってきたのが、健一郎常務だ。

道昌は折にふれて相談に乗り、アドバイスはしてきたものの、あえて後陣に位置し続けてきた。売り場のレイアウト、商品のセレクトといった開店準備の実務段階から、二十八日のオープンにいたるまで、道昌が新店に脚を運んだのはわずかに二回であった。

健一郎常務をリーダーとする開店準備のスタッフは二十代、三十代によって行われた。「新しい洒は新しい革袋に」の方針を道昌はあえて押し通した。それは厚木店オープンにあたっての姿勢を、さらに徹底させたものであった。

自身と社員を磨く(13)

2007年01月05日 | Weblog
横浜港北店の開設準備の一切を健一郎常務をリーダーとする若手スタッフにまかせ切ったとはいえ、創業以来、常に前線に立ち続けてきた道昌にとっては、どのような商品構成で、どのような売り場づくりをするのか、心配であった。

しかし、でき上がった売り場を点検しつつ自分ならここはこうするのにという思いが多少わきあがったとはいえ、全体としては「若手にまかせてよかった。なるほど、こういう構成方法もあったのか」とスタッフの時代をとらえた売り場づくりの手法に、感心する部分が多かったといえる。

一方、健一郎にとっては、地主との交渉から開店にいたるまで、初めてすべての責任をまかされたのがこの横浜港北店であった。

厚木店でも売り場づくりの先頭に立ったとはいえ、横浜港北店とは気合の入れ方が異なっていた。

それは、横浜港北店が村内ファニチャーアクセスにとって、再躍進の分岐店舗としての位置を占めることになるだろうという読みが、この数年の中で健一郎の胸の内を次第次第に占めはじめていたからだ。

店舗規模、立地、顧客の質と量など、店舗を取り巻く市場環境のどれをとっても、横浜港北店は八王子本店に次ぐ核店舗に位置づけられる与件をもっており、それだけにこれまでの出店とは別次元でこの新店を立ち上げていく必要があると健一郎は考えてきた。

住まいを生まれて初めて八王子から横浜へ移し、また、初めての店長役を引き受けたのも、横浜港北店開設の重みが、村内ファニチャーアクセスにとってどれほどのものか、健一郎自身が肌身で感じたからこそである。

自身と社員を磨く(14)

2007年01月04日 | Weblog
横浜港北店は一階が家電量販店の上新電機、二~三階が村内ファニチャーアクセスのコンプレックスストア(複合)形態をとる。

一つの建物内でのコンプレックス形態、とりわけ家具企業が二階以上のフロアに展開する場合、店舗存在のアピールカが路面店に比較すると弱くなりがちである。

健一郎常務は、その弱点をカバーするために、″コロンブスの卵″的な打開策を図る。

上新電機が展開する一階正面入り口の左右にショールームを開設し、二階との連動性を図る。

正面入り口を挟む形で、右側にイノベーターショップ、左側にロゼスタジオを設けることで、上新電機のみを目的として来店する客にも、村内ファニチャーアクセスの存在をアピール、一階と二~三階の分断を避ける--まさにコロンブスの卵的発想といえるだろう。

ロゼスタジオは二百五十平方メートル、イノベーターショップは百五十平方メートルと面積は小さいながらも、村内ファニチャーアクセスが同業他社に先駆けて生活者に提案してきたベーシック、モダン、クラシック、カントリーの四つのライフスタイルのうちの一つ、シンプルモダンのアピールが力強く行われる。

これまでにも、村内ファニチャーアクセスは様々な実験的売り場づくりに挑戦、その多くを業界に定着させてきたが、横浜港北店もコンプレックスストアのマイナス面を打開する妙手として、今後、同業他社のケーススタディになっていくに違いない。