Road to 50’s ~50歳への道~

ナイスな50歳になるための日記

カウントダウン

うあぁぁ

2005年12月25日 14時12分47秒 | 企業経営理論
下の経営をしっかり理解するの記事を書いたら自分の会社のことを考えてしまった。結構重要なことなので備忘録。

今、会社の新規事業について論議がされている。内部的な見方では、一見、シナジーを発揮でき、グループ内の新しい事業の柱にしたいというような経営施策に見えるが、その実は外部から持ち込まれた案件をよく吟味せずに飛びついた馬鹿経営者という批評が強い。実際にそういう側面もあるw。
また、経営という側面からすれば、ビジネスチャンスがあり、失敗しても最小限の被害に食いとどまるのであれば飛びついてもしょうがないという見方もあるが、今は、企業の存亡をかけて本業リストラクチャリングをする段階であり、まずは経営資源を本業へ集中投下し、同業他社との競争優位性を確保するために、事業基盤を強化するべきであるという主張もある。私もそう考えている。
そこで、経営をしっかり考えるの第一章だけを読んだ脳みそで考えると、周りが否と考えている内容を是として取り組むこと、しかも、同業各社もそのアイディアはあるとはいえ、実行に逡巡している段階であることを考えると、スピードの経済性が追求できかつ、そこには異業種との連携というネットワークの経済性が存在するということであれば、もしかするとものすごく優れた経営判断なのではないかと一瞬思ってしまった。
しかし、ここで重要なのは、岩崎先生のことばどおり、そういった戦略発想の転換と同時に、それに対応して、組織を動かすマネジメントの論理を転換しなければ、新たな戦略経営が創出されることはないということである。
つまり、組織、マネジメント体制が柔軟に動ける状態ではなく、企業全体が古い体質にどっぷり浸かっている状態で戦略発想だけを新しくしてそっちへ動こうとすれば企業としては本業も維持できず、新規事業も失敗するという悲劇、そしてそれが企業の存続を危うくする可能性があるのであれば、それを押しとどめながら、本業での地道な改革をスピードを持って進め、早く、新しい戦略発想が生み出せる企業体質にしなければならないと考える。
まさに、「戦略は組織に従う」といったアンゾフの命題どおりである。あぁぁあw。

うほ

2005年12月04日 09時24分09秒 | 企業経営理論
ベシ問解いていて、HRMの教育訓練の問題でふと、M・T・Pってなんだ?と思い横道捜索に出ました。ネットではとりあえずここhttp://www.saitama-j.or.jp/~endo/polytec/polytec.htmhttp://www.b-post.com/info/info_personnel/zhouhou_jinji_026.htmlに到達。いろいろわかりました。前者のページでは管理者教育が各種リーダーシップ論と大きくリンクしていることを認識しました。例えばST(感受性訓練)はリーダーシップ類型論のレヴィンが、M・G・Tはブレーク&ムートンのマネジリアルグリッド論と、P・M理論は三隅二不二のPM理論(そのまんまw)など。あとは後者のページでは経営者教育に属するC・C・Sの内容がわかりました。CCSCivil Communication Section)。最高経営管理者層を対象に a)会社の方策の確立、b)合理的な組織の構成、c)人事、品質、生産等の管理、d)指導原理に基づき協調による会社運営を行なう等を目的とした訓練方式の事だそうです。


ドラッカー氏の冥福を祈る

2005年11月15日 01時49分58秒 | 企業経営理論
世界は経営学の大家を失った。日経の記事には、ドラッカー氏は経営学者、経済学者ではなく、社会心理学者だったというコメントが書いてあった。経営学はこれにつきるのではないかと稚拙な頭で考えた。「マーケティングの究極の目的はセリングを不要にすることだ」という言葉がまさにそれを示している。戦略的マーケティング=経営戦略の策定と実行であるわけであり、マーケティングは消費者のニーズ(顕在的、潜在的)を把握し、それを満足させるための具体的な行動を考え実行すること。これって、社会心理学以外の何者でもないのではないかと思う。単純すぎるか?とも思うが、私の脳においては、冒頭のコメントがこのように解釈された。このことと、Nancyさんのブログに書いてあった「企業のほとんどはサイコバス」ということは無関係ではない気がする。企業はゴーイングコンサーンであるために、ステークホルダーの満足を得ることが必要となるが、これも常々考えていたことだが、ステークホルダーの全員が同列にあるのかというと、答えは否ではないのか?株主は出資をしているかわりにリターンを得る。これが利害の利になるわけであるが、この利は企業が顧客に支持され、売上高が上がった結果つまり、顧客のニーズを把握し、満足を提供できた結果として得ることができるものであると考える。サイコバスな企業はこのあたりがおかしいことになっているのではないか?企業は株主のもの=配当重視=利益重視=売上高拡大=顧客満足の最大化=消費者ニーズの把握と具体的な実現策といった関係にならなければいけないのに、利益の重視=低コストオペレーションの推進と履き違え、コストに占める割合が最も大きい人件費削減に走る&コンプライアンス・環境保全にかかわるコストの低減に走る=労働力搾取・環境破壊という間違った式にはまっているのではないか?とふと思ってしまった。ドラッカー氏は理論理屈よりも、本当に人間や人間の心を軸にした理論展開をなさっていたので、いちいち腑に落ちることが多かったのもうなづけるきがする。大往生ということで、よかったと思う反面、太陽が失われたような喪失感があるというのが現在の心境である。