Made in Party

すてきな時間を

マザーテレサの愛した祈り

2011年03月29日 11時12分43秒 | 日記
憎しみのあるところに愛を     罪のあるところにゆるしを

争いのあるところに一致を     誤りのあるところに真理を

疑いのあるところに信仰を     絶望のあるところに希望を

闇のあるところに光りを     悲しみのあるところには喜びを

慰められるより慰めることを     理解されるよりも理解することを

愛されるよりは     愛することを




出来ることから 実践してみたいですね。 少しずつ。確実に。 地道な事だけど、少しずつ確実に。

震災がなければ生まれなかった商品だ  長期熟成ソース「クライマックス」を手にする道満社長(産経新聞)

2011年03月27日 14時14分23秒 | 日記
阪神淡路大震災の日が近づくと、毎年、頑張り抜いて来られた方々の談話が報じられます。そんなお話を読ませて頂いては励みにしています。
今日は、たまたま、ノートを開くと、書き留めてあった文章を抜粋してみました




オリバーソース空白2年半を新生と考え…“熟成”再び                     産経新聞 1月13日(木)11時7分配信より


【震災と企業 逆境を乗り越えて】(3)

 「トンカツソース」の生みの親として名高いオリバーソース(神戸市中央区)は、震災で創業の地・兵庫区にあった本社や工場7棟のうち3棟を焼失した。残り4棟も使用不能となり、壊滅的な被害を受けた。


 駆けつけた社長の道満(どうまん)雅彦(58)は目の前で燃える建物に、不思議と何の感慨もなかったという。ただ、恐ろしく熱かったことだけが記憶にある。

 2カ月半後に事業を再開したが、そこに追い打ちをかける事態が起こる。周辺が区画整理特別地域に指定されたのだ。同社が立ち退かなければ整理事業が進まない状況に陥った。地域の復興を妨げるわけにはいかない。道満は、創業の地を捨てることを決断した。

 新天地に選んだのがポートアイランド。第2期の用地では進出第1号で、当時はまだ道すらない。生産を開始したのが震災から2年半後の平成9年7月。文字通り“第2の創業”が始まった。

 「何もかも失ったが、この神戸でもう一度やってやる。そんな思いにあふれていた」と道満は振り返る。だが、現実は甘くはなかった。2年半のブランクは大きく、他社に一度明け渡したスーパーの棚は容易に戻ってこなかった。

 苦境を乗り切ることができたのは、社員の底力だった。新天地で何から何まで新しくなり、古い会社だったがゆえの制約が一切なくなった。それが新しい力を生んだ。

 震災前と同じ商品は1つもない。ラベルも容器も刷新した。商品すべてに「神戸」の冠をつけた。年間売り上げの1.5倍の借金を背負ってのスタートだったが、業績は右肩上がりで伸びていった。

 震災で焼け残った1つのタンクがある。そこには高級ソース「クライマックス」が貯蔵され、震災後10年にその3分の1を使って商品を企画した。長期熟成で独特の味と香りに生まれ変わっていた。昨年は同様に15年で発売、ともに利益はすべて震災遺児施設に寄付した。残る3分の1は静かに20年を待っている。

 毎年1月17日。その「クライマックス」と同じ商品名の長期熟成ソースを仕込むセレモニーが行われる。発売は3年後の1月17日。震災で1人亡くなった社員があの焼け残ったソースの製造担当で、これには弔いの思いもある。

 「あのとき、会社は完全に生まれ変わった」。道満はそう思う。そしてこの苦境を「むちゃくちゃおもしろかった」という。

 創業者の祖父から数えて道満は3代目。「普通なら敷かれた路線を歩いていた。でも、震災のおかげで創業のおもしろさを経験できた。ドラマの主人公を演じられたんです」

 「『会社を生まれ変わらせよ』。そういう天の意思だったのかもしれない」とすら思う。(文中敬称略)



このたびの、東北地方太平洋沖地震は阪神淡路の震災と比較にならないほどですが
個々に生き抜くエネルギーを私たちもチャージしましょうね。「生きながらえる!!」のではなく「生きのびましょう!!」