山とパンと中山道

岐阜市近郊の山歩きとパン作りの記録です。最近は中山道をぼつぼつ歩いています。

りんごパン

2007年12月31日 | パンづくり



12月29日(土)

 年末だけど、でもそんなの関係ねぇ!
 りんごをそれこそ山ほどもらって、りんごパン作り。

 レシピは、COOKPADのmi*co@キッチンさんのものを使用させてもらった。
 (http://cookpad.com/mykitchen/recipe/446450/)

 材料は
 餡
 りんご(紅玉)   1個
 砂糖        大さじ2
 生地
 強力粉       250g
 薄力粉       50g
 砂糖        30g
 スキムミルク    15g(なかったのでブライトで代用)
 卵         1個(艶出し用の卵白を少し取り分けておく)
 水         180g
 イースト      6g
 塩         6g
 シナモン      小さじ1
 バター       30g
 プリッツ      2本

餡づくり
 りんごの皮をむき、8等分に切り、さらに半分に切る。
 鉢に入れ、砂糖をふりかけ、ラップをしないで電子レンジで6~8分チンする。



生地作り
 強力粉、薄力粉、砂糖、スキムミルク、塩、イースト、シナモンを混ぜ合わせる。
 卵を水に溶かしたもので生地を15分ほど練りこむ。
 バターを入れ、さらに15分ほど練りこむ。

 1次発酵60分程度。
 生地が2倍以上に膨らんだら1次発酵終了。

 パンチして、1つ50g程度を目安に分割して丸める。今回は11個できた。



 乾燥させないようにラップをかぶせベンチタイムを15分とる。

 餡のりんごをキッチンペーパーに並べ、水気を取る。
 生地を麺棒で手のひらより大きいぐらいに伸ばし、りんご餡を包み込む。(りんごに水気が多いと生地がぬれてくっつかず閉じられなくなるので注意。)

 とじめを下にしてアルミホイルカップに入れる。
 真ん中を指で押しておへそを作る。(なかにりんごが入っているのであまりへこまない。)  



 2次発酵50分程度

 取り分けておいた卵白を生地に塗り、プリッツを適当な長さに切って、へこました部分に刺す。



 180度のオーブンで15分程度焼く。(焼く時間は焼き色を見ながら調節。)



 できあがり!
 オーブンの皿が小さく、パンがくっついてしまい、丸くないが、満足満足。

 最初プリッツがなく省略しようかと思ったが、あるのとないのでは見栄えが全然違う。買いに走って正解だった。
 中のりんごは水気を飛ばしても、焼くとまた出てくるので、出来上がっても結構しっとりしている。
 シナモンとりんごがよく合う。
 焼き立てがおいしいが、さめたらまたレンジでチンするとおいしい。


  

中仙道(美濃赤坂~青墓)

2007年12月24日 | 中山道
11月24日(日)

 例によって午後から中山道の続きを歩く。
 今日は美濃赤坂の西のはずれから西を目指す。
 季節がいいためか、同じようにてくてく歩く人が2,3組見られる。
 美濃赤坂は石灰の街でもあるため、大きな石灰工場がある。



 また、かつて工場から石灰を出荷していた鉄道の引込み線が今は廃線となり、雑草に覆われていて郷愁を誘う。
 赤坂の街を外れると、両側に家並みの続く普通の道になる。
 ここには岐阜県で一番大きい古墳「大塚古墳」があるはずなのだが場所がわからず通り過ぎてしまった。
 また、ここは、昼飯というちょっと変わった地名だが、その由来が、如来寺の入り口に書いてあった。



 長野の善光寺の本尊の如来様は大阪の海から引き上げられたものだが、長野まで運ぶ途中、この地で景色がいいため休憩し、お昼の弁当を食べたそうだ。それからこの地を昼飯というようになったとさ。
 ありがたいような、もったいないような、それで?というような…
 ついでに、その看板のすぐ後ろに水準点があった。



 ここを過ぎると東海道線の下をくぐる。
 東海道線はここから関が原に向けてかなり急勾配になる。
 そのため本来の垂井駅経由の線のほかに大きく北に迂回する線が敷かれたと聞いたことがある。しかし、今は電化に伴いあまり使われていないように聞いている。
 今くぐったのはこの北に迂回している線路だ。
 東海道線をくぐりしばらく歩くと、道から少し南に外れたところに「照手姫の水汲みの井戸の跡」がある。



 照手姫というのは歌舞伎で名前をちらっと聞いたことがあるがストーリーは知らなかった。



 照手姫と小栗判官の物語は、興味のある方は別途調べていただくとして、照手姫がここの長者に売られてきて遊女にされようとしたというのが、ストーリーのベースになっているのだが、もともと、この青墓の地は、遊女が大勢いてにぎわったところだったらしいので、あるいはそんなような女性もいたかもしれない。
 美濃赤坂という中仙道でも大きな宿場町なのでその近くには歓楽街があるというのは永遠の街のパターンなのだろう。
 ついでに、青墓という、これもちょっと変わった地名は、もともと大墓(おおはか)からきているらしい。