ピアノ弾きの休日♪

~ピアニスト&ピアノ講師 遊馬(岩間)俊恵の写真日記♪〜
日々感じること。出会った人。モノ。そして音楽。

リュリカ音楽工房は…

リュリカ音楽工房は神奈川県伊勢原市にあるピアノ教室です。 “リュリカ”とはロシア語で「ゆりかご」という意味です。生徒さんの成長をあたたかく見守り応援したい、という気持ちを込めて名付けました。 留学先のロシア・モスクワより帰国してすぐにピアノ教室を始め、18年。小さなお子さまから中高年の方まで、楽しくレッスンしております。 自身も子を持つ親となったこと、親子向けのコンサートをするなどの活動から学んだことを生かし、母親としての目線を大切に、心に寄り添うレッスンを心掛けています。 現在、空き枠が少なくなっておりますが、生徒さんは随時募集中です。 詳細は教室HPをご覧ください(lyulka-musica.simdif.com)

雨のコンサート

2017-05-13 22:20:01 | Piccoliniの活動


今日は雨の中…というよりほとんど嵐の中、先週リハーサルを行った会場でのコンサートでした


青少年会館の音楽室で最終確認をしてから、いざ八幡山の洋館へ!


出番直前の控え室は、ゴージャスな応接セットが置いてあって、ドレスなんて着ていると貴族の姫君達のように見えます



今日は45分ほどのプログラムの中、私はフルート真美さん&ヴァイオリン優ちゃんとのトリオで、

ヘンデルの『アッラ・ホーンパイプ』と
〈魔女の宅急便〉から『海の見える街』、
シモネッティの『マドリガル』という小品を。


フルート真美さんと二人で、ピアソラの『リベルタンゴ』を演奏しました。


最後に信長貴富の〈ヴィヴァルディが見た日本の四季〉より《春》「花」を、本日の出演メンバー全員で。



悪天候にもかかわらず最後までお聴き下さったお客様、本当にありがとうございました。

熱心に、そしてとても温かい雰囲気で聴いてくださり、演奏していた私たちもとても幸せでした。


来月、またこちらの会場でのコンサートを予定しているため、明日からは早速そちらのプログラムを弾き込まなくてはなりません。

またトリオでの演奏もありますし、ピアノ連弾、歌の伴奏、ピアノソロも弾きます。

計画的に時間を作って練習しよう!

素敵な演奏ができるよう、また精進いたします

留学当時のこと

2017-05-13 10:25:57 | 音楽



友人かおかおの新しいブログが面白すぎるので、ぜひともご覧いただきたい。

ピアニストmama♪ 留学白書


かおかおの話を読んでいると、薄れかけている自分のことも思い出してくる。

私の留学も、もうかれこれ16〜17年前のことだからなあ。。。


かおかおは当時だけでなく今もだけれど、毎日欠かさず日記を書き続けているらしい。

私は時々気まぐれに思いつくものの、三日坊主ではないけれど毎日は続かないので、書き続けている期間があったり全く記録のない期間もあったりだ。

なのでもったいないことに、人生において一度きりだったであろう、あんなにも激動の時代の記録がほとんど残っていないと思う。

あまりにも強烈な体験ばかりで忘れようもないと思っていたけれど、これだけ時間が経ち、今は生活環境も余りにも別世界で、日々のバタバタに埋もれて行くものなんだなー。



しかし私の場合日記的なものを書く時は、友人はもちろん彼氏にも親にも言えないようなどす黒い気持ちや、自分の感情を持て余してどうにもならない時に書くことが多く、とても人様にお見せできる代物じゃないし、

若気の至りと言うのか、自意識過剰で視野が狭くプライドばかり高くて、自分でさえ読み返すと過去を消しゴムで消し去りたいほど恥ずかしくなるので、どこかにしまってあるはずの当時の手帳やらノートやらを探し出すのにも勇気がいる。

写真も、当時はまだネガだったけれど、たくさん撮ったからどこかにあると思うのだけれど。




モスクワでの小話は書き始めたらキリがないのでいつかじっくりと文字にしたいけれど、、、

最初に降り立つ空港は、照明の半分以上が切れているのか省エネのため点けていないのかいつも薄暗くて、着いた途端に心細くなったこと。

空港内のエスカレーターもほとんどが動いてなかったので、機内に持ち込んだ大きなカバンをかついで広ーい空港を出口まで歩き、昇ったり降りたりしたこと。

モスクワに行ったのが9月に入ってからで、すでに日本の冬用のコートを着るほど寒かったこと。

モスクワの冬はそんなピラピラのコートで歩いてたら死ぬよ、と言われ、ロシア人が行くような市場に連れて行ってもらい10kgはあったであろうドゥブリョンカというコートを買ったこと。

噂には聞いていたけれどあちこちの公衆トイレは本当に衝撃的に汚くて、そして座るべき便座がないので上って用を足さなければならなかったこと。

特に音楽院の寮は酷かった…思い出しても気持ちが悪くなる。

汚い話で本当に申し訳ないが、一度などシャワー室の床に大便が落ちていたことがあり、これまた電気が切れていて暗闇の中でシャワーを浴びていたので踏んでしまったことがあった…

寮の中を野良犬がウロウロしている事があったので、犬が用を足したのだろうか??
まさかまさか、ヒトのモノでは無いよね…今でも残る謎である。。。



そんな寮に嫌気がさし、人間らしい暮らしを求めて一人暮らしをするための住処を探したこと。

ピアノを購入するのに大変な思いをしたこと。

街中を歩いていると酔っ払いに抱きつかれたり、すれ違いざまに「中国人!」と罵られて泣きたくなったこと。。。

2年目に入った頃、当時はまだ出始めだったノートパソコンを持って行って、日本とメールのやり取りが出来るようになったんだけれど、それもまたものすごーーーく大変だった。


あー、書き始めると結構思い出すな〜



日本では起こり得ないハプニングや、拙いロシア語でなんとかやり取りして乗り切った様々な出来事が、私を今のように逞しくタフにしたと思う。

私はくじ運は悪いけれど、だからこそ命の危険のような目にも会わなかったのかもしれないと思っている。

休暇で日本に帰国する度に、緊張の糸が切れたように高熱を出して寝込むことはあったけれど、向こうでは風邪くらいは引いたけれど一度も病院には行かなかった。



文字通り右も左もわからない所へ、大した準備もしないで若さと度胸と無鉄砲さだけで飛び込んでしまい、

今思うとよく無事に今の時代を生きていられたものだ


ともかく今の私があるのは、あの頃の頑張りのおかげ。

一言だけ、もしあの頃の自分に言うことが出来るなら、せめてもう少しロシア語を勉強してから行くべきだったと忠告したいけれど