マオ猫日記
「リヨン気まま倶楽部」編集日記
 



(写真)スイス・ジュネーブの国連欧州本部(旧国際連盟本部)近くにある赤十字国際委員会(ICRC)本部

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 こうして各国の国別赤十字等団体がそれぞれの保護標章を持つのは一見よいこのとのようでいて、実際は必ずしもそうではありませんでした。というのも、そもそも「赤十字」自身、「人道・公平・中立・独立・奉仕・単一・世界性」という7原則で明らかなように政治的・宗教的な意義は全く無いにも関わらず、これをキリスト教的標章として主要宗教毎の標章を認めれば、却って本来の「赤十字」の中立性、公平性が失われてしまう恐れがあるからです。実際、例えばレバノン内戦当時、キリスト教系住民の支持する「レバノン赤十字社」とイスラム教系住民の支持する「レバノン赤新月社」が救護活動を「競った」り、キプロス内戦ではトルコ系住民で組織する北キプロス(トルコのみ国家承認)に「キプロス赤新月社」ができたという事例があり、それ故、ICRCとしても、「並存章」も含めて、「赤十字」の意匠に過大な政治的、宗教的意義を認めるのを拒否する姿勢を貫いてきたわけです。また、各国ごとに全く異なる標章が使用されればそれは国旗に等しく、赤十字運動の原則である単一性、世界性に反することにもなります。他方、現在の「赤十字」そのものを廃止して新たな標章を作るとの案に対しては、多くの人々が現行の「赤十字」に愛着を感じているため、これまた否定されてきた経緯があります。そもそも、「赤十字」標章は、各国の国別赤十字等団体がその存在を示す「表示」機能(従って、次に述べる武力紛争下での赤十字活動に従事する場合を除く他、国別赤十字団体と関係ない者がこのエンブレムを用いることはできません)と、武力紛争下で赤十字活動に従事する赤十字等団体、各国軍隊の医療部隊が軍事攻撃されないよう「保護」する機能がありますが、「赤十字」標章が4つも5つもできてしまえば、特に「保護」機能としての認識性が低下することも十分考えられるでしょう。

 そこで、今回登場したのがこの「赤結晶」(赤水晶、赤菱形、赤色クリスタル)で、正式には単に「第三の標章」と呼ばれています(写真上段右)。「赤結晶」の形状には如何なる政治的、宗教的意義も含んでおらず、またスイス軍による試験でも良好な視認性を持っていることが確認されているそうです。この「第三の標章」は1992年に当時のICRC議長が提言して以来検討が重ねられてきたもので、「赤十字」「赤新月」を統合するものではなく、あくまで諸般の事情から「赤十字」「赤新月」のどちらか一方に特定できない国の国別赤十字等団体のために第三の案として提示されるもの、とされています。従って、仮にこの「赤結晶」案が採用されたからといって、「日本赤十字社」がただちに「日本赤結晶社」(あるいは「日本赤菱社」?)になるわけでは勿論ありません。
 もっとも、実際の経緯としては、「赤ダビデ星」の使用を長年強硬に主張し続ける(しかも、パレスチナ紛争を抱えて赤十字運動のニーズは恒常的にある)イスラエルに押された、という側面もあるようで、現在の案では、各国赤十字社は「赤結晶」の菱形の中に適当な図形を加えることができることになっており、これでイスラエルの「赤ダビデ星」社も「赤ダビデ星を加えた赤結晶」を以ってIFRCに正式加盟できることになるようです(もっとも、この「追加方式」がジュネーブでの外交交渉でイスラム教諸国から承認されるかどうかは不明)。イスラエルとしても、「赤新月」が事実上イスラム教国むけに採用されてしまっている以上、自分達もユダヤ教的シンボルで対抗せざるを得ないということでしょうが、そうなると1929年に「赤獅子太陽」はともかく「赤新月」を採用してしまったことのツケがここに来て出てきている、と言えなくも無いかもしれません(ちなみに、イスラム教国の中でも、インドネシアやセネガル、レバノン(一部がイスラム教徒)、ボスニア(一部がイスラム教徒)は「赤十字」を採用しています)。個人的には、イスラム諸国を含めて、国際赤十字運動のマークは「赤十字」に統一されたほうがよい(赤新月、赤ダビデ星等は廃止すべき)と思います。
 さはさりながら、「赤十字」に対する宗教的嫌悪感からイスラム諸国で赤十字運動が展開できないような事態になれば、それはそれで問題だとは思います。しかし、そもそもイタリア統一戦争の悲惨な光景を目撃したアンリ・デュナンや実際に現場で働いているIFRC関係者にしてみれば、そんな次元の問題で現在のICRC事務局が時間と労力を削がれていること自体、嘆かわしいと思っているのではないでしょうか(その意味では、「赤十字」のデザイン問題に拘る国々には、個人的にはあまりいい印象が持てません)。実際、この「赤結晶」を見ても、「赤十字」を見慣れた人間としてはいまいちピンと来ませんし、現実に困っている(?)のはイスラエルぐらいのものなので、事実上1国ためにここまでやる必要があるのかなあ、というのが正直な感想です(ICRCとスイス政府は「ある」と判断したのでしょうけど)。その点、日本の国旗「日の丸」(日章旗)のデザイン(前頁写真下段右)ほうが、(日章旗として使われてさえいなければ)あるいは「第三の標章」として好適だったのかもしれません。

 結局、この「赤十字」「赤新月」問題は、それに対応する各国の宗教的寛容性、自由民主主義の定着度を測る一つのバロメーターなのかもしれません。

(参考文献)

赤十字国際委員会(ICRC)公式サイト
 http://www.icrc.org/

国際赤十字赤新月連盟(IFRC)公式サイト
 http://www.ifrc.org/

日本赤十字社公式サイト
 http://www.jrc.or.jp/

François Bugnion(赤十字国際委員会) TOWARDS A COMPREHENSIVE SOLUTION TO THE QUESTION OF THE EMBLEM Revised third edition
 www.icrc.org/web/eng/siteeng0.nsf/ htmlall/p0778/$File/ICRC_002_0778.PDF

Wikipedia「International Red Cross and Red Crescent Movement」
 http://en.wikipedia.org/wiki/Red_Cross



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コメント
 
 
 
Unknown (pe'z-ist)
2005-12-13 14:57:59
トラバありがとうございます!pe'z-istです。



 記事、とりあえず簡単に読ませていただきました。しかし濃い内容、今度はじっくり読んで色々考えさせていただきます。



 +がすべてキリスト教と考えられてしまえば、もしくは似たようなことが続けば、他でもキリがないですよね。
 
 
 
pe'z-istさん (菊地 健(マオ猫日記))
2005-12-13 15:50:43
 コメント投稿、ありがとうございました。

 

 日本人はしばしば宗教的センスが薄い(あまり宗教に拘らない)といわれますが、時にこれが海外でトラブルの原因になるものの、こうした(赤十字にまつわる)問題ではむしろプラスな性質だと思っています。



 それでは。
 
 
 
赤菱 crystal? diamond? (ugen)
2007-07-02 20:25:44
赤十字マークに渦巻く因縁を詳しくしることができました。
新しい赤菱マークについてですが、日本国内で「赤菱」は浦和レッズ(とその過激なサポーター)を意図するようですので、赤水晶と呼ばれるようにしたほうが良いと思います。
浦和レッズはcrystalではなくdiamondなんですが。
ややこしや、ややこしや。

来週から純イスラム教国家であるサウジアラビアに出張しますが、現地に持ち込むファーストエイドキットは外見も中見も赤十字マークだらけです。
大丈夫かな?
 
 
 
ugen様 (菊地 健(マオ猫日記))
2007-07-04 01:56:08
コメント投稿、ありがとうございました。

>日本国内で「赤菱」は浦和レッズ(とその過激なサポーター)を意図する

 そうなんですか、それは知りませんでした・・・。
 この他にも、世界各国でそれぞれ「赤菱」「赤水晶」が別の意味を持っているとなると、話は更にヤヤコシクなりますね。

 それにしても、サウジアラビアにご出張とのことですが、(私は現地は行ったことが無いですが)やはりメッカをかかえるイスラム教の総本山だけあって、宗教的な縛りは現代でも相当あるようです。日本人は欧米人ほどは憎まれ?てはいないかもしれませんが、どうぞお気をつけて。
 
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