4/27に池袋であった大友啓史監督 講演会(役者論)に行ってきました~。
大友さんは、とにかくマシンガントークなもんですからメモが追いつかない追いつかない(笑)。
正直、順番が前後しているかもしれません。
だって監督の話があっちこっちに飛ぶんだもん←おいこら
だから正直、会話内容はニュアンスでお楽しみいただきたく!!
ではでは始まり~。
+++++++++++++++++
(講演台、向って左側)
(講演台、向って右側)
深緑のジャケットに黒シャツ/黒ズボン/黒靴/安定のサングラス(茶色)で、登場しました我らが大友監督。
「わざわざ、わたくしごときの話を聞きにきて下さってありがとうございます」
と謙虚なお言葉。
「ま、このあたり(プラチナデータのポスターのニノを指しながら)が紛れ込んでるからかな?」
と言う辺りは流石というか(笑)
<聴講している大半が女性。前回のセミナーの時は男性も多かったから、言わずもがな・・・だよね。
今回は役者論ということで僕がしゃべりますが、質問形式で話を進めて行きたい。
ということで、最初にアンケートをとることに。
どの分野の質問がどれだけあるのか知りたいから最初に会場内アンケートをとりたいのが、その理由。
ま、そーだよね。
少なくともハゲタカ、龍馬伝、るろうに剣心、プラチナデータのD(メインD)をしてきたんだからね。それぞれのファンがいるのに適当に指していってPDだけ、とかになったら・・・苦笑。
でも予想に反して、会場内アンケでは等分になっていたかな?
(プラチナデータ、るろうに剣心、ハゲタカ等のNHK時代の作品の3つに分類してアンケートをとっていた。)
「あ、健闘していただいてるんですね。じゃ、特に心配しなくてもいいやあ!」という安堵?した監督のアッハッハ笑いと共に話がスタート。
++++++++
(週刊現代で役者論という連載をしている。役者と対談をしていって、役を通して本質に入っていくこと、一生懸命演じようとする力が演技力になるのではないか・・・という前フリの後で)
役者のルーツは、天上の言葉を神に代わって伝える人という見方がある。
「らしく」見せる、というのがあるでしょ?
総理大臣らしく、教師らしく、だったり。
本質はさておき、そういう「らしく」みせることによって、身の丈にあっていく。そして(本当はそうじゃなかったのに)本質に入って行くことがある。
そうやって、誰かを演じることで人が気づいていない事柄を気づかせる役割が役者にはある。
監督としてやりたいことは、役者を通じて言いたい事を届けたいし、役者を魅力的に魅せて行きたい。
演者の中には演じようとする意識と、それを客観視している意識がある。
(佐藤)健の中には、演じる意識と、お客さんの意識がある。
るろうに剣心とか、時代劇なんかは、いあわばコスプレですからね、乱暴にいうと。
しかし、(演じる)俳優自身がコスプレだと感じてしまったら、もう100%の演技は出来ない。(俳優が)「俺イケてる、剣心だ、人に見せてー!(見せたい!)」と思えないといけない。
龍馬伝では、龍馬の父親役を児玉さんが演じた。龍馬の父親は龍馬が生まれた時は47歳でした。
ご存知のように児玉さんは70代だった。幼少期を演じた濱田龍臣くんと親子の役だったけど、実年齢で言えば父と子というより祖父と孫くらい年が離れてる。
当然だけど、児玉清さんは70代で白髪だから、40代の児玉さんをつくってみたんです。最初は若く見せようと思って黒髪のカツラを被ってもらったりメイクを厚ぬりしたりした。(児玉さんは)とても悲しい顔をしてました。
やっぱり70代の肌のままだったんです。
皆さんもご存知でしょ?、厚く塗れば塗るほど悲惨なものになる。
それに・・・それは不自然で、視聴者も違和感を持つ(or ムリだって思う)だろうと思った。視聴者は児玉さんが70代のおじいさんってことを知っているわけだし。
だからカツラもメイクも自然なものに変えた。見た目が不自然だと役者も役に入れないから。
「止めますから、児玉サン。だからそんなに悲しそうな顔をしないでください。」って。
役者が自分を鏡でみて違和感を感じるようだと100%の演技はできない。70とか50%とか(監督がいった数字は正確かは解らない。とにかく低下する・・・という意図を読み取って下さい・・・byガバ鳥)になってしまう。
監督の仕事はいかに演技しやすい環境を整えることなんです。役者の体を通して言いたい事をお客さんに届けるようにすること、伝えていくこと。
それで(児玉さんにとって不自然な)メイクとかは止めた訳です。当然、外見には70代と40代のギャップがうまれます。普通なら不自然なことです。しかしその不自然さを乗り越えるのが児玉さんの演技の力になるわけです。
児玉さんは正座とかの武家の所作を一生懸命覚えて、あれ大変なんですよ・・・タツオミの、龍馬の父親になろうとした。そうした俳優さんのべつの人になろうとする、近づこうとする努力は、必ず映像に現れるんです。それを(自分は)撮りたい。信じたい。
自分の仕事は、役者が演じることに違和感を感じない環境を整えていくこと。映画の設定とは、嘘(フィクション)。設定の嘘を乗り越えて行くのは、役者の演じる力。役者が役になろうとする努力が画面に出てきたら、その瞬間に嘘が本当になる。嘘を納得させることができる。
「さ、これで役者論っていう最低限の義務は果たしましたんで!(ここで主催者側をちらっと見るw)質問形式に移りたいと思います!」
またしてもアッハッハ笑いと共に質問形式へ移行
「僕は口が軽いから、何でもペラペラ喋るから、ここだけの話といったものは対外的なものに書かないように!」とも言ってたなあ。
はてさて、その部分ってどこだったかしらん?
書いてしまったら「地の果てまで追いかける」と言ってたけどw
++++++++++
集中力がつきたので次回へ続く!!
大友さんは、とにかくマシンガントークなもんですからメモが追いつかない追いつかない(笑)。
正直、順番が前後しているかもしれません。
だって監督の話があっちこっちに飛ぶんだもん←おいこら
だから正直、会話内容はニュアンスでお楽しみいただきたく!!
ではでは始まり~。
+++++++++++++++++
(講演台、向って左側)
(講演台、向って右側)
深緑のジャケットに黒シャツ/黒ズボン/黒靴/安定のサングラス(茶色)で、登場しました我らが大友監督。
「わざわざ、わたくしごときの話を聞きにきて下さってありがとうございます」
と謙虚なお言葉。
「ま、このあたり(プラチナデータのポスターのニノを指しながら)が紛れ込んでるからかな?」
と言う辺りは流石というか(笑)
<聴講している大半が女性。前回のセミナーの時は男性も多かったから、言わずもがな・・・だよね。
今回は役者論ということで僕がしゃべりますが、質問形式で話を進めて行きたい。
ということで、最初にアンケートをとることに。
どの分野の質問がどれだけあるのか知りたいから最初に会場内アンケートをとりたいのが、その理由。
ま、そーだよね。
少なくともハゲタカ、龍馬伝、るろうに剣心、プラチナデータのD(メインD)をしてきたんだからね。それぞれのファンがいるのに適当に指していってPDだけ、とかになったら・・・苦笑。
でも予想に反して、会場内アンケでは等分になっていたかな?
(プラチナデータ、るろうに剣心、ハゲタカ等のNHK時代の作品の3つに分類してアンケートをとっていた。)
「あ、健闘していただいてるんですね。じゃ、特に心配しなくてもいいやあ!」という安堵?した監督のアッハッハ笑いと共に話がスタート。
++++++++
(週刊現代で役者論という連載をしている。役者と対談をしていって、役を通して本質に入っていくこと、一生懸命演じようとする力が演技力になるのではないか・・・という前フリの後で)
役者のルーツは、天上の言葉を神に代わって伝える人という見方がある。
「らしく」見せる、というのがあるでしょ?
総理大臣らしく、教師らしく、だったり。
本質はさておき、そういう「らしく」みせることによって、身の丈にあっていく。そして(本当はそうじゃなかったのに)本質に入って行くことがある。
そうやって、誰かを演じることで人が気づいていない事柄を気づかせる役割が役者にはある。
監督としてやりたいことは、役者を通じて言いたい事を届けたいし、役者を魅力的に魅せて行きたい。
演者の中には演じようとする意識と、それを客観視している意識がある。
(佐藤)健の中には、演じる意識と、お客さんの意識がある。
るろうに剣心とか、時代劇なんかは、いあわばコスプレですからね、乱暴にいうと。
しかし、(演じる)俳優自身がコスプレだと感じてしまったら、もう100%の演技は出来ない。(俳優が)「俺イケてる、剣心だ、人に見せてー!(見せたい!)」と思えないといけない。
龍馬伝では、龍馬の父親役を児玉さんが演じた。龍馬の父親は龍馬が生まれた時は47歳でした。
ご存知のように児玉さんは70代だった。幼少期を演じた濱田龍臣くんと親子の役だったけど、実年齢で言えば父と子というより祖父と孫くらい年が離れてる。
当然だけど、児玉清さんは70代で白髪だから、40代の児玉さんをつくってみたんです。最初は若く見せようと思って黒髪のカツラを被ってもらったりメイクを厚ぬりしたりした。(児玉さんは)とても悲しい顔をしてました。
やっぱり70代の肌のままだったんです。
皆さんもご存知でしょ?、厚く塗れば塗るほど悲惨なものになる。
それに・・・それは不自然で、視聴者も違和感を持つ(or ムリだって思う)だろうと思った。視聴者は児玉さんが70代のおじいさんってことを知っているわけだし。
だからカツラもメイクも自然なものに変えた。見た目が不自然だと役者も役に入れないから。
「止めますから、児玉サン。だからそんなに悲しそうな顔をしないでください。」って。
役者が自分を鏡でみて違和感を感じるようだと100%の演技はできない。70とか50%とか(監督がいった数字は正確かは解らない。とにかく低下する・・・という意図を読み取って下さい・・・byガバ鳥)になってしまう。
監督の仕事はいかに演技しやすい環境を整えることなんです。役者の体を通して言いたい事をお客さんに届けるようにすること、伝えていくこと。
それで(児玉さんにとって不自然な)メイクとかは止めた訳です。当然、外見には70代と40代のギャップがうまれます。普通なら不自然なことです。しかしその不自然さを乗り越えるのが児玉さんの演技の力になるわけです。
児玉さんは正座とかの武家の所作を一生懸命覚えて、あれ大変なんですよ・・・タツオミの、龍馬の父親になろうとした。そうした俳優さんのべつの人になろうとする、近づこうとする努力は、必ず映像に現れるんです。それを(自分は)撮りたい。信じたい。
自分の仕事は、役者が演じることに違和感を感じない環境を整えていくこと。映画の設定とは、嘘(フィクション)。設定の嘘を乗り越えて行くのは、役者の演じる力。役者が役になろうとする努力が画面に出てきたら、その瞬間に嘘が本当になる。嘘を納得させることができる。
「さ、これで役者論っていう最低限の義務は果たしましたんで!(ここで主催者側をちらっと見るw)質問形式に移りたいと思います!」
またしてもアッハッハ笑いと共に質問形式へ移行
「僕は口が軽いから、何でもペラペラ喋るから、ここだけの話といったものは対外的なものに書かないように!」とも言ってたなあ。
はてさて、その部分ってどこだったかしらん?
書いてしまったら「地の果てまで追いかける」と言ってたけどw
++++++++++
集中力がつきたので次回へ続く!!
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