読書日記と読書ノート 第三部(2013年6月~2015年6月) 吉野三郎

退職してから読書中心の生活をしています。読んだ本の感想を日記に記し、要点をノートに書いています。その紹介です。

24、佐藤達夫著・佐藤功補訂『日本国憲法成立史』(第四巻)(有斐閣)  -その1-(1/4)

2016-07-20 05:26:11 | 読書記録
(1)日記から
・2013年8月12日(月)
佐藤達夫【日本国憲法成立史】(第四巻)を70頁ほど。帝国議会審議、委員会審議の様子が細かく紹介されている。国体についての独特な政府解釈、保革議員によるそのあいまいさの追及、明治憲法との連続性に関する疑義、戦争放棄条項について自衛権・自衛戦争まで放棄するのは行き過ぎではないか、国内治安の維持はどうするのか、等々。第三章に関しては、権利ばかりで義務がない。社会権の保障が不十分、など。今になっても問題にされる様な論点がすでに出尽くしている。違いは提案する政府側が内容の革新性にも関わらず、手続き的な面での連続性-国体不変更-を言わざるを得なかったこと。矛盾を知りつつ公にできなかった。「自民党憲法改正草案」は、この時代の保守系議員の心情-天皇の権限強化と日本の特異性-を代弁している。

・8月13日(火)
「成立史」第四巻を100頁ほど。衆議院本会議と委員会審議における政府答弁にGHQ側が危機感を持ち、金森大臣に会談を求めた。ケーディス大佐は申し入れた。
ケーディス
…国民に主権があることを明示すること。政府答弁のように、国民と天皇が主権を分かち持つというようなことは容認できない。天皇は象徴であって、何ら統治に関する権能を持たない。のみならず主権者である国民は欲するなら天皇を廃止することもできる。それは憲法に主権が国民にあると明記することから導かれる。
金森は弁解した。
…象徴とは外から見て天皇が日本を現わしている、というにすぎない。天皇は何ら国家意思を体現しているものではない。天皇は国家の機関ではない。
 ケーディスは納得しなかった。米国から極東委員会の指令がマッカーサーに来ていた。天皇は儀礼的存在であるという条件でのみ存続が許される。改正案よりも天皇の権限を強めることは極東委員会が認めない。マッカーサーも政府案以上の日本への歩み寄りは不可能だった。
 この意向は金森から与党=自民党と進歩党に伝えられ、この後の小委員会で両党の修正案-前文と第一条に国民主権を明記する-提出につながった。この段階では君民同治はもちろん、天皇元首化もあり得なかった。こうしてみると押しつけには違いない。が、日本はポツダム宣言を受諾し、それを履行する義務を国際的に負った。「宣言」の枠内で憲法を作るしかなかった。その枠の第一が国民主権だったのだから、いくら押し付けられたといっても国際的には通らない。ポツダム宣言を呑んだ以上はそれに拘束される。不満があれば主権回復後、それこそ自主憲法をつくればいい。60年以上手を付けずにいて、今になって押し付けられたから変えたいというのは、証文の出し遅れというものだ。

・8月14日(水)
「成立史」第四巻を200頁ほど。議会審議の様子を細かく追う。皇室財産はすべて国庫に属する-皇居は国有となる-との規定をめぐって、保守党、総司令部、政府が三つ巴になってもめにもめた。衆議院議長の辞表提出まで引き起こした。主権の問題といい、新憲法の最大のイシューが『天皇』だったことがよくわかる。平和主義に関しては、9条2項の芦田修正が後に騒がれるほどには審議において問題にならなかったことが知れる。古関の言うように、これは神話、政治的に作られた神話だったということだ。
 戸主権や家督相続など家制度は、シロタの起草した『個人の尊厳と男女の本質的平等』の規定によって崩壊した。ここでは、憲法にどう書かれるかによって社会を変える力ともなりうることを知ることができる。

・8月15日(木)
佐藤達夫『成立史』(第四巻)を読み終わった。ボリュームがあった。第90回帝国議会で、衆議院も貴族院も、議員たちは真剣に細かい点までも論議していた。敗戦の現実とそこからどう立ち直るかを必死に模索しているように感じた。昨今の議員たちの軽佻浮薄さとは全く違う。

(つづく)

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