(1)日記から
・2014年5月5日(月)
鶴見の「思想をつむぐ人たち」のなかの「金子ふみ子」に関する一文を読む。この人物は知らなかった。苛烈な一生だ。
・5月6日(火)
(丸山の)読了後、鶴見の「思想をつむぐ人たち」を断片的に読んだ。鶴見の視座は、その人が国家からどれだけ距離を持ち得ていて、どのような視角から国家を批判しえているか、というところに置く。女性の目から、朝鮮人の目から、亡命者の目から、といったふうに。
・5月8日(木)
「思想をつむぐ人たち」をほぼ読み終わった。ほとんどが知らない人たちだった。鶴見がその人を取り上げて書くときの観点は何だろうか。
1)一般庶民の常識的な考えに沿って、その人の生き方を意味づける。
2)主義やイムズよりも、行動・生き方においてその人を評価する。
3)人やモノ・社会についてのいわゆる公式主義的な見方を斥ける。他の考え方と共振できる幅を大事にする。
…といったところか。一刀両断とは正反対だ。その人の生き方や考えに共感するところから出発する。それにしても広い交友関係と旺盛な好奇心だ。
(2)ノートから
①政治に関心を持つ人は視野が狭くなり、人を数として操るクセをつけ、物事の意味について勝負を度外視して話し合うことが難しくなる。
②柏木義円の非戦思想…無力であったが無意味ではなかった。
③森於菟(鴎外の長男)
「人は完全なる暗闇(死のこと)に入る前に、薄明り(老境)の中に身を置く必要があるのだ。」
④仁木靖武
「何主義であろうと言論に自由がある限り、吾々庶民は明朗でありうる。道徳教育もさることながら、私の子どもの道徳教育は私が責任を持ってやるつもりである。画一的な教育は、たとえ内容が良くても遠慮したい。」
⑤人間の歴史の上で、多数派が何度も間違った、ということを私たちは知っている。
⑥武谷三男
・一人でもやめる-戦争からの離脱
・一人でもやる-戦争反対の行動
⑦人生の無意味さに目覚めて、これを肯定する糸口を得るとき、新しい人生の視野が広がる。
(了)
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