大震災の後に、いろんな人がいろんなことを文にしましたが、
私は、時折夕刊に掲載される池澤夏樹さんの書く文章が、一番自分に
ぴったりくるし、もやもやしていたことも、ああそういうことだったのかと、
明確にしてもらえるようで、信頼をよせていました。
だから、池澤さんのこの本が311後を書いた小説だと知り、とても楽しみに
しながらページを繰りました。
二者択一を迫られると、どうしてよいかわからず「フリーズ」してしまう
知洋は、「先生」に促されるままに、瀬戸内を行き来する船に乗ることになり、
そこで与えられた役割は、自転車の修理をすることでした。
壊れた自転車は果てしなくたくさんあって、船はやがて瀬戸内を出て、
それらを必要としている東北へと向かいます。そこへ来てはじめて、知洋も
私たち読者も、知洋が災害ボランティアになったことを知るのです。
とてもおもしろいなあと思ったのは、主人公というか、この物語の舞台が
「船」に据えられているところです。陸地からある程度の距離を保てるところとか
船長を首長としての独立性であるとか‥。
文字通り、ちょっとだけ離れたところから、津波でなにもかも失った大地を見る、と
いう視点が新鮮でした。
もうひとつ、物語の進行とは別のところで、とても興味を持ったのが、
名前を持つ人と、持たない人、の、両方が出てくるところ。
たとえば、知洋が、最初に船長と会ったときに名前をきかれる場面。
「字は?」
「えっ?」
「名前の字だよ」
名刺なんかないからポケットにあった紙に書いて見せる。
海津友洋
「ずいぶん海っぽい名前だな。オーシャニックというか。名前は大事なんだよ」
と船長は言った。
「人生は名前で決まるんだ。これからは海で暮らしなさい」
最後の方で小さな船をまかされる人の名前が梶(かじ)さん、だったり。
その一方で、ただベアマンだけ呼ばれる男が居たり、才蔵という名を、
友洋につけてもらう青年は、津波で流される前の名前は、もうメンドーなので
いらないと思ったり。
洋の東西を問わず、名前をつける、名前を授ける、真の名を教えるということは
とても意味のあることなので、作者が名を持つ人と、持たない人を、混在させたことは
意図あってのことだと思うと、益々興味が募るのでした。
船長と数人の乗組員からはじまった「方舟」は、やがて大勢の被災者をも
受け入れることになり、それにともなって船そのものの形も目的も役割も
変容していきます。
居るひとと、もう居ない人とが混じり合っているところとか、居る人だけの現実に
戻るとか‥読みながら大きく心が波打ちました。
船が最後にどうなるかは、読んだときのお楽しみなので伏せておいて、
とても印象に残った箇所だけ、書き残しておくことにします。
アルベルトたちはこちら側に残った者の魂まで源泉徴収で
一割づつ削いで持っていったのかもしれない。
誰かと別れることはほんの少しだけ死ぬことだから。
h ttp://ameblo.jp/haru144/
第二次大戦前にヨーロッパでオーロラが見られたように、
アメリカでオーロラが見られました。
また、ダニエル書の合算により、
御国の福音が宣べ伝えられるのは、5月15日だと理解できます。
エルサレムを基準にしています。
2018年 5月14日(月) 新世界 +1335日
ダニエル9:2 イスラエル建国70年
2018年 3月30日(金) ノアの大洪水 +1290日 過越14日-15日
2014年 9月17日(水) ダニエル12:11 +0日
2013年 5月15日(水) ダニエル9:24 マタイ24:14 -490日 第一次中東戦争から65年