夜空に輝く「たぬきりん座」。

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日頃の楽しみ。

2007年04月30日 00時01分32秒 | 徒然ごと
今日は午後からのバイトだったので、久しぶりにの~んびり起きて、ゴロゴロして、ポカポカ陽気のなかをチャリこいで駅までいきました

地元の駅前では、ちょうどお祭りをやっていました。
そういえば昨日の夜駐輪場の前にいっぱい出店の準備がしてあったな。

小さい頃は綿あめを買ってもらったり、あめ細工を作ってもらったりするんが楽しみで、おかんが連れていってくれるのワクワクしながら待ってたあたし。

月日が流れ、21歳になったあたしはというと・・・

あんなに楽しみだった出店も、パレードも、通行の妨げとなる邪魔者に思えた。


祭りがこの週末にあるってことも知らなかったし、今のあたしって本当地元にいないんだなって思った。
寝るためだけに帰ってきてるって感じで、「いる」けど「住んでる」わけじゃないんだなぁってすごい思ったの。


パレード見てる外人さん。
めっちゃイイ笑顔してた。
それをみてるあたしの顔どうだ?って思ったとき、あたしの顔はしかめっ面だった。

本当はお祭り好きなのに。
おじいちゃんおばあちゃんと一緒に笑いたいのに。


今のあたしには余裕がない。
それは最近すごい思うことで、昨日の全人ワークでも思ったこと。
やることは確かにいっぱいあるけど「やりたくないな」って自分を追い込んでるのは自分自身。
仕事もバイトも勉強も、義務だけになっちゃうのはちょっと辛い。

楽しく動くってどうするんだっけ?

やらなきゃの想いが強過ぎて、やりたいを抑制するようになってたあたし。
でもそれじゃダメになるって昨日すごい思った。

だけん、これからは何かしてるときいっこでも「楽しいこと」を見つけようって思った。
全部を楽しんでやることは今のあたしには難しそうだからまずはいっこだけ笑
今日は「赤ちゃんをみるのが好き」って思ったからそこ着目しながらバイトしてたら意外と楽しかったですww

最近なんだか日記は鬱気味だけど、あたし自身は元気だょ笑

看護師を目指していた自分。

2007年04月21日 00時30分22秒 | 看護のこと
最近考えていること。

「看護ってなんだろう?」
「私の進むべき道ってなんなんだろう?」

まさか自分がこんな悩みを持つようになるなんて、大学に入ったばかりの頃は思いもしなかった。

私が「看護師になりたい!」と最初に思ったのは、多分小学校にあがってすぐくらいの頃。
なんでなりたいって思ったのかは全然覚えてない。
保育園の卒園アルバムに書いた「ほいくえんのせんせいになりたい」という夢は、スチュワーデス、ケーキ屋さん、ペットショップ屋さんなどを経て、いつの間にか看護師に変わっていた。

以来、私の「看護師になりたい。なるんだ。」という思いはただの一度も揺らいだことはなかった。

だけど実際私は働く看護師さんというやつに、大学に入って実習に出るまでほっとんど会ったことがなかった。
私のなかの「看護師」のイメージは、時々テレビで放映される〝密着!熱血看護師24時〟的なドキュメンタリーの中で患者さんに寄り添いたいと願いながら日々熱意をもって仕事をしている看護師の姿そのものだった。
実際に働いている看護師をみたのは、知り合いが入院して病院にお見舞いに行った時、ちらっとナースステーションにいる看護師さんの姿を見たくらい。
今日に至るまで、看護体験すら一度もしたことがないからね。

テレビの中の看護師さんと、人づてに聞いた看護師さんの話にはギャップがあった。
「患者さんの心に寄り添うケアをするのが看護師なんじゃないの?看護師ってなんなんだー!」
小さい頃から漠然と抱いていた憧れとともに、そのギャップも私が看護の道を志す一要因となった。

それにプラスして、自分の身内が倒れたときに助けてあげられる人になりたい、看護の知識を生活に活かしたい、そんな想いが重なって、高校生の私は看護大学に行くことを決意した。
〝大学〟にこだわったのは学歴で周りに負けたくないと思ったからっていうただそれだけ。

基本自己中な私が看護の道を志した理由なんてこんなもの。
もちろん志望理由書にはこんなこと書けないからw部活でのマネージャー業をとおして人をサポートすることの喜びを知ったとか、看護や医療の分野の知識にとどまらず幅広い教養を身につけたいとか云々語ったけどね~


そんなこんなで本当にここまで全く悩むことなく進路を選び取ってきた自分。
自分は絶対看護師になるんだって思ってたし、4年間を終えた来年は看護師として働いてる姿しか想像してなかった。

でも。

大学に入って、実習に行ってみて、自分がしたいと思っていた「患者に寄り添うケア」なんて、こんな私には出来ないんじゃって痛感させられたし、意外と患者さんのことなんて考えないで自分でいっぱいいっぱいな自分に幻滅させられた。

全人っていうサークルに出逢って「集団の力」をすごい感じるようになって、養護教諭の授業や保健師の仕事も面白いなぁって興味持って勉強するようになった。
ファシリテーションやコーチングのスキルに関しては学ぶことが本当に楽しいし、養護の専門教養の勉強や教職教養の勉強も本当楽しい。

そんなこんなで、最近興味が看護から他の分野にシフトしてきていたんだ。

それを私は「いろんなことを知ったことで視野が広がって、看護以外の世界も見えるようになってきた良い徴候なんだ!」って思ってたんだけど。

ど~も最近、それが〝看護〟からの逃げでしかないように思えるんだな(><。)

看護って学問は、私が思ってたよりずっと頭を使う学問だったし、それを実践に結び付けていくことってすっごくすっごく大変で。

私は実習に出る度、どんどん看護が苦手になっていった。


いつの間にか私のなかで「看護師になりたい。なるんだ。」の想いは小さく小さくなっていて、最近では「私の進むべき道は看護ではなかったんだ」とまで思うようになっていた。


・・・だけど。
実習のことで担当の先生に「この4年間の看護の学びを振り返ってみなさい」って言われて、はたと「・・・看護?あぁ、そういえば私看護がしたくてこの大学に入ったんだっけか」って思い出したの。

最近忘れてた、看護への気持ち思い出せるかなって、うちにある看護師さんが書いたエッセイを読んだり、図書室から借りてきたエッセイを読んだりってことを、卒論・実習準備でクソ忙しいこんな時期にあえてやってみた。



彼女たちのエッセイを読むと、やはり看護って仕事は魅力的な仕事だなぁと思う。
今日一日で三冊のエッセイを読破し、改めてそう思った。

だけど。
自分の実習記録を読む気力、探し出した文献を読む気力はなぜか湧いてこない。


エッセイを読むのと、自分が実践的に看護をするのは全然違う。

何が違うのか。
エッセイからは責任があまり感じられない。

もちろん筆者の方がその経験をされた時には看護職としての重い責任の下に業務をされていたのだろうが、私にとってそれは結局他人事。
責任を感じることなくはたからみる看護ってなんて面白くて人間的なんだろう。
それが今日の感想。

うん、私がこの3年間看護を学んできて一番感じたのは多分自分に求められてる責任の重さだわ。
私にはまだこの責任の重さに立ち向かっていくだけの自分の能力に対する自信がない。

だから看護が、病院が怖いんだと思う。

この怖さは働き始めて何年かたてば消える怖さなのかな?
それともこんなこと考えちゃう私はやっぱり看護師には向いてないのかな?
養護教諭や保健師の仕事に魅力を感じてるのはその職業に課せられている責任の重さがまだ実感できてないからなのかな?

いろいろ、考えることはある。
このまま逃げの姿勢で看護から身を引いたら、結局他の分野でも同じ結果になるような気がするし。


あと一年で答えが出せるかは微妙だな。
すっごくすっごく揺らいでいるけど、目の前には既にいっぱいいっぱい課題があって、看護に対する思いすらふらついているのにそれでもどんどん前に進んでかなきゃならない。
今は猪突猛進、前進あるのみって感じだけど、これがひと段落ついた時、私の看護観、将来への展望はどんな風に変わってるんだろう。

先が見えないのは不安だけど、とりあえず前に進んでいかなきゃだなー。

楽しい授業。

2007年04月10日 23時48分36秒 | お勉強ノート
今日は新年度はじまって一発目の授業「地域看護Ⅱ」を受けてきました。

思ったこと。
私の3年間に足りなかったのは「聴く力」だったんだなぁ。

先生方、今まで散々授業をバカにしていてごめんなさい

正直、これまで地域看護の授業はつまらないものだと思ってた。
むしろ地域の授業で寝なかったことなんてないしねw

どうしてかっていうと、地域は自分には関係ないと思ってたから。
先生の喋りが癒し系だったとか色々理由はあると思うけどw多分これが一番大きな理由。

だけどね、考えたら当たり前のことかもしれないけど、「ヒト」はみんな地域社会の中で生活しているんだよね。

「社会」について考えさせられた春休み。
そこで感じたのは、社会を考えるってことはすごく大きな概念を考えることのように思えるけど、それは結局自分を考えることにつながっているっていうこと。

その時感じたことも生きたのかもしれないけど、今日授業であった「集団の利益のためにアプローチすることはその集団に属する個人のHappyを増やすこと」って考え方がすーっと頭に入ってきたんだな。

初めて地域看護面白い!って思った。


私には先生の話を体験的に理解するだけの力がなかったんだな。

「聴く力」を実践的に身につける教育ってやつが、大学入っていっちゃん最初に行われたとしたら・・・
私みたいな実践力・応用力のない学生でも、最初から授業を「楽しい」って感じることができるようになるんでしょか笑

見よう見まねなファシグラもちょっとずつ慣れてきて、今日は書いてて「おぉ~楽しい~」身悶えするくらいやったから、やっぱファシに関してももっともっとたくさんの人に知ってもらいたい!って思った。

教育ってまだまだやれることいっぱいありそうだよね~だから面白いんだなぁきっと♪
まぁまだ今の私は教育される側なんで、目の前にある課題をコツコツ片付けていくところから始めないといかんのやけどね。ふふ。

決意表明。

2007年03月20日 13時08分36秒 | 全人ワーク
3月16日~18日に京都のホテル然林房で開催された、『全人的医療を考える会』の春ワークに行ってきました。
すごくすごく、考えさせられることがいっぱいで、たくさんたくさんモヤモヤした3日間でした。

てかそれはきっと私がここんとこずっとモヤモヤしてたせいでもあるんだけど。

正直私は「コレから先どう全人に関わっていくか。むしろ関わらないという選択肢もとり得る」と最近考えていて、自分のスタンスを見極めるために、今回の春ワークに参加しました。

今回の私は、久しぶりに参加者の視点でワークを見ていたように思います。
それは意識的にそうした部分もあるけど、大部分は無意識的に。
なぜなら企画段階に関わることを自分がしなかったから。

私は元々人付き合いがものすごく苦手です。
大学に入ってからも単独行動をすることがすごく多かったし、人間関係のイザコザはすごく面倒なもので、なるべく関わりたくないとまで思っていました。

そんな私ですが、全人と出逢って、その場で出逢う多くの人の心に触れて刺激をもらって。
人から得られるものの大きさに気付いて、人ともっともっと関わりたい!って思うようになったし、ちょっとずつだけど、確実に成長してきているんじゃないかって思ってました。

だけど。
やっぱり苦手な部分はまだまだたくさんあったみたい。
なかでも顕著なのが「出来上がった輪の中に入っていくのが苦手」という部分。
今回のワーク、ひいてはその前の関東ワークでも、このマイナス面がすごく大きく働いてしまったように思うのです。

今回はそのせいで、たくさんの人に迷惑をかけてしまいました。
私は人のことを考えているようで、実は自分のモヤモヤで手一杯で、周りの人のモヤモヤに気付けなかった。
いや、むしろ気付いていながら見ないフリをしていたんだな。

そんな自分が嫌で。
でも間延びしたまま進んでいくワークにイライラが募っていたりして。
そんな状況にモヤモヤを感じながらも、モヤモヤ打破に奮闘してる子らと関わろうともしなかった。

途中でハッとさせられてそういう自分本気申し訳ないって思ったのに、結局最後までそのスタンスが抜けなかった。

最終日の朝は最高にモヤモヤしてた。

だけど最後に時間延長してそのモヤモヤなくそうってみんなで話し合いして、他の人の思い聞いたり、自分のモヤモヤぶつけたりしたことで、だいぶスッキリした気がする。

関西のスタッフと話して、「やっぱりこの人達と一緒に動いてみたい」ってすごい思ったし、スタッフ目標を考えてる時はすっごい楽しくて、それぞれの提示した目標が最後にひとつになった時は本気すごいって思った。


やっぱり私は全人が好き。
これからも関わっていきたい。

自分にはやりたいことがある。
だけどそのやりたいこと全部をやりきる自信は自分にはないし、全人をやりたい!だけでやっていいのかが正直ずっと不安だった。

だけどこの日確信したんです。
やっぱりこの全人っていう場は、今の私にとってすごく大事な場で、必要な場みたいです。
「今の私から全人をとったら、抜け殻しか残らない」って前に誰かに話した気がするけど、それを再確認できた感じ。

一年後の自分に不安がないわけじゃないけど、今できること、したいことを一所懸命考えてみてもいいのかなって思いました。

楽しいだけが全人じゃない。
むしろ「面倒くさい」っていう最近のはやり言葉のがしっくりくる感じはするんだけど、それでもやりたいなって思えるようになりました。


これまで中途半端でいっぱい迷惑かけちゃってごめんなさい(><。)
もっともっと、みんなの気持ちが考えられるように。
もっともっと、自分のやりたいことに自信がもてるように。
頑張っていきたいと思います。

ファシリテーションとプレゼンテーション

2007年02月13日 00時18分54秒 | 失敗失敗。。。
今日はね、ひっさしぶりに会ったお友達と、結構ガッツリめにお話をしてきました。
その子はね、全体を見渡して流れをつかむことが得意な子で、自分が所属しているグループ内でも全体を見て客観視できるところがすごいなぁ。と、私が密かに尊敬している子でもあります。

その子と話していて、最近自身でも自分のコミュニケーションの特徴だなぁと思っていたことが、すごく明確になりました。

それは、自分の話し方が攻撃的であるということ


最近ね、一緒に企画を作っている友達がいて、企画作ってる時の私ってすごくアツくなってるから、話しながら考えとかちょっとまとまってくると自分が感じたことを相手に伝えたい!その反応が知りたい!って気持ちが先行しちゃって、ぶわぁ~っと言いたいことまくしたてて、全部言い終わった時になってそんな自分に気付いて「はっ、またやってしまった・・・」って自己嫌悪に陥るの↓↓

お互いが「私はこう思う!」を言い合ってるうちはそれでもいいのかもしれないけど、友達は私がまくしたてたことを理解しようと一所懸命になってくれてるから、余計申し訳なさでいっぱいになるの

そんな自分に気付いてはいるから、会う度に今日こそは落ち着いて話そう!って決意するんだけど、案の定今日みたいに暴走しちゃう自分がいるのです。。。


私は一応ファシリテーションを学んでいる人間なので。
アサーティブに話し、いかに相手の話を聞けるかが話し合いにおいて重要っての、わかってはいるんだ。
実際にワークショップを運営したのはファシリテーションって言葉知らないときだったけど、今思えば良いファシリテーターであろうと意識して動いていたなぁって思うし、自然にそれができていた自分はきっとファシリテーターに向いてるんだろうなぁなんて思ったりもしてたんだ。

でもね。

どうも、自分はプレゼンテーション気質の人間なみたいなのです。

私はね、みんなの意見をまとめたり、自分が考えてることをまとめて要約するって作業が結構得意で、まとめながら考えた自分の意見ってやつが割とあったりもして、それが良い考えだなぁとかって思うと、早くみんなに聞いてもらいたくてしょうがなくなるのです。


これって、プレゼンにおいてはすごく使える力だと思う。


でもファシにおいては時に邪魔にさえなりうる。



ファシの鉄則のひとつにプロセスをリードし、議論の中身はリードするな。ってのがある。

この言葉最初に聞いた時には、「自分も会議に参加してる一人なのに、なんで意見とか言っちゃいけないの?他の人の話聞いてて『私はこう思う』が見つかったなら、その意見って表出すべきじゃん!」って思ってた。

でも、私にファシの力がないからなのかどうかわからないけど、話し合いに熱中するほど、アツい〝自分の意見〟が出てくるほど、私の態度はアグレッシブになっていく。

ファシリテーターとして未熟な私は、自分の意見をはさむとどうしても場を主観的にしかみられなくなる。


「私はこう思うんだけど、あなたはどう思う?」
こういう聞き方をすること=相手の意向も聞こうとしてる。これはファシリテーション。

何となくそう思ってきたけど、どうやらそれは違うらしい。

私の「私はこう思う」は強い。

理論的で、まとまっているだけに。
そしてアツくなっている時の私は、自分の考えを伝えたい!の一心でどうも言葉尻が強くなりがちでもあるからさ。

私がこういう接し方を他者にした時、相手が「自分はこう思う」を返せる相手ならば問題ないのかもしれないけれど、こちらの主張が強過ぎて相手が自分の意見を表出する機会すら与えない可能性も考えられる。

その場合、「あなたはどう思う?」って一応聞く姿勢はとっているけど、それは承認要求でしかなくて、ファシじゃなくプレゼンなんだなぁって今日すごく思ったんだ。


一通り話し終わった後に、相手の反応を見てすごい申し訳なさで気持ちが落ち込むし、自分の言いたいこと全部言い切れてスッキリするはずなのにどーもモヤモヤする今日この頃。


話してる最中、話し始める前にこのことしっかり意識して、もっとゆっくり、相手の反応見て、柔らかく喋れるようになりたいなって思います。