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ベルリン・フィルの「展覧会の絵」

2008-03-28 00:51:41 | その他
先週N○Kハイビジョンで、7時間ぶっ続けでベルリン・フィル、て番組をやってたんですが、その中で「展覧会の絵」をやってました(指揮:サイモン・ラトル=現・首席常任指揮者 兼 芸術監督、昨年のジルベスターコンサートの演奏)。

オーケストラ版「展覧会の絵」というとやはり、色彩豊かで華やかな演奏というのが一つの理想かなぁと思われますが、ベルリン・フィルの演奏は、何と言うか、『超高性能巨大精密オーケストリオン(自動演奏マシン)』(?)て感じなんで、あんまり華やかとかじゃないんですよね。繊細だけど冷めてて、強奏の部分でも、情熱よりはひたすら機関車みたいに計算され尽くした迫力で押してく感じ。でも機械っぽいのは、ある意味ではチュチュに合ってると言えるかもしれません。

で、まあ、それはともかく、その演奏を聴きながら頭の中では例によってチュチュ名場面集が繰り広げられてたわけですが、今回しみじみ思ったのは「キエフの大門」の使い方の巧さ(22Akt)。
「開かない門」のそばでインドサイの親子(子供は違うか)と衝撃の出会いをし、隣の門に走って(何故「(別の出口が)どこかにあるはず」と思えるのか?)、「バーバヤガーの小屋」終盤の畳み掛けるような弦楽器の上昇音型の刻みに合わせて門を叩きまくるあひるちゃん。そして『門』の秘密に気づいた瞬間、「キエフの大門」が鳴り響きます。特に感心したのはその後。派手な全奏が一転してクラリネットとファゴットの静かなアンサンブルになるところ(2回あります)。1回目は『壁』を跳び越えようとして戻って来てしまうチュチュと、ようやくドロッセルマイヤーの墓に御対面のふぁきあ。2回目はチュチュの胸に触ろうとして(違)失敗し、さらに自分を通り抜けてドロッセルマイヤーの墓に吸い込まれるチュチュを呆然と見送るふぁきあと、あおとあ一世一代の告白。
隔てられた二つの世界と、物語に支配された人々(「これも物語が決めたことなのだろうか?」)を象徴的に表すシーンが、短い主題にぴたりとはめ込まれているのは本当にお見事としか言いようがありません。この曲ってこういう聴き方もできたんだなぁ。チュチュに出逢えて良かったv

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