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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

安倍談話を批判する(2)--日露戦争は植民地解放戦争ではなく、日本の本格的な植民地支配の出発点

2015-09-08 | 安倍政権

 植民地支配というキーワードは、一般的な19世紀の世界、アジア・アフリカの植民地として登場するだけで、日本の植民地支配の事実としては一切述べられていない。

「日露戦争は、植民地支配の下にあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」(以下、*カギ括弧青字は安倍談話の引用文)。

 日露戦争を巧妙な言い方で植民地解放戦争であるかのように描いているが、全くの歴史歪曲である。日本外交は、征韓論以来、アジアの植民地解放ではなく、アジアの植民地化を目指すことで一貫してきたのである。とくに日露戦争は日本の本格的な植民地支配の出発点であった。
 日露戦争は、朝鮮と満州の支配を巡っての戦争であり、その結果、日本は南満州の植民地経営権と遼東半島(その先端が関東州)の租借権とをロシアから獲得した。日本政府はこれらの植民地権益の軍事的防衛のため、後に満州事変をひき起こすこととなる関東軍を創設した。
 さらに、日露戦争のどさくさに紛れて、日本は韓国を事実上、軍事制圧下に置いた。日本における朝鮮・台湾・アジア支配論は、吉田松陰の満州・朝鮮支配論(『獄是帳』)から広くアジア支配論(『幽囚録』)を嚆矢として、それは木戸孝允・西郷隆盛の征韓論に引き継がれ、民間では福沢諭吉の『脱亜入欧』に代表され、現実政治においては、台湾出兵(1874年)、韓国首都・漢城の防衛要塞島・江華島への砲撃(1874年)、強制的な韓国開国(1876年)とつながり、その結果が日韓併合(1910年)だったのである。

「アジアに最初の立憲政治を打ち立て、独立を守りました」

 日本政府は、大日本帝国憲法が発効した第1回帝国議会のまさにその日より、植民地主義を公然と打ち出した。山県有朋首相の外交・軍事方針の基本戦略は、「主権線」の守護とその外縁としての「利益線」の保護であった。「主権線」とは日本本土のことであり、「利益線」の保護とは朝鮮半島の支配を意味した。

 総じて、安倍談話は、韓国併合=植民地化と過酷な植民地支配に一切言及しないことを特徴としている。日露戦争後の、韓国人の義兵蜂起とそれに対する日本軍の弾圧、韓国併合後から敗戦まで続く、韓国人の人権を根底から蹂躙した憲兵政治、朝鮮文化・朝鮮語を奪った皇民教育、創始改名、東洋拓殖会社の土地収奪、3.1独立運動に対する凄惨な弾圧、日本軍「慰安婦」問題、強制連行と国内での炭鉱・陣地構築での酷使、これらは安倍首相の念頭には一切存在しないのだ。(岩)

(つづく)


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