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「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」

安倍談話を批判する(1)--歴史に謙虚であれ。歴史を歪めてはならない

2015-09-08 | 安倍政権

 安倍首相談話が8月14日、紆余曲折を経て発表された。共同通信社の14~15日の世論調査では、談話を「評価する」44.2%、「評価しない」37.0%、内閣支持率43.2%(前回7月調査、37.7%)、不支持率46.4%、となった。この結果について、意外の感に打たれた方々も少なくないのではないか、と推測される。このような世論動向の主要な原因の一つは、マスコミの多数が主要な論点として、村山談話のキーワードが継承されたか否かに主要な焦点を当て、いくつかの留保条件を付けながらも、それらのキーワードがあたかも継承されたかのような報道を行っていることにある。例えば、「『侵略』『おわび』言及」(「朝日新聞」2015.8.15、一面トップ)、「『侵略』『植民地支配』に言及」(「毎日新聞」、2015.8.15、一面トップ)。これではあたかも、安倍談話が侵略と植民地支配をお詫びして、深く反省しているかのような強い印象を読者に与える。これまで安倍政治に批判的な主要2紙がこれだから、他紙やその他マスコミはおして知るべし、である。

 だが、談話の中身をじっくり読んでみると、それは見出しとはまるっきり正反対で、居直りと歴史的事実の「捻じ曲げ」「隠蔽」に終始しているのだ。だから、歴史修正主義で極右の筆頭論者の一人,渡部昇一氏は安倍談話を絶賛してこう述べた。「『東京裁判史観』を完全に克服した!百点満点だ!」と(『WiLL』10月号)。ここに安倍談話の核心が示されている。
 
 したがって、最も基本的な問題は、これらのキーワード(侵略・植民地支配・お詫び、等)が字句として談話中に存在するか否かの問題ではなく、それらがいかなる文脈で語られ、それが本当に意味するところは何か、ということにある。安倍首相は談話発表の記者会見で、いみじくもこう述べた。「政治は歴史に謙虚でなければならない。政治的、外交的な意図によって歴史を歪めるようなことは決してあってはならない」。その通りである。だが、果たして安倍談話は、歴史に謙虚で歴史を歪めはしなかったか。これについて、いわゆるキーワードを中心として、歴史的事実とこれまでの安倍首相の言動に照らして、検討することとする。ここに指摘する歴史的事実はすべて公知の事実であり、いまさら言及するのも面映ゆい気さえするが、談話が歴史に謙虚というにはあまりに遠く、歴史的事実の捻じ曲げがあまりにもひど過ぎるので、止むを得ないであろう。(岩)

(つづく)


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