【春の訪れを告げる梅の蕾】
「勅なればいともかしこし 鶯の宿はと問はばいかが答へむ」 【紀内侍(きのないし)】 |
雨の週明けとなりました。冷たい雨ではありません。
感覚的には、すぐそこまで春が来ているような・・そんな雨。
でも、そうは問屋が卸さないようですね。
早速、次の寒波が待ち構えているようですから。
ただ、朝早い段階で降った雨も、その後は小康状態。
相変わらず重い空ですが・・。
さて、冒頭の写真。春の訪れを告げる花として歌にもよく詠まれている梅です。
まだまだ堅い蕾ですが、今か今かと出番を待っている梅。
こちらは我家の梅ではなく、いつも借景とさせて頂いているお隣のもの。
まだ蕾ですが、今、その開花が無性に待ち遠しい処です。
もう一つ、お隣には見事な枝垂(しだ)れ梅もあるのですが、
そちらはまだまだ。今気付いたのですが、さながら 「梅の木屋敷」 ですね。
今日は折角ですので、本当に久し振り、梅のお香を取り出しました。
我家では、この季節だけの独特の香り。懐かしい香りの回帰。
(こちらの画像には加工が施してあります)
尤も今では春の代表的な花と言えば梅より 「桜」 ですね。
でも、かつては 「梅」 だったようです。
それは秋の 「萩」 にも言える事ですが、
どうやら先人は、繊細で楚々とした花がお好みだったようです。
ところで梅の木(花)に、こんな美しい物語、
『大鏡』(著者未詳)がある事をご存知でしょうか・・。
時は、村上天皇の康保(こうほう)2年(965年)。
御所、清涼殿の庭にあった梅の木が枯れるという事件が起こります。
毎年美しい花を咲かせる名木でしたので、
帝は、すぐさま代わりを見つけるよう命じます。
なかなか見つかりませんでしたが、漸(ようや)く見つけた
ある屋敷の梅は、枯れた木に劣らぬ見事な花を咲かせていたとか。
大喜びで移植し、清涼殿は再び芳香に満たされる事に。
大いに満足した帝が庭に下りた時、
1本の枝に結びつけられた文(ふみ)を発見します。
その文が、上記の歌という訳です。
美しい女文字でしたためられた一首に感心する帝。
自分が命じた事を大いに恥じたそうです。
そうそう、その文を贈ったのは、あの 『古今和歌集』 の選者、
紀貫之の娘、紀内侍(きのないし)。それを現代文に直しますと・・。
『帝のご命令ですから梅の木は慎んで差し出します。
しかしこの木に巣をかけている鶯が 「私の宿は?」
と尋ねたら、どのように答えたらいいのでしょう』
「父が愛した梅なので差し上げる訳には参りません」
と、はっきり告げて断るのではなく、鶯に託して想いを伝える、
この奥床しさ・・何と素敵なのでしょう。
そして歌に込められた真意を、すぐさま感じ取る事の出来る帝も素敵です。
これこそ、1000年以上も前から培(つちか)われて来た日本の文化ですね。
とかくYES、NOをはっきり言わない日本人は、
曖昧(あいまい)な国民と言われ、それを嫌う傾向にある昨今です。
でも、そこには相手に対する深い思いやりがあるからこその
言葉と思えば、それは美点に他なりません。
日本語の奥深さをしみじみと感じた次第です。
因みにこの梅は「鶯宿梅」と呼ばれ、
現在では京都の林光院(京都市上京区)に、その鶯宿梅が伝えられています。