報道写真家から(2)

中司達也のブログ 『 報道写真家から 』 の続編です

「民主化」される中東のゆくえ 1

2011年02月25日 12時11分02秒 | 『民主化』の正体

 予想だにしない出来事が続く。
 北アフリカから中東全域をつつみそうな反政府暴動の数々。
 メディアは、こうした暴動に対して「民主化」の文字を躍らせているが、
 なぜ何の躊躇もなく即座に「民主化」運動だと断言し、連呼できるのだろうか。

「民主化」とは何か

 20年前に「民主化」の先例がある。1989年にベルリンの壁が崩壊すると、東欧諸国が次々と「民主化」された。しかし、現在の東欧の有様を見れば、輝かしい「民主化」の正体が明らかになる。東欧の人々は、自由を与えられる替わりに、それ以外のすべてを奪われた。

 共産主義体制の東欧諸国は高度な社会福祉制度を整備していた。福祉、医療、教育に対する経済的負担はなく、失業も存在しなかった。しかし「民主化」後、西側の国際機関の指導による政治経済改革によって、福祉制度は破壊された。その結果、「民主化」後に発生した貧困層の病人や高齢者に対しては、ほとんど何の保証もない冷酷な社会が実現した。失業率は高い数字を維持し、賃金は低い水準を維持している。かつての特権階級がそのまま資源の大半を支配し、人口の大部分が貧困層に転落した。

 「自由」と「福祉」というのは、同時に成立させてはならない概念なのだ。自由を拒絶する者などいない。自由を得たければ、それ以外のものをすべて捨てなければならない。これが「民主化」と呼ばれるものの隠れたルールだ。「民主化」される人びとはそんなルールなど知るよしもない。いままで空気のように享受してきた福祉が、「民主化」後にことごとく奪われるなどとは夢にも思っていなかったはずだ。

 全東欧の住民は「民主化」の犠牲者だ。かつての特権階級は「民主化」の受益者だが、それ以上の受益者がいる。外国の企業だ。「民主化」と同時に、市場原理が導入された東欧諸国では、国際機関の指導により国営産業の大半で整理が行なわれた。つまり、大量の失業者を生み出した。別の見方をすれば、低賃金の労働力が大量放出された。しかも、労働力としてはたいへん質が高い。労働力の大バーゲンセールだ。当然、多くの多国籍企業が東欧諸国に進出し、この低賃金労働をフルに活用して、利益の拡大をはかった。その結果、東欧諸国のGDPは押し上げられ、「民主化」の大成果のように宣伝されている。しかし、国民の生活向上にはほとんど寄与していない。労働者の賃金を上げれば、外国企業の利益を圧迫する。

 おまけに、東欧諸国の人びとが待ちわびた自由も、結局のところ、制限された自由でしかなかった。EU圏の多くの国が、東欧からの移民労働に制限を加えている。低賃金で働く東欧からの移民は、自国労働者の雇用を奪う。移民排斥運動や政府批判など社会不安につながる。EU圏が謳う移動の自由は、絵に書いた餅でしかない。東欧諸国の住民は、決して移動の自由を行使せず、自国に留まって低賃金労働を外国企業に提供するべきだ、というのがEUの本音なのだ。ただし、EU諸国で労働力が不足したときだけは調子よく招き入れ、必要なくなれば追い返す。

 輝かしい「民主化」が東欧の人びとにもたらしたものは、不安定で何の保証もない、ぎりぎりの生活環境だ。「民主化」以後、東欧やロシアの平均寿命は低下している。よくても現状維持だ。

 こうした「民主化」の輝かしい先例を概観すると、現在、北アフリカから中東で進行している事態のゆくえも察しがつく。

できすぎた展開

 今回の出来事の発端は、チュニジアでの一人の若者(Mohammed Bouazizi)の焼身自殺だとされている。しかし、抗議の焼身自殺がこれまでイスラム社会でなかったわけではない。それが今回だけ、大統領を逃走させるほどの暴動に発展したというのは少し不自然ではないだろうか。そんな先例はどこの社会でも聞いたことがない。

 メディアも、たった一人の焼身自殺によって、大規模な暴動が発生し、大統領を逃走させ、それが他国にまで波及したということを信じているとは思えない。そんな話は荒唐無稽というしかない。しかし、そういうことになっているので、メディアはそのように報道しなければならない。メディアは、不自然さが露にならないよう工夫しながら報道している。メディアの腕の見せ所であり、メディアとはそのためにこそ存在する、操作のプロフェッショナルなのだ。作為のある出来事もメディアの手にかかれば、違和感のないごく自然な出来事という印象を与える。

 メディアはこう解説する。イスラム教では自殺を禁じている。また、体は来世のために必要なので火葬を行なってはならないとされている。このようなイスラム世界で、自らの体を焼いて死ぬというのは、極めて異例な行為だ。厳格な戒律を、いわば二重に破ってまで自らの体に火を放ち、政府に抗議した青年の激しい思いに、イスラムの人々は強い衝撃を受け、事態を重く受け止め、そして、腐敗した独裁政府への抗議に立ち上がったのだ、と。まるで、風が吹けば桶屋が儲かる式の説明だ。結局これは何も説明していない。

 青年の焼身自殺、暴動、そして大統領の逃走、この三つの出来事の空隙を、それらしい積み木細工で埋め、スムースな流れを作っただけだ。

 しかし、メディアの手にかかると、単なる積み木細工にも臨場感と信憑性が添加される。もともと世界中の人びとは、心の中にこうしたファンタジーを受け入れる体勢が準備されている。一人の若者の絶望的な憤死が、人びとの心を動かし、ついには独裁者を打倒したのだ、という展開は、世界中の誰もが好む黄金のスーパー・ファンタジーなのだ。

 今回の事態が偶発的な出来事だと考えるには無理がありすぎる。報道を順番に並べてみると、いかにも自然な流れのように見える。しかし、あまりにも自然すぎる。役者がきちんと配置され、展開にまったく無駄がない。無駄がなさすぎる。

 チュニジアのベンアリ大統領はBouaziziの死亡後、たった10日後に国を逃亡した。エジプトのムバラク大統領はもう少しがんばって、暴動発生から18日後に辞任した。あまりにも展開がスムースかつコンパクトにまとまりすぎている。彼らは、23年、あるいは30年も独裁体制を維持してきたのだ。それがたった10日や18日で、ほとんど抵抗らしい抵抗もせず自ら退いたのだ。暴動以外の要素がなければ、こんなすばやい決断はできない。

フェイスブック、ツイッターは隠れ蓑

 この出来事の重要な配役に、フェイスブックやツイッターがある。これらが本当に何らかの役割を果たしたと証明するものは何も提示されていない。メディアがそう主張しているだけだ。もちろん、何らかの痕跡はいたるところにあるだろう。しかし、それらが実際に効果を発揮したという証明にはならない。フェイスブックやツイッターが歴史を変えた、とメディアが盛んに喧伝すれば、人びとは簡単に信じてしまう。こうしたツールには、もともとそうした幻想を抱かせるものがある。これも人びとが受け入れやすいファンタジーの一つだ。

 ブログが世界中で流行したとき、ブログが世界を変えると盛んに吹聴された。ブログが既存メディアの脅威になるとか、あるいは駆逐するという論評さえたくさんあった。しかし、いま、そんな与太話を信じる者はいない。ブログやフェイスブック、ツイッターなどが登場すると、決まって過剰な評価がなされる。しかし、実際は、ささやかな意見表明や友人間の交流、ビジネスの販促やクレーム処理に一定の効果があるという程度のツールにすぎない。

 今回の中東「民主化」運動の原動力となったのがフェイスブックやツイッターだとしたら、こうしたツールの先進的利用国で何も起こらないのはいったいなぜだ。チュニジアやエジプトが欧米よりもSNSの活用先進国だとは思えない。そもそもこうした国では、一家に一台パソコンがあるわけではない。たいていの人はネットカフェまで出かけなければならない。家庭のパソコンなら一日に何十回でもネットにアクセスできるが、ネットカフェに一日何十回も通う者などいない。

 ただ、途上国でも携帯電話の普及率は高い。しかし、ネット接続できる機種の普及率となるとあやしい。貧困層が購入する主要機種はノキア製のNokia1100だ。これは途上国を中心に2億5000万台も使用されている驚異のベストセラー機で、携帯電話のAK-47と評されたりしている。安くて丈夫で長持ち。この機種の機能はいたってシンプルで、通話とテキスト送信のみだ。いったいどれだけの人が携帯電話でフェイスブックやツイッターにアクセスしたのか、大いに疑問だ。

 メディアは、長期独裁政権を短期間で崩壊させるほどの群集を、瞬く間に結集させた手柄を、フェイスブックやツイッターに担わせようとしているだけなのだ。それは、群集が結集した本当の要因を覆い隠したいからだ。

 先例に学ぶならば、大規模な動員を短期間で可能にするのは軍隊だけだ。エジプト軍の総兵力は45万だ。蜂起の最中、エジプト軍は群集に発砲していない。軍が群集に味方したように見えるが、軍が群集を動員したのなら発砲するわけがない。軍隊が群集を守っているように見せれば、誰もが安心して群集に参加する。軍は最初の数万人程度を自前で動員すれば、あとは群集がさらなる群集を呼ぶ。もし、軍が群集を集めたとなれば、それはただのクーデターということになる。それでは世界は納得しない。大群衆を動員した主体を隠すために持ち出されたのが、フェイスブックやツイッターだ。

 政府に抗議する人びとはフェイスブックやツイッターを存分に活用し、広範に街頭参加を呼びかけ、多くの人びとがその声に呼応し、瞬く間に抗議の輪が広がった、という筋立てはとても分かりやすく、受け入れやすい。そして、軍部は民衆の運動を静かに見守り続けた、という設定にすれば、クーデターと違って、どこからも文句のでない美しいファンタジーが完成する。

独裁者の賞味期限

 有能な独裁者も永遠に独裁を続けられるわけではない。マルコス、スハルト、モブツなどの独裁は一代限りで終わっている。独裁体制は世襲には向いていない。独裁者が高齢になれば、独裁に代わる別の支配体制が必要になる。それが「民主化」と呼ばれるものだ。独裁が終わる以上、以前よりもマシなものに移行したと思わせなければ、誰も納得しない。もちろん、「民主化」後も支配の構造が根本的に変化するわけではない。

 東欧の例でも明らかなように、「民主化」によって国民生活が改善された例はない。独裁終了後のフィリピンやインドネシアでも国民生活は改善されていない。GDP成長と国民生活の質とは別物だ。外国企業が進出して、低賃金労働を利用して生産を行なえばGDPは上昇する。しかし、賃金まで上昇させてしまったら外国企業は別の国への移転を考える。GDPが上昇しても、決して国民の所得水準を改善してはならないのだ。

 独裁政権の終焉は、積もり積もった国民の憤懣を利用すれば簡単に実現できる。インドネシアのスハルト大統領は30年間独裁者として君臨したが、たった一週間の暴動であっさり辞任した。誰が暴動をコントロールしているかを彼はすぐに悟ったのだ。決して民衆が暴動を起こしたのではない。背後で軍隊が組織的に行動して、暴徒による破壊や略奪、放火をコントロールしていた。スハルトは成す術もなく短期間で辞任を決断するしかなかった。表面上、民衆が独裁を終わらせたかのように演出していただけだ。一族で8兆円とも言われる資産を築いたスハルトだが、パペット以上の存在ではなかった。辞任後は、死の直前まで法廷に引きずり出される被告の身分だった。8兆円は何の役にも立たなかった。

 エジプトではムバラク大統領辞任後、軍部が政権を掌握していることに、国民は異議を唱えていない。独裁政権と共に歩んできた軍部が、なぜ民主的政府を作ると信じられるのだろうか。新国家体制を作るためのプロセスへの参加を要求する市民もいない。結局のところ、群集が群集を呼んだだけで、次のステップなど誰も考えてはいない。これがメディアの言う「民衆革命」か?民衆は主役ではなく、単なるエキストラとして体よく街頭におびき出されただけなのだ。ムバラク大統領が去ったあとは、軍部が堂々と表舞台に出て暫定政権を掌握している。

 世界中のメディアも、独裁政権と共に歩んできた軍部が、暫定統治をしていることに、ほとんど異議を唱えてはいない。本当の民主化を望むならば、こうした軍部を新国家体制へのプロセスから排除しなければならない。しかし、そんな声はどこからも聞こえてはこない。ここには触れてはならないのだ。何から何まで最初からのお約束なのだ。

グランドデザイン

 この見え透いたお約束のはじまりはブッシュ政権までさかのぼる。イラク戦争以前から、中東「民主化」の構想は進行していた。長期独裁によって硬直化した体制を、より融通の利く体制に移行するには東欧で実証された「民主化」を適用することだ。

ブッシュ米大統領は2003 年2 月26 日、ワシントン市内のホテルで保守系シンクタンク「アメリカン・エンタープライズ研究所」(AEI)の会合で講演し、米軍がイラク戦争となってもその後も必要な限り残留し、同国の民主化を足掛かりにアラブ諸国の改革を目指すことを明らかにしている。この講演は、米国のイラク開戦の目的が、フセイン政権の転覆及び大量破壊兵器の廃棄に加えて、中東地域の民主化にあることを打ち出した点で注目された。

ブッシュ大統領は……「中東諸国では、西は北アフリカモロッコから東は湾岸のバハレーンまで、政治改革への胎動が窺がえるが、新制イラクは中東諸国にとって自由の好例となる」として、力説することでアラブ・中東世界全体への波及効果を強調している。
p3 資料3 「中東の民主化と石油情勢」 外務省 2003.10.29
http://www.mof.go.jp/jouhou/kokkin/tyousa/komoken-siryou-3.pdf

 北アフリカのモロッコから湾岸のバーレーンまでとは、まさにいま揺れている地域そのものだ。ブッシュ大統領の発言に、当時、こうした地域の指導者たちは、少なからず震撼したようだ。

一般には、イラク問題でブッシュ政権が唱えた「レジーム・チェンジ」(Regime Change)は「イラク政権の転覆」と理解されているが、これらの人々(中東諸国の政治評論家や知識人達は)「中東の(既存の)体制の変革」を意味するものではないかと疑っている。つまり、ブッシュ政権が、イラクのサダム・フセイン政権の転覆を手始めとして、湾岸・中東の既存政権の変革、即ち、米国流の民主化に着手して来ると見ているわけである。
p3 同上

 北アフリカ・中東・湾岸諸国の疑念は、今、まぎれもなく現実化し始めている。ということは、この地域の指導者たちにとっては、すでに選択肢はないということだ。米軍占領下のイラク国民が闇雲に殺戮され続けている理由がここにある。米軍は、女性や子供、老人であろうとも、残忍な方法でいくらでも殺戮することができる、というメッセージを中東全域の指導者に放っている。「民主化」か、それとも「イラク化」か、どちらでも好きな方を選べ、と言われれば答えは決まっている。 

米国のコンドリーザライス大統領補佐官(国家安全保障担当)は2003年8月7日付けのワシントン・ポスト紙に「中東の変革」(Transforming the Middle East)と題する一文を寄稿し、新生イラクの創設を奇貨として第二次世界大戦後の欧州のように米国を中心とする諸国が協力して中東の民主化等を進めようと提唱している。
p4 同上

 現在、暴動が波及している地域は、ブッシュ大統領が言及した地域と完全に一致している。アフリカ大陸には、腐敗した政権はいくらでもあるのに、北アフリカ以南の地域には波及していない。それは不思議でも何でもない。

 今回の事態は、民衆による自然発生的な行動などではない。緻密に計画され、周到に準備されたものだ。だからこそ無駄なく展開され、短期間で決着が着いているのだ。 

 世界のメディアが、暴動発生直後に何の躊躇もなく、即座に「民主化」運動だ、「民衆革命」だ、などと連呼できたのは、はじめからそうした筋書きであることを察知していたからだ。世界中の人びとをファンタジーで幻惑し、望む方向に巧みに誘導するのが彼らの使命だ。メディアの巧妙な操作誘導の手練手管の中に、いまわれわれはいる。



「民主化」される中東のゆくえ 1 : 資料編
http://blog.goo.ne.jp/leonlobo2/e/410ef324e0560810b835c813d8839931



最新の画像もっと見る