欧米メディアに見るタクシン擁護のレトリック
UDDの敗色が濃厚になった頃から、世界のメディアはタクシン援護、アピシット批判を展開しはじめた。2006年にタクシンが海外逃亡して以来、世界のメディアは、タクシンのチア・リーダーを務めてきた。
数ヶ月に渡ってバンコクを揺るがした騒乱の責任が、いったい誰にあるのかは、メディアにとってはどうでもよいことだ。メディアは、無条件でタクシンを擁護する。メディアが不偏不党、公正中立などというのは、子供向けのファンタジーにすぎない。
UDDが瓦解する前日の5月18日、Newsweek誌のウェブ版は、"Last Best Hope"という記事を掲載した。この記事の翻訳が、翌19日の日本語版に掲載されている。この記事は、タクシンに都合の悪い負の側面は、あいまいな表現でさらりとスルーしている。
確かに不手際は数え切れないほどあった。彼は素直な政治家などでなく、汚職に手を染めたこともほぼ間違いないが、……
もちろんタクシンは聖人ではない。反タクシン派が主張する彼の姿の大半は真実だろう。03年にタクシンが行った麻薬撲滅作戦(3カ月以内に麻薬取引を根こそぎにすると約束した)は、数千人の死者を出した。軍事攻撃によって南部のイスラム教徒の暴力は激化した。
2010.05.19 ニューズウィーク日本語版 『タイ動乱「陰の主役」の真実』
http://newsweekjapan.jp/stories/world/2010/05/post-1274.php
2010.05.18 Newsweek "Last Best Hope"
http://www.newsweek.com/id/238161
タクシンの負の側面を認めているような表記に見えるが、これは、事前に批判に対する逃げを用意しているだけだ。そうしておいて、残りのすべてのスペースを使って、タクシンに有利な側面だけを具体的に列挙し、強調している。タクシン擁護の明確な意図を持って書かれた記事であり、「真実」とはほど遠い。
もし、タクシンの縁故主義、メディア弾圧、虐殺疑惑、不正腐敗の数々を同じように具体的に提示すれば、印象のかなり違った記事になるだろう。
さらにこの記事は、「王室の陰謀と軍隊の派閥が政治に影響力を持つタイにおいて」という一文をさりげなく入れ、王室に対する負のイメージも発信している。この一文は文脈上特に必要だとは思われない。どこかに王室批判めいた表記を入れなければならなかったのだろう。そういう意味で、この記事は必要な要素がしっかり盛り込まれた、チア・リーディングのお手本のような記事だと言える。
治安部隊が行動を起こす前の18日の時点で、Newsweek誌が早くもタクシン擁護の記事を掲載したのは、まさしくお手本を示すためだ。こうした記事は、世界のメディアに対する一種のランドマークとなる。
タイ王室に関するタクシンとのインタビューを載せて、物議をかもしたことのあるイギリスのTIMESONLIENは、アピシット首相へのネガティブ・キャンペーンを展開している。
首相になる以前の18ヶ月前、アピシット・ウェーチャチーワは、その洗練されたマナーとお金をかけた英国教育、そして育ちのよさを物語る愛想のよさで知られていた。しかし彼は、このほんの数週間で、首相の座にしがみつく、強情でしぶとい、そして非情な人物であることを露呈した。
アピシットの経歴や見かけに騙されるな、というメッセージでこの記事ははじまっている。そして、
この数ヶ月間のタイの首都の中心部での長期的な抗議は、昨日の流血の事態で幕を閉じた。アピシット氏はこの汚名を決して拭うことはできない、という勝利を赤シャツにもたらした。
2010.05.20 TIMESONLINE
" Thai Prime Minister survives - but may never recover "
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/asia/article7131117.ece
という、まわりもった表記でこの記事を締めくくっている。
タイの政治史上の最大の危機を巧みに乗り切り、タクシンの野望を打ち砕いたアピシット首相のイメージを傷つけるために書かれた記事だと言える。
TIMESONLINEは翌21日にも、アピシット政権に関する記事を掲載している。
(抗議活動が終わり故郷に送り返された赤シャツたちは)アピシットの退陣、そして解散総選挙の実施要求に失敗したものの、赤シャツ隊の運動はまだ終わっていないと主張している。彼らの意思はいままで以上に強く、再度戦う決意だ。しかし、彼らの誰もが答えられない問いがある。:どのようにして?
この記事は、その問いの最終的な答えとして次のように記述している。
だけれども、もっと簡単な解決方法がありそうだ。タイ憲法によって、アピシット氏は来年の末には、選挙を実施しなくてはならない。彼は決して投票箱では、彼の党を勝利に導く事はできない。赤い候補者は議会で多数を勝ち取ることだろう。ストリートでの武装闘争なんかよりも、最良の戦略は、ただ待ちさえすればいいのだ。
2010.05.21 TIMESONLINE
" What next for Thailand's Red Shirts? "
http://www.timesonline.co.uk/tol/news/world/asia/article7132583.ece
TIMESONLINEは、選挙さえすれば、タクシン派は勝てるのだと自信満々に主張している。しかし、アピシット首相は和解案で「11月4日の選挙実施」を公約していた。UDDが占拠地から撤収してさえいれば、来年の末どころか、今年の11月に選挙を実現できたのだ。そうすれば、いたずらに人命が失われることもなかった。この記事の書き手が、そのことを知らなかったはずがない。
TIMESONLINEは、意図的に事実を無視して、アピシット首相へのネガティブ・キャンペーンを展開しているだけなのだ。
メディアは気の利いたレトリックを駆使して、タクシンへのチア・リーディングとアピシット首相へのネガティブ・キャンペーンに励んでいる。
しかし、メディアはレトリックだけでなく、もっと単純なトリックを使う場合もある。
24日、タイのメディアは、外国メディアによる「偏向」報道に関する集会を持った。特にCNNの報道姿勢が問題にされた。
問題は、いくつかの外国メディアは、一方の見解だけを報じたことだ。
パチンコや花火、爆竹、ロケット(花火)しか持っていないわれわれに対して、治安部隊は軍用の武器で武装しているのだ、と語るデモ参加者と幹部をCNNは取材しているが、アル・ジャジーラは、銃を所持するデモ隊の証拠写真を掲載している。
2010.05.25 The Nation
" Answers sought to media 'bias' "
http://www.nationmultimedia.com/home/2010/05/25/politics/Answers-sought-to-media-bias-30130098.html
一方だけの主張を報じるというのは、「偏向」報道の初歩の初歩だが、それが最も効果的なトリックでもある。世界のメディアに対して「偏向」報道を是正せよ、と迫るのは無意味だ。「偏向」報道こそがメディアの本質そのものなのだから。真実の報道をメディアに期待するよりも、メディアが駆使するレトリックやトリックこそ、真実を明らかにする糸口だと知るべきだ。
タイ王国を刈れ
米英の主要メディアは、なぜレトリックやトリックを駆使した「偏向」報道でタクシンへのチア・リーディングを繰り返すのか。
「偏向」報道というのは、いわばメディアにとっての商品なのだ。たいていの商品は、消費者のニーズを適格にとらえたところから生まれる。「偏向」報道も同じ原理で生産される。では、タクシンを擁護するメディアの「偏向」報道は、誰のニーズをとらえたものなのか。
欧米の主要メディアは明らかに、タクシンをタイの政治に返り咲かせるための支援をしている。タクシンが、タイの政治に返り咲くことで、タイに何が起こるのだろうか。過去のタクシン政治を見れば、おおよそ理解できる。
タクシン政治の本質とは、グローバル化に即したタイの改造だった。構造改革と表現してもいいだろう。グローバル化とは、世界の経済の障壁をなくし、自由にモノとカネが往来できる経済体制を理想とする概念だ。中国やインドなど、一部の国を除き、グローバル化は大なり小なり世界中の国で受入れられてきた。その結果、何が起こったかというと、タイの通貨危機だ。それは、アジア通貨経済危機へと拡大し、最終的にはグローバル化の聖地アメリカに飛び火し、ヘッジファンドが破綻しかけた。
グローバル化による障壁の撤廃が、外国資本の奔放な振る舞いを許し、ときには一国の経済が翻弄される事態を生む。必要以上の外国資本が流入して、バブルを発生させたかと思うと、一斉に資金を引上げて、通貨危機を引き起こす。これでは、一国の通貨金融政策は意味をなさなくなる。過度なグローバル化は、経済植民地的な状態を生みだす。結局のところ、グローバル化で得をするのは、先進国の巨大な金融資本や多国籍企業だ。
タクシンは、このグローバル化を積極的に推し進め、タイを改造しようとした。タクシンが意図しようがしまいが、それは国家を外国資本や外国企業に売渡す行為に近い。タクシンが一夜にして、莫大な富を手中にしたのも、一夜にして、国を追われたのもそのためだ。
タイ王国は、東南アジアの中心に位置している。それだけではなく、見方によっては東アジア、南アジア、オセアニア、中国を含めた広い地域の中心でもある。地勢的な重要度は極めて高い。そのタイ王国が、グローバル化され、その地勢的資源に自由にアクセスできれば、将来的には「国際社会」に大きな利益をもたらすだろう。逆に、タイ国民の利益は大きく侵害され、縮小されるだろう。
タクシンが放逐された後、暫定政権が執った政策は、外国資本の規制強化と外国企業の定義の厳格化だった。まさにグローバル化に反する政策だ。外国資本の規制は、後に撤回されたが、それは「国際社会」との摩擦をひとまず避けるためだ。タイ王国の本音は、外国資本にきちんと手綱をかけることであることは間違いない。
タイ国王の提唱する「足るを知る経済」の哲学も、グローバル化の概念と相性がいいとは言い難い。ただ、「足るを知る経済」はグローバル化を受入れながら推進されるものとされている。あくまで経済哲学なので解釈の範囲はかなり広い。しかし、グローバル化の推進者から見ると、あまり心地よい概念ではないだろう。外国メディアが、タイの王制に対して難癖をつける理由は、ここにもあるはずだ。
現在のタイ王国のグローバル化は明らかに停滞している。そのタイ王国を、もう一度グローバル化の大波に乗せるには、タクシン・チナワットをタイ王国の政治に返り咲かせることが、一番の早道だ。
世界の主要メディアは、こうした「国際社会」の意向を敏感に察知し、そのニーズに応える「偏向」報道を生産している。いかに的確な「偏向」報道を生産するかが、一流メディアの腕のみせどころなのだ。真実を報道するような無能な三流メディアは、失格の烙印を押され、時には支局が爆撃されることもある。
タイ王国は、「国際社会」にとって最も有望な投資先であり、何としても手に入れたい物件なのだ。
そのための「国際社会」の最大の持ち駒が、タクシン・チナワットだ。
タクシンが6ヶ国からパスポートを取得し、自由に国外を飛びまわり、強制送還の心配もないのはそのためだ。
タクシンの手がどれほど血に染まっていようが、そんなことはまったく関係がない。
世界の主要メディアは、今日もタクシンのチア・リーディングに励むのだ。
2006年のタクシン追放から、もうすぐ4年になる。
この混乱に、まったく終わりが見えないのは、これがタイ王国の存亡を賭けた戦いだからだ。
一歩でも譲歩すれば、タイ王国は滅びる。
これはそういう戦いなのだ。