報道写真家から(2)

中司達也のブログ 『 報道写真家から 』 の続編です

タイ王国の長く孤独な戦い 1

2010年05月30日 16時29分14秒 | タイ

 
 タイ王国の首都バンコクは、平常にもどりつつある。
 タクシン派団体UDD(反独裁民主主義市民同盟)が占拠した地域は、バンコク都民の手によって清掃され、元に戻った。
 そこにはUDDが残していった無残な爪跡もあるが、人は灰の中からでも立ち上がる。
 問題が解決したわけではないが、少なくともバンコク都民は、同じ事態だけは二度と許すことはないだろう。

 アピシット首相が5月2日に5項目の和解案をUDDに提示したとき、無用な譲歩をしたように見えた。
 民主党政権を支持してきたPAD(民主主義市民連合)でさえ、アピシット首相を批難した。

 しかしその後、迷走を続けたのはUDDの方だった。
 方針をめぐって幹部が対立、和解派の幹部はステージから姿を消した。
 和解などという選択肢は、タクシン元首相(以下敬称略)にはない。
 彼の頭にあるのは、民主党政権打倒、王制打倒だ。
 そして、自身の返り咲きだ。

 UDDが迷走する中、強硬派幹部カッティヤ少将が狙撃されると(5月13日)、武力衝突が勃発した。
 占拠地域では、連日、武力衝突が繰り返された。
 これこそが、タクシンが待ち望んだ事態だ。

 支持者が市街戦を展開している最中の5月15日、タクシンは家族とともにパリのルイ・ヴィトン・ショップに現われ、優雅に買い物を楽しんだ。
 待ち望んだ事態がようやくおとずれ、タクシンは安堵したのかも知れない。
 あとは、支持者の大量死を待つだけだった。


女性・子供の退避を拒んだUDD

 和解案が決裂したため、アピシット首相は実力行使で占拠地域を奪還しなければならなかった。政府・治安部隊が最も懸念したのは、砦内にいる女性や子供が戦闘に巻き込まれることだった。

 UDD側が、女性や子供、高齢者を砦から退避させることを拒んだため、治安部隊は安易に動けなかった。UDDは、女性や子供を楯に戦うつもりはなかった。そんなことをすれば、国際的な批難を浴び、立場が不利になる。UDDの魂胆は、女性や子供の犠牲者を出すことだった。そうすれば、批難を浴びるのは政府・治安部隊の方だ。

 赤シャツ隊が、治安部隊と武力衝突を繰り返し、徐々に犠牲者を出しているにもかかわらず、豊富な武器弾薬を有するUDD武装部隊=黒シャツ隊が治安部隊と交戦することはなかった。その理由は、女性子供のいる場所で戦闘をしなければ意味がないからだ。戦闘のどさくさに紛れて、味方に銃弾を浴びせても、どちらの弾が当たったかは分からない。黒シャツ隊の保有する武器の多くは、治安部隊から奪ったものだからだ。

 女性や子供の無惨な死体が国際世論に与える訴求効果は大きい。そして、その数はできるだけ多い方が望ましい。

 だが、UDDの目論見どおりにはならなかった。主砦の周りに配置された小砦を制圧した治安部隊は、そこで動きを止めた。赤シャツ隊が、火炎瓶やロケット花火、そして銃撃でいくら挑発しても、治安部隊はけっして動かなかった。これでは、黒シャツ隊は成すすべがない。結局、数百名と推測される黒シャツ隊はほとんど戦闘をしないまま、武器弾薬とともにゆくえをくらました。

 女性や子供など約3000人のUDD参加者は、砦近くの仏教寺院に避難していたが、後に寺院内の池などから多量の弾薬類が発見されている。黒シャツ隊は、中立地帯の寺院内で銃撃するつもりであったことは間違いない。治安部隊が到着する前に、この寺院内で6名が射殺されている。その経緯はまったく分かっていない。

 女性や子供の犠牲者を出すことなく、占拠地域を奪還したことは、政府側の完全勝利と言えた。
 アピシット政権打倒のために、莫大な費用と時間をかけたタクシンの目論見は砕け散った。


計画された首都炎上

 幹部が政府に投降し、占拠地域を放棄したUDDは、そのあと予想外の行動をとった。
 UDD幹部が占拠の中止を宣言した直後から、バンコク都内の約30ヶ所で火の手があがった。放火されたのは、UDDが反タクシン勢力と見なしてきた銀行や新聞社、放送局などだった。アジア最大級のショッピングモール、セントラル・ワールドは、大火災で建物の三分の一が崩落した。

 これらの放火は、暴徒化したUDDの場当たり的な犯行とされている。しかし、地方から動員されてきた集会参加者が、巨大都市の中の30ヶ所もの反タクシン派の所在地を、暴徒化してから把握したと考えるのは無理がある。「暴徒」が証券取引所を襲撃するというのも不自然すぎる。

 事前にターゲットを設定し、所在を確認し、襲撃の人員をきちんと割り振っておかなければ、同時的に30ヶ所もの襲撃放火ができるわけがない。

 UDDの二ヶ月間におよぶ反政府活動は、政府にも、タイ経済にも、ほとんどダメージを与えなかった。それがUDD幹部の焦りを生んだと考えられる。莫大な費用と時間をかけて何の成果もなければ、タクシンに顔向けができない。バンコクが炎と煙に包まれれば、政府の無策を演出でき、観光やビジネス、投資に対する影響を期待できる。証券取引所を焼けば、株価下落をまねくだろう。

 確かに、バンコクの空に立ち上る何本もの黒煙は衝撃的だった。だが、見た目の派手さに比べて、物理的にも、精神的にも、それほど大きなダメージはなかったと言える。占拠されていたラチャプラソン一帯は、バンコク都民の手によって清掃され、すぐに日常に戻された。焼けた建物や破壊されたインフラは再建すれば済むだけの話だ。5月以降、外国投資家の投資意欲は減少したが、タイ経済はとりたてて外国資本を必要とはしていないので、特に問題はない。

 最も被害を受けたのは観光業だが、観光客もほどなく戻ってくることは間違いない。バンコクはアジア最大のハブ都市であり、平常に戻れば自然に人が行き来する。

 それでも、UDDによる首都同時放火は、タクシンにとっては無意味ではなかったかも知れない。UDDメンバーの敗北感や挫折感を癒す効果くらいは期待できるだろう。

 二ヶ月もの間、炎天下の暑さと不衛生な環境、退屈な演説に耐え続けたにもかかわらず、徹底抗戦を口にしていた幹部は、土壇場で政府に投降するか、逃亡した。威勢の良かったUDDのセキュリティも治安部隊に軽くあしらわれた。取り残され、途方にくれた無防備のメンバーは、政府の用意した無料バスで故郷に送られた。バス・ターミナルから家までの交通費も政府から支給された。自尊心は傷つき、徒労感がつのる。そんな彼らにとって、反タクシンの牙城首都バンコクが炎上したことで、しばらくは溜飲を下げることができるかも知れない。

 しかし、さすがのタクシンも、首都が炎上する様を目の当たりにして、UDDと自分とは何の関係もない、カネを出した事もない、と言い出しはじめた。UDD幹部の1人は、タクシンから活動資金をもらって何が悪い、と発言しているのに。


反政府活動というビジネス

 アピシット首相の手腕によって、タクシンの目論見は砕け散った。
 ただし、最悪の事態こそ回避したが、半面、黒シャツ武装部隊を、武器とともに無傷で逃走させることになった。それが今後の大きな不安材料になる可能性はある。

 タクシンは海外メディアとのインタビューで「政府の行為はゲリラ戦を招くだけだ」と、またも言わずもがなの発言をしている。今後、ゲリラ戦がはじまっても、それはアピシット政府の責任だと言いたいのだ。しかしそれは、タクシン自身のゲリラ闘争宣言と言ってもいいだろう。タクシンに残された選択肢はそれほど多くはない。

 無傷の黒シャツ隊にはゲリラ戦を展開するだけの能力はあるだろう。武器弾薬は豊富にある。北部・東北部では太陽の下を堂々と歩けるだろう。警察はタクシンの古巣なので、追跡される心配もない。そもそも首都の同時的放火も、警察が何もしなかったから可能だったのだ。武器弾薬があり、隠れる必要もなく、警察の追跡捕縛もないなら、これほど楽なゲリラ戦はないだろう。

 しかし、闇に消えた黒シャツ隊のメンバーには大きな弱点がある。彼らの多くは、カネでスカウトされた元軍人や警官のはずだ。彼らの動機はカネであり、カネこそがすべてなのだ。もし、そのカネが手に入らないとしたら、彼らはゲリラ戦に従事するだろうか。

 アピシット首相は、タクシンと結びついた多くの企業や個人の金融取引を凍結している。過去の取引はすべて調査され、タクシンのカネの流れが解明されるだろう。すべての資金ルートを潰すことは不可能だとしても、いままでのように蛇口を全開にした資金供給はできなくなる。

 タクシンが供給する資金なくして、いかなる反政府活動の継続も不可能だ。タクシン派政党プアタイ党もタクシン派団体UDDも、豊富な資金が流れ落ちてくるからこそ、人が群がってきたにすぎない。反政府活動とは、ある意味ではビジネスなのだ。満ち足りた大富豪のために、無給で働く者がいるだろうか。国会議員から軍人や警官、末端のデモ参加者まで、タクシン・マネーで繋がっている。マネーの供給が細れば、求心力はなくなる。

 UDD幹部の一人ナタウットは、1億バーツもの現金を知人に見せびらかしたことがある。1億バーツは日本円で3億円近い。豪邸や高級車を購入した幹部もいるようだ。UDD幹部のこんな豪勢な話を聞いて、黒シャツ隊は、ゲリラ生活を送れるだろうか。

 タクシン・マネーの供給をいかに遮断するかが、今後の成り行きを大きく左右することになる。
 タクシンがゲリラ戦でバンコクを攻撃するなら、アピシット首相はマネーの流れをせき止めて、それを封じるだろう。


タイ王国の長く孤独な戦い 2へつづく



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