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ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

日記: 世界の葬式 (石投げ葬)

2008年05月22日 02時58分19秒 | Weblog
[個人史]: 日記 思想・信条・(宗教 聖書) 終末観
※ 石投げ葬

以前、 病室のベッドで たまたま 外国人と隣同士になったことがある。

どこの国の人か? と、探りを入れても 警戒して無視されるので あれこれ 外国語で話しかけると、 ”アラビア語” で反応してくれた。
言葉が通じると 気を許してしまうのは日本人も一緒。

『イスラム(教)文化は よく知らない』 と答えた私に、 「惚れた(外国)娘と一緒に 渋谷のモスクに行ったことがある」 と 話し始めた日本人同室者も参加し 三人で一気に盛り上がった。

その彼が、 夕食を終えて 人寂(さみ)しい夜、 すっかりうち解けた病室の皆に 自国の文化を話してくれたのだ。

<老人の墓場>
「歳をとったら国に帰る」 との前置きから始まった その理由は、

老齢者を全員で取り囲み、 皆で(息を引き取るまで)石を投げつける のだという。

私はこれを聞いて、 石を受ける老齢者も 石を力任せに投げつける人々も とてつもない信仰 を持っている。 と悟った。

<石投げ文化>
罪を取り除く為に 石で撃ち殺す 文化は、 旧約聖書 の中にも記されている。
また 「ステパノ」 の殉教が示すように 新約聖書 時代にも、 石で殺してしまう 文化は続いていた。
旧約聖書時代、 イスラエルの民に与えられた掟(Commandment)である。

自殺 と 殺人は 本人の罪 となるが、 他者から殺される事は 自分の命で償う 「罪の許し」 を受ける意味となるものだ。 (死刑は「罰」にならない)

<強い精神>
それにしても、
自らの息絶えるまで 石を受けようとする決意 や 実行する 精神力もさることながら、 力任せに石を投げなければかえって 老齢者 を苦しめる事になる。 老齢者相手に 石を投げる方も 並大抵の精神力では 出来ないことだろう。

(記)


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