ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

『 それがどうした 』 誕生秘話

2007年06月15日 17時50分11秒 | Weblog
[個人史]: 1990年代中期 『 それがどうした 』誕生秘話

数年前テレビコマーシャルにも使われた言葉だが、ニュアンス(微妙な表現)はちょっと違っている。
 ・・・・
現在からちょうど10年ほど前のことだった。

はぁ.?!!
その日朝10時頃、前夜の終電間際、帰宅直前に提出した 日報 を、社長秘書が 私の机の上に返却していったので、 社長は何と云ってきたかと 返事を見た私はそのまま10分近くもあたまを抱え込んでしまった (Freeze!!)。

契約社員として勤務を始めて数週間目、
いま進め始めたプロジェクトの重大な問題点を日報で詳細に報告したのである。 期待していた社長からの返事は 「それなら仕方がない。その点は諦めても良い」 だった。
だが..、
返却された 日報 には、大きく赤文字で それがどうした とだけ大書されていたのである。

<どっちだ!?>
文字列の最後に 『?』 か 『!』が付いているなら次のアクションが決まるのだが 無い のだ。

質問『?』されているなら、追加で報告しなければ 口うるさく怒られるだろうし、 『!』だと、聞かれてもいないのに、さらに 日報で報告 しようものならこれがまた 口うるさく怒られる だけなのだ。

結局30分ほど、机の前で悩んだり、事務所の中をウロウロしたり、外(非常階段)に出て気分を変えたりしたがどう対処したものかがまるで判断がつかない。 それまでは 書かれていない社長の言葉を先に見つけて 事前報告 してきた私だが どうにも 判断がつかないのだ。

<無かった事に>
ついに私が選択した究極の結論は (自分の報告自体を)『なかった事にしよう』 だった。 私は二度と報告した問題点には触れないし、社長から質問もさせない(次の日報から話題を変える)。 社長の判断に頼らず問題点は自分だけで解決する事にした。(報告はしたのだし、もし今後聞かれても、ごまかすのだ)


【 職場での活用 】
このときの職場は少ない人員で誰もが手一杯の状態で仕事に追われていた。 各人の 仕事は専門性が高く仕事量も半端ではなかった ので誰も互いに手伝う事もできなかったのだ。

ある日、私と同じ時期に社員として入社した同僚が 仕事に手詰まりとなって愚痴をこぼしにやって来た。

彼から ひととおり 仕事上の困りごと(問題点)を聞いた後に社長の口調で 「それがどうした」 と言ってやった。 どうせ私には手伝う事ができないのだ。

ところが今度は、言われた同僚が返答に窮した。
ひどくうろたえて、ついには彼も笑ってごまかすしかない。 自分の業務の問題点を 素人相手に憤ることもできず、 どう説明したらいいものか考えながら(問題の分析をしながら)席に帰って行った。

以来、職場の中では、同僚らが仕事に行き詰まって 愚痴 をこぼしにやって来ても、”それがどうした” と言い合う遊びになった。 どうせ互いに手伝うことはできないのだから..。

そして、”それがどうした” と言われると誰も答えようが無いので本人も笑うしかなくなる。 その様子を周りで聞いていても ”お!やられてるな” と、 ついつい笑って吹き出してしまう。
この言葉は皆の笑いの種となった。

だが笑うと不思議な事に 気持ちが一歩進んだ。 笑い合う事で 自分たちの苦境を乗り越えられたのである。 それが始まりだった。

参照記事
11/01 (政府・企業)、そういえば、三人寄っても..
10/20 嫌われ者ジョージィ、その語学(英語)力の自慢!?

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