ジョージィのおとなりさんたち

【個人史】「人生って、とっても楽しいもの」
そんな風に感じている今日この頃。Blogでメモっておきたい。

『夕鶴』、 「つう(鶴)」と 人とは一緒に暮らせない

2007年04月26日 21時33分13秒 | Weblog
[個人史]: 回想、中学生、鳥、こころ

戯曲『夕鶴』 の存在を知ったのは 東京で勉強した担任教師 が紹介したレコードだった。

いなかの学校の文化祭で 夕鶴 を演じようとなったが、 都会の文化に触れた事のない子ども達に まずは耳から触れさせよう となったのだ。 文学的才能の無い私でも 戯曲『夕鶴』 を聞いていると その歌詞と曲から なんとなくだが その情景を感じる事ができる。

録音テープ(カセットなどまだ無い)に写し、 何度も、何度も、・・繰り返し 何度も聞いて、歌を覚えるように 台詞も覚えることができた。

劇中で最も切ないシーンは、
欲にかられた ”運ず”と ”惣ど” にそそのかされた ”与ひょう” が 人並みの 『こころ』 を持ち、 とうとう自分の心を抑えきれずに 鶴にもどって機(はた)を織る ”つう” の姿を見てしまった事。 そしてついには ”与ひょう” のもとから ”つう(鶴)” が去って行くシーンだろう。

日本の古い民話には 有りそうな 話である。
かれらが 人の化身として現れる というのは人それぞれの好みに任せるとして、 心を通じ合わせる というのは決してあり得ない話でもない。 かれらが ”こころ” を許しさえすれば 相手の語りかけには耳を傾け、 また同時に 雄弁に語りかけてもくる。

本来、鳥にしろ、動物にしろ 自分の意志を伝えるための 共通の手段 を持っている。
幼いときには持っていた人間に それが出来なくなったのは、成長する過程において 傲(おご)る心で相手を見、 好奇心や破壊が目的で 相手の領域(テリトリー)に土足で踏み込み、 そして荒らし続けるようになったからでしかない。

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