リートリンの覚書

魏志倭人伝・現代語訳31 正始八年



魏志倭人伝・現代語訳 31



正始八年

原文
 
其八年、太守王頎到官。
倭女王卑弥呼
与狗奴国男王卑弥弓呼素不和。
遣倭載斯・烏越等詣郡 説相攻撃状。
遣塞曹掾史張政等因齎詔書・黄幢、
拝仮難升米為檄告諭之。
 
書き下し文
 
その八年(247)、
太守の王頎(おうき)、官(かん)に到る。
倭の女王の卑弥呼は
狗奴(くぬ)国の男王の卑弥弓呼(ひみくこ)と
素(もと)より和せず。
倭は載斯(さいし)・烏越(うえつ)等を遣わし
郡に詣(いた)り、
相攻撃(あいこうげき)する状(さま)を説く。
塞曹掾史(さいそうえんし)の
張政(ちょうせい)等を遣し、
因(よ)りて詔書(しょうしょ)・
黄幢(こうとう)を齎(もたら)し、
難升米に拝仮(はいか)し
檄(げき)を為(つく)りて
告諭(こくゆ)す。
 
現代語訳
 
その八年(247)、
(帯方郡の)太守の王頎(おうき)は、
官(かん)に到りました。
 
倭の女王の卑弥呼は、

狗奴(くぬ)国の
男王の卑弥弓呼(ひみくこ)と、
初めから不和でした。
 
倭は載斯(さいし)、
烏越(うえつ)等を派遣し
(帯方)郡に至り、
戦争状態であることを説明しました。
 
塞曹掾史(さいそうえんし)の
張政(ちょうせい)等を派遣し、

因(よ)りて
詔書(しょうしょ)、黄幢(こうとう)を
もたらして、

難升米に拝仮(はいか)し、
檄(げき)をつくり、
告げ諭しました。
 

 
・官
役所。ここでは魏朝の役所
・素
はじめから
・詔書(しょうしょ)
天子のおぼしめしを記した書。
・黄幢(こうとう)
軍の指揮に用いる黄色の旗。軍旗。
・拝仮(はいか)
許されてまみえる
・檄(げき)
自分の主張を述べて同意を求め、行動への決起を促す文書。檄文。
・告諭(こくゆ)
説き聞かせること。





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参考

倭人・倭国伝全釈 鳥越 憲三朗
中央公論新社

Wikipedia

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