この時期を乗り越えてからは、これから先の人生を生きて行ける自信がついた。
人は一人では生きていけないけれど、それでも一人で生きている。
そう思えたら、自分に関わってくれる、全ての人に感謝の気持ちが湧いて来た。
人は一人で当たり前。関わってもらえるのは特別なことなんだ。
たとえ、親でも姉弟でも、粗末に扱っていい人なんて一人もいない。
一人で生きている事を受け入れたら、やっと自分が自分になれた気がした。
人に影響されずに、自分がどうしたいかを客観的に考えられるようになった。
もちろん、いつでも上手くやれる訳ではないけれど。
自分の考え、自分の感情。相手の考え、相手の感情。
事の本質に眼を向け、どうして行くのが最善か。客観的に考えられるようになった。
この頃から、自分の気づいていない自分に眼を向けるようになった。
例えば、人に親切にする時は、まず、自分の心の中を隅々まで見てみる。
心の中に、自分の評価を上げたい、感謝されたい。なんて、欲が有りはしないか?
欲があるなら、それは親切ではなく、お節介になってしまう。
人に厳しくする時も、まず自分の心の中を隅々まで見てみる。
心の中に、自分の不満や憂さ晴らし、自分を認めさせたい、と言うような気持ちが有りはしないか?
もしあれば、それは自分の為に無闇に人を傷つけてしまう事になる。
自分の汚い心に眼を向ける事で、心から人に尽くせるように、相手にとって、本当に必要な事は何か。それを一番大切にしたい。
矛盾するようだけれど、心から人の為に尽くす事を、自分の為にやっている。
そうでなければ、不満や見返りを求める心が出てしまうからだ。
その人が良くなると、自分が嬉しいから。自分が嬉しい為にやっている。
もちろん人間である限り、欲を全く持たず、汚い心を全く持たずに。と言う訳にもいかない。
ただ、自分の心の本質に、常に眼を向ける必要はある。
人は一人では生きていけないけれど、それでも一人で生きている。
そう思えたら、自分に関わってくれる、全ての人に感謝の気持ちが湧いて来た。
人は一人で当たり前。関わってもらえるのは特別なことなんだ。
たとえ、親でも姉弟でも、粗末に扱っていい人なんて一人もいない。
一人で生きている事を受け入れたら、やっと自分が自分になれた気がした。
人に影響されずに、自分がどうしたいかを客観的に考えられるようになった。
もちろん、いつでも上手くやれる訳ではないけれど。
自分の考え、自分の感情。相手の考え、相手の感情。
事の本質に眼を向け、どうして行くのが最善か。客観的に考えられるようになった。
この頃から、自分の気づいていない自分に眼を向けるようになった。
例えば、人に親切にする時は、まず、自分の心の中を隅々まで見てみる。
心の中に、自分の評価を上げたい、感謝されたい。なんて、欲が有りはしないか?
欲があるなら、それは親切ではなく、お節介になってしまう。
人に厳しくする時も、まず自分の心の中を隅々まで見てみる。
心の中に、自分の不満や憂さ晴らし、自分を認めさせたい、と言うような気持ちが有りはしないか?
もしあれば、それは自分の為に無闇に人を傷つけてしまう事になる。
自分の汚い心に眼を向ける事で、心から人に尽くせるように、相手にとって、本当に必要な事は何か。それを一番大切にしたい。
矛盾するようだけれど、心から人の為に尽くす事を、自分の為にやっている。
そうでなければ、不満や見返りを求める心が出てしまうからだ。
その人が良くなると、自分が嬉しいから。自分が嬉しい為にやっている。
もちろん人間である限り、欲を全く持たず、汚い心を全く持たずに。と言う訳にもいかない。
ただ、自分の心の本質に、常に眼を向ける必要はある。