ラピス・ペイン

いわゆる愛着障害、アダルトチルドレンと言われる人間の過去と現在と自己分析

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自己認識

2017-01-30 13:04:08 | 日記
これまで繰り返し自己分析を行って、何とか自分という人間の定義が形作られてきたものの、新たに自分の身体に対しての認識が薄いようだと気づく。

特に顔。
良いと言えるほど良くはなく、悪いと言うほど悪くもなく、普通と言うほど一般的でもないこの顔。

一学年一クラスしかない田舎の小さな学校で、小学1年生から中学3年生まで、9年間同じメンバーで過ごした子供時代。
小学校のクラスの集合写真を見てみると、馴染み深いクラスメイトの中に一人だけ違和感のある顔。
それが自分だった。

そんな感覚を覚えたのは高校生の頃。
当時は『そうか。自分から見ているクラスの風景には、自分が入っていないから変な感じがするんだ。』と解釈したけれど、どうやらそうではないようだ。

幼少期の頃の写真はいろいろな想いを呼び起こす。
幼稚園以下の頃の写真はどれも不安な表情で、無邪気に笑っている写真はなく笑っていても照れ隠しでバカみたいに笑っている写真だけ。
小学生の頃の写真を見ると、『笑わなきゃ。楽しそうにしなきゃ。』という当時の想いが蘇る。

過去の写真だけではない。
今も不意にガラスや鏡に映った自分の顔に違和感を覚える。
『あれっ⁉︎ 誰だっけ?』と、見覚えのある人を見かけたような感覚になる。
その直後、自分だと分かると何とも呆れたような虚しさに包まれる。

自分でいて自分でないような。
変な感覚。

これが一生続くのだろうか?
あたしには自分の居場所を感じ、そこに自分の存在を確かに感じられるような人生は訪れないのだろうか。

それとも皆そうなの?
人には話さないだけで、皆もあたしと同じように孤独や自分の不確実さを抱えて生きているの?

わからない。
わからない事だらけ。
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