ラピス・ペイン

いわゆる愛着障害、アダルトチルドレンと言われる人間の過去と現在と自己分析

『お願い』

2015-06-16 18:55:26 | 詩?つぶやき?
お願いがあるんだ。

これまでの辛い経験や、心に抱えている孤独を口にする時、なるべく明るく話すから。

どうか、最後まで聞いて『散々だったね。』って、笑い飛ばしてくれないか。

あなたに笑い飛ばしてもらう度に、ひとつ、またひとつ、辛い記憶が飛んで行く気がするから。

愛着障害-9

2015-06-03 06:22:46 | 日記
人生の転機って、あたしにも訪れるのだろうか?
そろそろ辛い事は一段落して欲しい。辛い事はこれで最後かな?これで最後かな?と思いながら、毎回毎回頑張って来たけれど、なかなか終わりが見えない。

この本には「安全基地」つまり、安心して頼る事ができて、守ってもらえる心の拠り所、自分の居場所を持てるかどうかが、愛着障害克服のポイントだと書いてあった。

あたしには安全基地が無い。
一番安心するのは一人きりの車の中、その次が一人で仕事をする仕事部屋、その次が一人で行くカフェ。

今のあたしは、頭の中を自分に向ける事で、孤独や寂しさから逃げている。
それは、一時的に心の安定を与えてはくれるけれど、根本的な解決にはならない。

あたしみたいな人間を、人に押し付けるようで、申し訳ない気持ちが強いけれど、あたしと居る事を望んでくれる、心の拠り所になってくれる大切な人を探したい。
これからは、大切な人を、大切に大切に守りながら生きて行ける人生にしたい。

これからあたしがするべき事は、お母さんにあたしの気持ちを素直に書いた手紙と、この本を渡す事。
どこまで理解してもらえるかは分からないけれど、そうする事で、自分の中の何かが一段落しそうな気がしている。

あたしは今でも、お母さんを守りたい気持ちが強く、また、お母さんを失う事に強い恐怖を感じている。
お母さんと分かり合う前に、失ってしまったら、自分がどうなるのか想像もつかない。
まだ間に合う。このタイミングで、あたしに一つの答えを与えてくれた、この本の著者に、心から感謝している。

最後に、もう一人自分が居たら、笑いながら今のあたしに、こう声を掛けたい。
『散々だったね(笑)、ご苦労さま。』
これが、最高の褒め言葉。

愛着障害-8

2015-06-02 06:07:20 | 日記
それと、この本を読んで自分の愛着障害の他に、気付いた事がもう一つある。
それは、お母さんが「回避型」の愛着障害だろう。と言う事。
お母さんは、小学生の時に父親を突然亡くしている。
さらに、血の繋がった母娘なのに、逆らった事がない程、キツイ性格の母親(ばあちゃん)に育てられ、父親が亡くなった一年後には母親が再婚して、新しい父親と一緒に住む事になる。
それだけでも、回避型の愛着スタイルを持つ事で、自分を守って来たんだろう。と言う事は想像がつく。

あたしは「回避型」と「不安型」、さらに人生経験が複雑に混ざり合う事で、結果的に一見、何の問題もないように見える。
良い所を拾ってみると、不安型の、人を大切にする所、回避型の、人との距離を保って当たらず触らず衝突を避ける所、人生経験から、人に依存せず他を尊重し、自立した人間でいる事、人の心の本質に目を向け、思いやりを持つ事。
たくさんの問題を抱えたあたしの、他からの評価は意外にも高い。

どう言う訳か、職場の人達からは、「神様」「仏様」「天使」などと、あたしの穏やかさを半分冗談、半分褒め言葉で笑われる。
良い意味で言ってくれている事は分かっているけれど、あたしにとっては、小学生の頃の仲間はずれと変わらない。
普通が良い。普通に接して欲しい。
あたしを別物にしないで欲しい。
その言葉は、あたしを孤独にさせる。

どうしたら普通になれるのか?
どうしたら人との会話を心から楽しめるのか?
どうしたら自然な自分で居られるのか?
どういう自分が自然な自分なのか?
そんな事すら分からない。
これまで溜めた一般論、これまで溜めた正解の言動、人の気持ち、たまに自分の考え、それらを総合して、自分の対応を決める思考回路が出来上がっている。
この思考回路の為か、人の言葉に返事を返すのが、イッテンポ遅れる事がしばしばある。
そのほんの少しの間が、相手に疑念や不信感を抱かせてしまうようだ。
あたしは最良の返事をしようとしているだけでも、「裏がありそう。何を考えているのか分からない。」と、人との距離が遠のいて行く。

いっぱい苦しんで、我慢して、寂しい思いをして、悲しい思いをして、人に迷惑を掛けないように、頑張って自分のスタイルを作って来たはずだったのに、その実は深い孤独を抱える事でしかなかった。

愛着障害-7

2015-06-01 07:18:29 | 日記
結局のところ、あたしは幼少期の寂しさを今でも引きずっている。と言う事だろう。
実の両親に育ててもらい、じいちゃんばあちゃん、姉、あたし、弟。
普通の家庭で育ったはずだ。
何が悪かったのか、それは運が悪かったとしか言いようがない。
家族が多かった事もあり、家族の中での人間関係や、いろいろな出来事の隙間に落っこちて、取り残されてしまったような幼少期だった。
お母さんには気に掛ける事がいっぱいあった。
お父さんと、じいちゃんばあちゃんのケンカ、弟の大病、お母さん自身も子供のオタフクが移り、右耳がほとんど聞こえなくなったり、お姉ちゃんと弟は風邪を引くと、よく熱を出して寝込んでいたりと。
いろいろ挙げたところで普通の家庭だけれど、体が強くて、甘え下手で、普段は我慢していたあたしは、優先順位が低かった。
さらに、時々不満が爆発するから、怒る時は激しくて、扱いづらい厄介者だったんだろう。
素直じゃなくて、何を考えているのか、理解できない子供だったと思う。

大人が4人いると、それぞれが深く関わらずに済む為か、あたしとちゃんと向き合ってくれる大人が居なかった。
家族の中でも、寂しさ、不安、疎外感を強く感じていた。

あたしは小さい頃、あらゆる事に強い恐怖を感じていた。
知らない人、知らない環境、学校の先生、お父さん、ばあちゃん、じいちゃんが怒鳴る事、家族がバラバラになる事。
必要以上に感受性が強かったあたしは、色んな事にビクビクしながら、それを隠そうと強がって生きてた。
それは、あたしが「安全基地」を持っていなかった事を意味しているんだろう。

それが、普通の家庭に育ちながら、こうなってしまった原因だと考えている。