ラピス・ペイン

いわゆる愛着障害、アダルトチルドレンと言われる人間の過去と現在と自己分析

しんどい。

2017-04-02 00:43:40 | 日記
しんどい。

母親の顔をまともに見られなくなってきた。

けれど、そんなあたしにどう接したら良いのか。困ったような呆れたような。
戸惑う様子だけが他人行儀でぎこちない空気から伝わってくる。

言葉にできない感情が込み上げて。
叫びたくなる。

しんどい。

自己認識

2017-01-30 13:04:08 | 日記
これまで繰り返し自己分析を行って、何とか自分という人間の定義が形作られてきたものの、新たに自分の身体に対しての認識が薄いようだと気づく。

特に顔。
良いと言えるほど良くはなく、悪いと言うほど悪くもなく、普通と言うほど一般的でもないこの顔。

一学年一クラスしかない田舎の小さな学校で、小学1年生から中学3年生まで、9年間同じメンバーで過ごした子供時代。
小学校のクラスの集合写真を見てみると、馴染み深いクラスメイトの中に一人だけ違和感のある顔。
それが自分だった。

そんな感覚を覚えたのは高校生の頃。
当時は『そうか。自分から見ているクラスの風景には、自分が入っていないから変な感じがするんだ。』と解釈したけれど、どうやらそうではないようだ。

幼少期の頃の写真はいろいろな想いを呼び起こす。
幼稚園以下の頃の写真はどれも不安な表情で、無邪気に笑っている写真はなく笑っていても照れ隠しでバカみたいに笑っている写真だけ。
小学生の頃の写真を見ると、『笑わなきゃ。楽しそうにしなきゃ。』という当時の想いが蘇る。

過去の写真だけではない。
今も不意にガラスや鏡に映った自分の顔に違和感を覚える。
『あれっ⁉︎ 誰だっけ?』と、見覚えのある人を見かけたような感覚になる。
その直後、自分だと分かると何とも呆れたような虚しさに包まれる。

自分でいて自分でないような。
変な感覚。

これが一生続くのだろうか?
あたしには自分の居場所を感じ、そこに自分の存在を確かに感じられるような人生は訪れないのだろうか。

それとも皆そうなの?
人には話さないだけで、皆もあたしと同じように孤独や自分の不確実さを抱えて生きているの?

わからない。
わからない事だらけ。

生の認識

2016-10-11 20:40:35 | 日記
時々、自分が生きている事を認識する。
虚しさを抱えてしまった時に。

そんな時には必ず感じる、自分の体との距離。
自分の体の中で、一歩引いた自分がいるような感覚。
そこから自分の体を見つめ、自分が生きている事を認識する。

ほんの一瞬だけれど確かに感じる。
同じ場所にあるけれど別々の二つの生。

悲観ではなく、俯かん的に自分の生を見つめ、ただその事実を静かに受け止める。

こんな感覚、皆んな持っているのだろうか?
人はどんな感覚で生きて行くのが正しいのだろう。
あたしは、これで良いのだろうか?

教師-7

2016-09-25 08:00:51 | 日記
あたしには姪っ子が一人いる。
あたし達は仲良しだ。と思う。
姪っ子が子供の頃から一人の人間として対等に接っするよう心掛けてきた。
今でもその関係は変わらない。
子供時代とは未来の大人を育てる過程だから。
良い子供を育てる事に未来はない。

その子も高校3年生になり、先日学校の進路相談に行ってきたと話していた。
姪っ子は先生の言う事に違和感を感じてあたしに話して来たのだ。
姪っ子は大学進学を考えているけれど、先生は『女の子は大学を出てから就職すると、結婚してすぐ辞めてしまうと思われるから就職難しいよ。』と言ったらしい。

あたしは『これだけ女性も大学を出る人が増えていて、政府も女性の社会進出を進める方針を打ち出している時代に、女性は結婚して辞めるから取りません。なんて時代遅れな事を言う会社なら行かない方がいいよ。』と返した。
先生は何を考えているんだろう。
憤りを覚えた。

それと進路相談の時に『何をやりたい?何歳で結婚したい?』と聞かれ、姪っ子は『音楽をやりたい。結婚は25歳くらいかな。』と答えたら、『音楽で食べていける人はほんの一握りでほとんどの人は音楽では食べて行けないのよ。』『25歳で結婚するには逆算していつまでにアレしてコレしてどうのこうの。。。』と色々言われ、姪っ子はモヤモヤを抱えてしまったようだった。
きっと先生は良かれと思って言ってくれているんだろうけれど。

あたしは『そんなに頭で思い描いたように人生は進まないよ。おばちゃんも23歳で結婚したいと思ってたけど未だに独身だし。それにやりたい事をやらずに諦めるのはよくないね。自分が納得するまでやって自分の限界を知ってからじゃないと本当に諦める事は出来ないよ。いつまで経ってもあの時やっていれば。って気持ちが残るからね。チャレンジ出来る時にはチャレンジした方が良い。OLなんていつからでもなれるよ。おばちゃんがOLになったのは29歳だからね。いつでもなれるんだから若いうちから守りに入る必要はないよ。』と返した。

姪っ子はホッとしたような顔をして、『先生は世間知らずなんだね。』と言った。

その通りだと思った。
教師と言う職業に就いた人は、大学を出てそのまま学校に就職が決まってしまえば学校以外の世界をあまり知らないのかも知れないな。
そうでない人もいっぱいいるだろうけれど、今振り返ってみても教師の中に魅力を感じる人間は少なかったように思う。

姪っ子が悩んだり迷ったりした時には、あたしなりのアドバイスが出来るよう自分を成長させなければ。
ただし、一般的な意見ではないであろう事を前置きした上で。

教師-6

2016-09-24 11:35:25 | 日記
大人なってから、かつて正しい人間だと思っていた学生時代の先生に会う機会が何度かあった。
ほとんどの先生はあたしの事を覚えてはいなかったけれど、皆一様に小さくなったように感じた。

たくさんの教え子がいる為か、先生達のプライベートは窮屈そうだ。
教師は正しくなければいけない。
伏せ目がちで怯えているように見えた先生もいた。
もしかしたら生徒の前に立つ時には、自分を奮い立たせ頑張っていたのかも知れないな。

学生時代、あれ程正しく自信に満ちて大きく感じていた先生達もみんな人間で、それぞれに色々な事情を抱えながら生きていたんだ。

一人だけ印象の変わらない先生がいた。
それは唯一あたしの事を覚えていてくれた高校の時の専門科目の先生。

高校を卒業して9年が経った頃に再開した先生は、お化粧もするようになってすっかり変わってしまったあたしに一目で気づいてくれた。

あたしが高校生の時にはすでに前線を離れていたおじいちゃん先生で、たいした説明もしないまま『やれ~ぃ』と言う特徴的な号令を出すだけの、あまり先生らしくない人だった。

けれど、あたしはその押し付けがましくない所や優しいユルさ、何よりも先生の人間味のある所が大好きだった。

今思えば先生は生徒一人一人を、生徒としてではなく一人の人間として接してくれていたように思う。
そんな先生に会うとあたしは今でも嬉しくなる。