国立大学職員日記
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独法83団体の人件費削減へ=300億円、公務員給与減で-政府


「どうなるものやら」と思っていたらさっそく政府は国立大学法人も含めた独立行政法人の人件費削減を打ち出してきましたね。やり方としては「補正予算編成時に減額分を反映」「運営費交付金を削減」とあるので、当初提示された予算が後になって減らされる、という形になるようですね。

恐らくこのまま行くと、各国立大学法人は就業規則等を改定し、大学職員の給与を国家公務員並みに引き下げる処理を行うでしょう。そこで問題となるのはいわゆる「就業規則の不利益変更」の話と考えて良いと思います。手元にある「労働判例百選(第七版)」によれば、「就業規則の不利益変更が合理的なものである限り」、不利益変更は有効だと書いています。さらに、その「合理性の判断」には次の3つの要素、(1)変更の必要性と変更内容の相当性、(2)多数組合との合意と合理性判断、(3)経過措置、が関わってくるようです。以下、国立大学の場合におけるこれらの判断を、自分なりにしてみたいと思います。

(1)変更の必要性と変更内容の相当性
 「変更の必要性」について、「なぜ給与を減額するのか」と言われれば、今回の場合は「東日本大震災の復興財源の捻出が必要であるから」となるのでまず間違いないでしょう。より詳しく言うと「東日本大震災の復興財源を捻出する必要があり、そのために政府予算を変更して人件費を削減する必要があり、公金から運営費交付金を支出している独立行政法人においてもこれに協力する必要がある」という具合になると思います。これに対する考えうる反論は「人件費以外を削減することで復興財源を捻出することが本当に出来ないのか?」など、いろいろあるでしょうが、このあたりの反論が効力を上げるとは思えません。確かに人件費以外で財源を捻出する方法もあるかも知れませんが、それでも(独立行政法人を含め公務員系統の)人件費を削減することが一つの手段であり、そしてこの手段を政府が選択した以上、その合理性はその決定が「高度な政治的な決定」であるため、自動的に推定されても致し方ないと思うからです。この考え方は「合理性の判断」を「政府が決定したから」に丸投げしていてひどく無責任ですが、「じゃあ人件費以外の費用で持って今回の復興財源の捻出が可能であることを誰が、どのように立証するのか」「仮に立証が出来たとしても、それで持っても人件費を削減する方法が即座に不当であると言い切れるのか」などなど、実際に反論するには気が遠くなるような説明が必要であることを考えると、そこまで不当でもない、と、思いたいところです。また、予算削減が「高度な政治的な決定」であるか否かについて特に根拠は示していませんが、これについては「人事院勧告を実施せずに給与削減法案を成立させることの是非」が国会で議論になった際に、人事院総裁が「人事院勧告を上回る削減を行うことについては高度に政治的な決定であるため、その実行については両議院で決めていただき、人事院としてはその違法性については判断しません」みたいなことを言っていた記憶があるため、そこまで的外れな見解でもないと思っています(このあたりは両議院の各委員会の議事録のどこかに書いてあるはずですが、もし自分の記憶違いなら申し訳ないです)。
 「各国立大学法人の予算が減らされたからといって、即座に人件費を削るのはおかしい。まず国立大学は人件費以外の経費の削減が出来ないかどうかを検討してから給与引下げを行うべきだ」という反論は個人的にはアリだと思います。これについて、各国立大学は「政府がそう決定したから」という理由だけで人件費削減を行うべきではなく、まず政府が予算を削減したことを受けて人件費削減(あるいは労働条件の不利益変更を伴う処理)以外の手段を取れないか検討したが、やはり人件費を削るしかなかった、という具合(「具合」っていうも変な書き方ですが…)になるべきだと思います。これは特に、法人化して運営費交付金に使い道を裁量的に決めることが出来るようになった権利に付随する義務みたいなもののはずです。
 とは言え、「国立大学には人件費以外の費用を削減して今回の予算削減に対処する方法もあったはずだ」というのも、実際には主張しにくいと思います。国立大学にはそれぞれ「○○億円」という形で運営費交付金が配分されるものの、実際には「人件費はこれだけ、設備に掛かる費用はこれだけ」というように使い道を定めて予算を出している訳ですから、政府が「人件費として○○億円分、予算削減する」と提示すれば、やはり各国立大学もその削減分を人件費を削減して対処する、というのがもっとも合理的な方法だと思います。もちろん、独自に対処する大学があっても面白いと思いますが、「人件費○○億円分減らされたけど、給与を下げない。その代わり○○事業関係はやっぱり行わないことにするよ」とやると、それはそれでかなりの混乱を招くと思います。あるいは、日本ではあまり現実的ではありませんが、「給与下げない代わりに人減らすよ」として何人か解雇する、という方法だって、考えられない訳ではありません。この点、日本は簡単に解雇することが出来ないシステムになっているので、今回の予算削減で解雇が生じる、というのはまず考えられないと思いますが、これは逆にいうと「なかなか解雇されることが無いんだから就業規則の不利益変更くらい受容しなさい」とも言える訳で、下手にいろいろ考えると逆に給与引下げを是認する結果に終わる気がします。
 あとは「解雇が出来ないなら非常勤を雇い止めにする」という方法もあります。ひどいこと書いているな、と自分でも思いますが、それでも、強引にでも正規職員の給与水準維持を敢行するならありえる方法の一つであり、そして恐ろしいことに合法的にやれてしまう方法の一つです。もっとも、すぐに退職させる、という具合には行かないでしょうから、任期満了した非常勤の後釜に人を入れない、だとか、3年か5年が上限だったけど1年や2年で契約更新を停めることにする、という感じで、比較的緩慢に人員整理は行われると思います。今回は給与引下げの期間が2年だけであり、この方法はあまり現実的ではありませんので実施はさすがにされないと思います。しかし、給与引下げを行わずに無理して給与水準を維持しようとする場合には起こりえる事態として可能性もあることを考慮に入れれば、正規職員の給与引き下げもまた、割と現実的且つ温情的な予算削減への対処方法ではないかなと、個人的には思っています。少なくとも、自分は給与引下げがされるからと言って、「なぜ給与が下がるのか訳が分からない」等とわざと理解できない振りをして(あるいは意識的に無知となって)感情的に反対する方法は嫌いです。
 なお「変更内容の相当性」についてはあまり問題にならないと思います。今回の給与引下げについてはその計算方法も公開されており、「純粋に財源が減らされる分だけ人件費も連動して引き下げる」という大学が取るであろう処理事態には違法といえるほどの非合理性は無く、「国家公務員に準じて給与を引き下げること」には相当性がある、という内容で決着すると思います。

(2)多数組合との合意と合理性判断
 これを使って「これから行われるであろう給与引下げの合理性」を否定するのはほぼ無理でしょう。そもそも「従業員の大多数が加入している労働組合」を持っている国立大学なんて無いと思いますし、結局は過半数代表者の合意を得ることで、大学側はこの問題をクリアすると思います。また裁判判例自体も、必ずしも多数組合との合意を必須条件にしている訳ではないので、やはりこのことだけで給与引下げを阻止するのは難しいと思います。
 ただ、その決定過程において労働者に内容を説明したか否かの点は非常に重要だと思います。不利益を被る利害関係人に事前・事後の説明を行うことは説明責任の本質ですし、労働者には「負担を強いられるなら内容を知る権利がある」とも思っています。この点、個人的な経験上、大学事務局などは説明を蔑ろにする傾向があるのではないかと危惧しています。大学にしてみれば説明したところで引下げ内容が変わるわけではありませんし、いちいち忙しい合間を縫って内容を完全に把握するのは非常に面倒くさいとは思いますが、こういった説明は実施に伴う一種の手続き的義務だと考え、もう少し実施に力を入れて欲しいと個人的に強く思います(なんなら自分を2週間くらい、そういう説明をやる担当に入れてついでに資料を集める権限を与えてくれれば、給与引下げに反対している職員たちにぐうの音も言わせないほど完璧に説明し、なおかつその挙句にそのことをネットに公表してやる、とか思うんですが、実現しそうにありませんね)。

(3)経過措置
 これは一種の「緩和措置の存在」を不利益変更実施の要件とすることで、労働者が受ける不利益の度合いを弱めようとするものです。これについては、自分は「存在している」と考えます。「国立大学が独自に緩和措置を行う思う」ということではなく、そもそも「今回の給与引下げ自体に緩和措置が最初から付随している」と考える訳です。
 例えば、そもそも今回の給与削減は2年間の時限立法です。これ自体、かなりの緩和策だと個人的には思っています。なぜなら、そもそも今話題にしている就業規則の不利益変更は恒久的な引下げであっても全然不思議ではなく、それを考慮すれば「2年に限る」という給与引下げは必ずしも違法と言えるほどの不利益を労働者に課すものとは言えないと思うからです。さらに、若年層と中高年層では削減割合に差を設け、国家公務員給与体系で若年層の給与水準が民間に比べて低くなっている、ということへの対処も行うなど、このあたりは割りとポイポイ理由が出てくるはずです。というか、そもそも国を挙げての給与引下げに官僚達が言い分を準備していないわけが無く、今回の国立大学の給与引下げにおいてもその官僚たちの言い分が直接大学側の言い分になる訳ですから、これを論破するのもちょっと現実的ではないような気がします。


 以上のとおり、自分は今回の国家公務員給与削減法案を受けての独立行政法人の給与引下げについては、「恐らく実施されるだろう」、且つ、「実施されることには合理性がある」という見解を持ちます。
 「そもそも実施すべきかどうか」は「内容に合理性があるか」とは別の問題ですが、実はこれについても自分は「(少なくとも予算の削減は)実施されるべき派」です(完全肯定という訳ではありませんが、少なくとも実施に賛成の立場です)。これについて特に難しい主張はありません。国立大学法人の給与は「国家公務員に準ずる」という立場で良いと個人的に思っているため、今回の国家公務員の給与引下げに際しても、国立大学法人も準じて給与引下げをするべきであり、それに応じて予算の削減もするべきだと思っているだけです。ちなみに「大学の予算削減を受けてそれをそのまま大学職員の人件費削減につなげるか否か」はちょっと微妙です。上にも書きましたが、この点については各大学で独自政策があっても良いと思いますし、個人的にそういう方法を考えるのは大好きです。が、「とりあえず予算は減らし、その上でそれを人件費に反映させるかは各国立大学の責任で決定する。とは言え、現状を考えるならやはり人件費分を削減されたのだからそれにあわせて実際に人件費を削減するのが、最も現実的な解決策だろう」というのが、今の自分の立場な訳です。


 今回の政府の決定の受け、各国立大学がどのような動きになるのかは、今後も逐一調べていこうと思います。


 なお、今回は手元にあった労働判例百選を参考にしましたが、労働条件の不利益変更あたりは労働契約法の成立で少し変わっているかもしれません。今回の内容はちょっと古い判断枠組みで書いているかも知れないので、この点ご注意ください(不利益変更の有効性を考えるのに、その「合理性」を問うやり方自体は変わっていないようですが)。

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■はじめに
 本ブログでは平成21年度分から国立大学運営費交付金額のランキングを作っています。一番最初は「文教ニュース」から、その次以降は「旺文社 教育情報センター」が毎年公表している運営費交付金の記事からデータを取得していました。今年もそんな風にしてデータを取得しようと考えていたのですが、よく考えたら自分は国立大学運営費交付金額の「一次資料」を見つけておらず、「二次資料」データでランキングを作り続けるのもいかがなものかなと思ったので、今回はランキング作成前に国立大学運営費交付金額の「一次資料」を探してみました。
 とは言えどうやって手に入れたらよいものやら、最初はさっぱり分かりませんでした。そこで目的のために手段を選ばず、手っ取り早く文部科学省の情報公開制度に則って資料請求をしてみることにしました。
 まず最初に文部科学省の担当部署に問い合わせて事情を説明し、「国立大学運営費交付金の各機関へ配分する額が書かれた資料を請求することはできますか?」と聞いたところ、「その資料でしたら特に情報公開制度に則って資料請求するまでも無く渡すことが出来ます」という返答でした。これは僥倖とさらに「平成24年度予算が成立してすぐ欲しいのですが可能ですか?」と聞いたところ、「予算案は既に出来ていてこれが変更されることはほとんどないので今すぐにデータを差し上げます」という返答で、結局最初の問い合わせから2時間たらずでPDF資料を取得できました。
 まさかこんなに迅速に対応してもらえるとは思わず正直かなり驚きました。本省と言えば忙しい時期にやたら手間のかかる調査物を投げかけてくるやっかいなところ、くらいにしか思ってなかったのですが、決め付けは良くなかったかなと今では反省しています。次回からはもうちょっとやたら期限の厳しい調査物なんかにも気持ち協力的に返答しようと思います。

 そんな経緯で運営費交付金の平成24年度データが手に入ったので今回はかなり速報的なランキングです。これを書いている平成24年3月31日時点ではまだ暫定予算しか成立していませんが、本予算もそのうち成立するだろうと思うので少し見切り発車的に公表します。
 国立大学運営費交付金と言えば平成22年の概算要求(シーリング)で凄まじい削減がされるかも知れないと話題になりましたが、結局は例年通りの削減幅に落ち着いた件が記憶に新しいです(「元気な日本復活特別枠」があったおかげだったのかも知れませんが)。今回は特にそのような騒動はありませんでしたが、復興特会込みで対前年度削減割合は「0.91%」と、結果だけ見れば昨年度よりも減っています(復興特会無ければ1.4%減)。やたら騒いだ昨年度が法人化以後の対前年度削減割合の最も低い年で、今年は何の音沙汰もなく順調に昨年度よりも減っている、というのは何だかこれでいいんだか分かりませんが、とにかく効率化係数に基づく「毎年大体1%減」作戦は順調に進んでいるようです。




■平成24年度 運営費交付金 国立大学ランキング





 全体的に1%前後予算が減っていて、全国立大学中の順位は大体昨年度と同じという状況かと思います。震災にあった国立大学に対する予算の優遇があったのかどうかは分かりませんが、予算額が上がっていたり順位が上がっている大学には東北地方のものが多い印象を受けます。

■おわりに
 以上、平成24年度の運営費交付金のことでした。
 運営費交付金についてふとこれを「ジニ係数」で考え見たら面白いのではないかなと思ったので、今回とは別に国立大学を一つの国家と考えてジニ係数調査、つまり財の配分の公平性を調べてみようと思っています。いつかエントリーを作るかもしれないので、よろしければご期待ください。



※ここからは試論:「運営費の毎年度1%削減」の是非とそれが与える事務職員の人員配分ルールへの影響とか(例のごとくかなり長いので省略可能です)

 国立大学が法人化して9年、その間にもいろいろな社会情勢の変化はあったのでと思いますが、運営費交付金はなんだかんだ言っても「毎年大体1%減」で順調に減らされていっています。このことについて、採用された当初は「乱暴な削減方法だな」と思っていましたが、最近は「これで良いのかも知れない」と思うところも出てきました。あくまで「思うところも出てきた」であって、無条件に賛成する訳ではないのですが、ちょっとここのところを書いておこうと思います(また以下に述べることは自分が最近体験したことに基づく考えであり、あくまで「自分の勤務している国立大学の場合の話」ですが、似たような構造を持つ大学もあるのではないかと思います)。

 結論から書きます。自分が「毎年大体1%減」に賛成できる部分があると意思表明するのは「結局そうして外部から圧力をかけないと改善されない内部構造があると思うから」です。
 そしてその「改善されない内部構造」とは「大学内部における事務職員人員配分のルール」のことです(もちろんこれ以外にもあると思いますが、今回はこの問題を中心にして話を進めます)。そしてそれらは特に「規模という観点から見た人員配分」と「人件費抑制という観点から見た人員配分」、及び、「業務の公平性」と「業務の効率性」が競合しているという問題です。

 自分のいる国立大学では、各部局への人員配分は「規模という観点から見た人員配分」が優先されていると言えます。「規模」とは要するに「教員数」「学生数」「外部資金額」のように客観的に数値化しやすいものです。また客観的であるが故に人員配分を行う側としては「業務の公平性」を重視した方法とも言えます。
 しかし一方で「規模という観点から見た人員配分」は必ずしも「人件費抑制という観点から見た人員配分」と一致しません。なぜなら、例えば「教員100名・学生200名・外部資金額1000万円」と、「規模」が全く同じ部局が2つあったとしても、片方のA部局は毎日残業だらけで片方のB部局は毎日仕事を探すくらい暇、という状況がありえるからです。このような場合はB部局からA部局へ事務職員数を移すという「人件費抑制という観点から見た人員配分」を行う必要性があります。またこのような処置はA部局事務職員の時間外労働数を下げB部局事務職員の単位時間あたりの処理業務数を上げるという意味において、人員配分を行う側としては「業務の効率性」を重視した方法とも言えます。
 しかしまた一方で、「規模という観点から見た人員配分」を修正する「人件費抑制という観点から見た人員配分」は再度「規模という観点から見た人員配分」に修正、あるいは見直しを迫られます。なぜなら、例えば「教員100名・学生200名・外部資金額1000万円」と、「規模」が全く同じ部局が2つあったとして、片方のA部局は毎日残業だらけで片方のB部局は毎日仕事を探すくらい暇、という状況があったとしても、実はA部局事務職員は旧態依然として非効率な業務方法を改善せずに業務を行っている一方で、B部局事務職員は業務の効率化・省力化に全力で取り組んだ結果業務時間数を減らすことに成功した、という状況がありえるからです。このような場合、仮にB部局からA部局へ事務職員数を移すことによって「業務の効率性」を推進できたとしても、A部局はB部局の努力に「ただ乗り」した形となるため、「業務の公平性」を欠きます。また同時に、公平性を欠いた人員配分を放置すれば、それは各職員の意欲を下げるため、長期的に見て「業務の効率性」を下げる結果にもつながります。
 そして以後、再び重視された「規模という観点から見た人員配分」はA部局職員の業務効率化の取り組み具合の再評価に伴い、やはり再び「人件費抑制という観点から見た人員配分」に修正・見直しを迫られます。このように「規模という観点から見た人員配分」と「人件費抑制という観点から見た人員配分」は常に競合しあい、バランスを保とうとするのが本来の形であって、決して片方に偏るものではない、というのが理想形だと思います。しかし実際には現状の国立大学は「規模という観点から見た人員配分」に重点が置かれ、「業務の効率性」よりも「業務の公平性」が重視されることが続いて今日に至りました。その原因は「業務の公平性」と「業務の効率性」の「判断の難易度」及び「説得力の有無」にあると思います。

 一番最初に書きましたが、「規模という観点から見た人員配分」はその根拠となるものが客観的に数値化しやすいため、この数値化の作業さえ適切に行われ、且つその数値化の作業工程の事後確認が出来れば、「判断も容易」であり「説得力もある」ことになります。
 一方で「人件費抑制という観点から見た人員配分」は「労働時間数」という、一見これも客観的で数値化しやすいものを根拠にはしていますが、各職員の労働時間数というのは「人数」や「金額」と違って最小単位が必ずしも同じでは無い、つまり、A職員の1時間の労働とB職員の1時間の労働が必ずしも同じ価値を持つと限らないため、労働時間数だけでは説得力に欠けます。そこで「人件費抑制という観点から見た人員配分」を行う場合は、必ず「労働時間」が「適切に行われた労働時間」であることを「管理職の地位にある職員」が保証する必要が出てきます(あるいは「管理職の地位にある職員」はこの「労働時間」が「適切に行われた労働時間」であるように、普段から労働者を管理・監督しなくてはいけません)。この「管理職の地位にある職員の保証」が適切なものであれば良いのですが、あいにく現在の人類は「各労働者が労働時間に適切に業務処理を行ったかどうかを極めて客観的に数値化する方法」をまだ確立していないので、この「管理職の地位にある職員の保証」はあくまで「人間による手作業」となり、結果として「ある程度の困難」が付きまとい、且つそれに応じて「説得力の有無」も上がったり下がったりします。
 このように、「規模という観点から見た人員配分」と「人件費抑制という観点から見た人員配分」はその判断の正確性と説得力の有無が同じであれば常に適切にバランスを取り合いますが、「人間という誤りうる存在の度合い」が強い分、「規模という観点から見た人員配分」が優先され、結果として「業務の効率性」よりも「業務の公平性」が優先されてきました(特に「管理職の地位にある職員の保証」はその「裁量」で行われる部分が大きいために、評価の手順や事後確認に困難が伴い、結果としてその評価の正確性や説得力に「業務の公平性」の場合以上の労力を費やすため)。
 またここで重要なのは、過去国立大学において『「業務の効率性」よりも「業務の公平性」が優先されてきた』としても、それは決して各時代の人間が『「業務の効率性」よりも「業務の公平性」を重視してきたつもり』では無いかも知れないということです。つまり、各時代々々の人間はあくまで『「業務の効率性」と「業務の公平性」のバランスを取ってきたつもり』だが、国立大学が法人化される時代になって過去の経緯を見返してみると、その判断方法では『「業務の効率性」よりも「業務の公平性」が重視される方法であった』と「修正評価」された、あるいは、『完全に国家機関であった際に要求される「業務の効率性」と「業務の公平性」のバランスが、国立大学法人になる際に要求される「業務の効率性」と「業務の公平性」のバランスとは異なるものになった(国家機関は効率性がかなり劣るとしても時に絶対に保持しなくてはならない公平性とういものが特に観念されるため)』ため、過去の判断方法がもはや現代では通用しなくなった、ということです。

 ここまでが「構造的な問題点の話」で、これからが「対処方法の話」です。

 国立大学における人員配分のルールが「業務の効率性」よりも「業務の公平性」を重視してきたとされたため、国立大学はこれに対処しなければならなくなりました。結果としてこの対処には「運営費交付金の毎年大体1%減」という方法が取られましたが、これはあくまで一つの方法であり、これが唯一絶対という訳ではないはずです。なぜなら運営費交付金を減らさなくとも、例えば大学内で『「管理職の地位にある職員の保証」の精度を高める方法の採用』を開発することによって、機械的に運営費交付金を減らさなくとも自助努力で適切な人員配分を実現して人件費削減を行う、というような方法もまた観念し得るからです。また、実際にそのように主張した人間も多くいたはずです。
 しかし実際にはこのような自助努力案は採用されず、結果として「運営費交付金の毎年大体1%減」という方法が取られました。各国立大学が自助努力を行うよりも、「運営費交付金の毎年大体1%減」という方法を取った方が各国立大学法人の効率化は推進されると判断されたのだと思います。
 この方法を採用したことの是非については意見が分かれるかと思いますが、最初にも書いたとおり、自分は『この方法を取った方が「大学内部における事務職員人員配分のルール」を初めとする内部構造の見直しにつながり、効果的である』と考えます。もちろんこれは自分の考えです。その根拠は次に記しますが、人によっては『「大学内部における事務職員人員配分のルール」を初めとする内部構造の問題点は自助努力により解決した方が効率的だ』とするのも大いにアリですし、自分もそのような考えのあり方を否定する訳ではないので、念のために申し添えます。

 自分が「大学内部における事務職員人員配分のルール」の適切な実施を行うのに「運営費交付金の毎年大体1%減」を取った方が効率的だ、と考えるのは端的に言えば「そうやって外部から圧力でもかけない限り内部構造というのは早々に変えられるものでは無い」と考えるからであり、これはもう少し詳しく書くと上に書いた「管理職の地位にある職員の保証」の精度向上(それも短期間での精度向上)は自助努力だけでは非常に困難である、と思うからです。
 『なぜ「管理職の地位にある職員の保証」の精度向上が自助努力だけでは困難であるか』ということについて、自分は特に一般論(あるいは一般論と言われるような説)を超えるような独自の根拠はありません。先に書いた『現在の人類は「各労働者が労働時間に適切に業務処理を行ったかどうかを極めて客観的に数値化する方法」をまだ確立していない』でもいいですし、身内査定では評価が甘くつけられる傾向がある、機関と人に限らず過去に行った自己の行為は正当化したがる、公的機関には競争相手がいないため内部構造の効率化のインセンティブは民間のそれに劣る傾向がある、前例踏襲型とされる公的機関で短期的・抜本的な改革は望みにくい、新規一括採用・定期昇給等の日本型社会構造では横並びが重視されていたためそもそも管理職は「評価」という処理が苦手、等々、雑駁な根拠でも充分だと思います。
 「じゃあ1%削減し続ければ内部構造は修正されるか」という点について、その保証はありません。しかし「少なくとも自助努力よりかは期待できる」し、「やることありきで財源を配分するのではなく、配分できる財源に併せてやることを設定する」と考えても良いため、「運営費交付金の毎年大体1%減」が内部構造の修正を保証する必要もまた無いと、個人的には思っています。


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