日日の幻燈

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【note】甲州街道・与瀬宿から吉野宿まで歩いてみた(1)-与瀬宿を往く-

2017-04-16 | 旧甲州街道を往く

去年の11月26日以来、久しぶりの甲州街道歩く旅です。メンバー全員、仕事が繁忙期に入り半死状態でしたが、ようやく一段落ということで、4月15日、2017年の旅をスタートさせました。

【JR相模湖駅】


集合はJR相模湖駅。前回の最終地点です。前回は小原宿までだったので、今回は与瀬宿から。11時集合としましたが、なんだか電車が止まっているだか遅れているだか…との情報だったので、早めに家を出ました。なので駅に着いたのは10時。
そう言えば、前回に来たときは駅は工事中でしたが、すっかりきれいに生まれ変わっていました。

【津久井の組みひも】


時間があったので駅前の観光案内所に寄りました。ここ相模湖一帯は「津久井の組みひも」が産業のひとつ。その起こりは大正時代とのこと。現在では20社ほどが組みひもを作っているそうです。
そんなわけで、私も5mの組みひもと、組みひもを使った奴さんキューピーの根付けを買いました。

【与瀬宿】


それでは歩き始めます。相模湖駅前の交差点は、すでに与瀬宿。前回歩いた小原宿、与瀬宿、吉野宿、関野宿は近距離に位置し、地元では相州四ヶ宿と呼ばれているそうです。

天保14(1843)年の「甲州道中宿村大概帳」によると、与瀬宿は

・本陣…1軒
・脇本陣…なし
・問屋場…1ヶ所
・旅籠…6軒
・宿場の家数…114軒
・宿場の人口…566人

とのこと。
東隣の小原宿と2宿セットの片継の宿場で、江戸方面へ向かう荷を小原宿を通り越して小仏宿へ継ぎ立てていました。逆に西へ向かう荷は、小原宿で継ぎ立てて与瀬宿を通過して西隣の吉野宿へと向かいました。
そうそう、ここは鮎が名物でしたが、歌川広重は高くて不味いと評したとか。

【本陣焼1】


歩き出してすぐ、街道沿いのお店で「本陣焼」なるものを売っていました。お饅頭です。中身は野沢菜とか餡子とか。

【本陣焼2】


私は餡子。他の3人は野沢菜。歩き出して数分なのにもう茶屋で一服みたいな感じです。ご馳走さまでした。
ちなみに本陣とは、与瀬宿の本陣ではなく小原宿の本陣のことで、正式には「をばら本陣焼」というらしいです。

【はるばる来たぜ与瀬宿】


そしてまだまだ先は長い…。

【与瀬宿本陣】



「明治天皇與瀬御小休所趾」の碑が建つあたりがかつての本陣。往時は建坪111坪だったそうです。

【与瀬本陣付近の甲州街道】


本陣前までは国道20号線が旧街道です。車の通行量も結構多いです。

【与瀬神社】


相模湖駅から歩いて数分、与瀬神社へ向かいます。ちょうどこの日は与瀬神社のお祭りでした。参道付近には露店も出ていて賑わっていました。

【与瀬神社・参道】


長い石段だなぁ~と見上げつつ、ここを越えれば目指す神社かな。
ところが、その先に思わぬ景色が広がっていました。

【与瀬神社・中央道横断橋】


階段を登りきると、こんな感じ。正面左の鳥居が与瀬神社。右側は慈眼寺。そして参道の下を通るのは中央道。この石段、中央道を越すために作られた横断橋だったのでした。昭和43年のことと記念碑には記されています。

【与瀬神社・社殿】


横断橋からさらに石段を登ってやっとの思いでたどり着いた与瀬神社。普段運動不足の身にはこたえました。
この神社、江戸時代には蔵王社とも称し、与瀬村の鎮守として崇められていました。創建年代は不明のようですが、天和2(1682)年に現在地に遷座されたとのこと。与瀬の権現さまの虫封じが名高いそうです。
虫封じ?最近は聞かない言葉ですね。調べてみたら
「幼児が消化不良や寄生虫を宿したりして身体が弱くきげんが悪い場合や、〈虫がおこる〉とか〈疳の虫〉と称するひきつけや疳が起こった場合に、これを防ぐ呪法のこと」(「コトバンク」より引用)

【与瀬神社・例大祭】


お祭りということで、境内には地元の人が多く集まっていました。法被を着ている人たちの他に、観光客と思われる人も随分といました。天気が良かったのでたまたま相模湖へ遊びに来たのか、それともお祭りが目当てだったのでしょうか…。
今登ってきた急な石段を神輿を担いで下っていくそうです。「ヤヨ、キヨ」と独特の掛け声をかけての神輿の渡御。迫力ありそうですが、残念ながら時間的にはまだ先のようなので断念。江戸時代後期に編纂された地誌「新編相模国風土記稿」にも「西より東より南より北より尊信して群参礼拝す」と、例大祭の賑わいが記録されています。


【慈眼寺】


与瀬神社の麓にある真言宗のお寺。江戸時代には与瀬神社の別当寺(神社を管理するお寺)でした。

【慈眼寺より相模湖をのぞむ】


山門から相模湖をのぞむと、まさにこれぞ絶景!。満開の桜と山の緑と相模湖。ついでに真下に中央道。


実は今回、忙しさのせいにしてほとんど下調べもせずに決行に至ったのです。あんまり立ち寄る場所もないだろうから、ひたすら歩いて上野原宿を目指す!という事前の甘い目標は、桜に見惚れ、湖の絶景にうつつをぬかし、お祭り気分に浸り、すでにここで大いに時間を取られてしまい、最初から暗雲たちこめる旅立ちとなったのでした。


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