4日続けて食べた魚です。(食べた人中村)
これ、高級魚なんですけど。。。。(コメント小田)
食堂が気持ちよく稼動し始めた。
「いつも清潔に!」 貼り紙が必要だわね。
ホテルの広場で舞うお二人は、古い気功「五禽戯」の
「鳥」のところを練習中。
木々の向こうは「太湖」
海のような湖だが、小雨で対岸は見えなかった。
お天気でも広い湖の対岸は見えないかもしれない。
太湖のパーキングに停車中のトラック。
はあ~~、蛇のように長いトラックだ。
長年行きたかった中原は色んな意味で素晴らしかった。
中国の大きさ、長い歴史に育まれた成熟した文化を感じた。
それを造り上げてきた人々の心も。
同行してくれた楊小京、鄭敏、そして京冷の皆さんの協力、
高速道路と三菱オートランダ―のお陰だ。(謝々!)
南京の町を取り囲む城壁。
城市と呼ばれる都市は、このような城壁で取り囲まれていた。
有名なのは北京の長城。
南京の城壁も良く保存されていて、町中のしっとりした緑と
併せて美しい。
緑に囲まれたホテルは、国際会議などに使用される。
南京のプラタナスの街路樹は古くて大きくて緑のトンネルだ。
洋風の建物も多く残り栄えた時代を感じさせる。
楽しげに楽曲を仮名で踊る女人たち。いい時代だったのだ。。
西方の様子を思わせる風俗の人形たち。
於:徐州博物館2F
「科挙」の制度が長らく支配していた中国。
「及第」という言葉はこここから来たのかな?
藍色が何ともいえずいい。
明の時代のものは洗練されている。
於:全旨博物館
チケット
徐州博物館
鎧を身に付けた兵士と馬。
大砲
博物館の1Fは武具が並ぶ。今ある武器類はすべてある。
種類の豊富なこと、また戦いの道具として完成されていること。
予想外だった。鉄器、青銅器が発達した訳だ。
権力者は死後、「玉(ぎょく)」の石で編まれた衣服を纏い
お棺に入れられた。しかし息が詰りそうだ。
チケット
徐州博物館開館前に登った向かいの小高い丘は「雲龍山」
頂上には古いお寺とがあり、ここは古い町だと思わせる。
「雲龍山」に建てられた抗日戦争殉死者の碑。
西湖を模した湖は、ヨーロッパの森を思わせる。
のどかに釣りをするひとの姿が見える。
王後陵
すでに高度に発達した武具の数々も収められている。
奥さんの「王後陵」の入り口。
44年かけて造ったという「陵」は、排水設備も整っている。
馬や武具、生活の各部屋も立派だ。もちろん祭事を行う
部屋には、細工を施した品が並んでいる。
しかし、厳重な石扉にも関わらずほとんどが盗掘されてしまった。
柳の綿毛
ふわふわと飛んでくるのはポプラの綿毛か?
木にも綿毛が止まって雪のようだ。日本には無い光景。
ホテルを出て暫く走ると平原の中に小高い丘が見え、
頂上は大きな像が見える。ワオー!!「項羽と劉邦」のあの「劉邦」だ。
彼は今の時代でも英雄なのだ。
畑では農作業の姿でのどかな風景だった。
呉服の元は漢服(漢民族の服)だったとは・・・
その呉服は日本に来て和服と呼ばれるようになった。
漢民族はその昔、漢民族とは称されておらず、中原の黄河流域に
暮らす部族で華夏族と称されていた。(紀元前546年)
のっけから広大な歴史が飛び出してきた。フゥー・・・
「梁孝王陵」「陵」は日本でも天皇のご陵で同じ意味だが、
規模がケタ違い!
長い階段を登った丘陵一帯に、「梁孝王陵」、奥さんの「王後陵」
息子の「梁共王陵」の墓地が広がる。
日本の墓地の概念ではなく、規模といい、金銀財宝といい、死後の
世界も生前と同じようにとした、エジプトのピラミッドを想像した
方が分かりやすい。
この一帯は「永城市MANTANG山漢文化旅遊区」、
全国重点文物保護単位。国家AAAA級旅遊景区、に指定されている。
60元/人 チケット
ふわふわと飛んでくるのはポプラの綿毛か?
木にも綿毛が止まって雪のようだ。日本には無い光景。
ホテルを出て暫く走ると平原の中に小高い丘が見え、
頂上は大きな像が見える。ワオー!!「項羽と劉邦」のあの「劉邦」だ。
彼は今の時代でも英雄なのだ。
畑では農作業の姿でのどかな風景だった。
呉服の元は漢服(漢民族の服)だったとは・・・
その呉服は日本に来て和服と呼ばれるようになった。
漢民族はその昔、漢民族とは称されておらず、中原の黄河流域に
暮らす部族で華夏族と称されていた。(紀元前546年)
のっけから広大な歴史が飛び出してきた。フゥー・・・
「梁孝王陵」「陵」は日本でも天皇のご陵で同じ意味だが、
規模がケタ違い!
長い階段を登った丘陵一帯に、「梁孝王陵」、奥さんの「王後陵」
息子の「梁共王陵」の墓地が広がる。
日本の墓地の概念ではなく、規模といい、金銀財宝といい、死後の
世界も生前と同じようにとした、エジプトのピラミッドを想像した
方が分かりやすい。
この一帯は「永城市MANTANG山漢文化旅遊区」、
全国重点文物保護単位。国家AAAA級旅遊景区、に指定されている。
60元/人 チケット
午後はひたすらあの三国志の舞台となった「中原」へ向かう。
何年も前から行ってみたかった「中原」に期待が膨らむ。
道路脇の家々が次第に簡素になっていき、麦畑が続く。
家々は数軒~10数軒かたまっていて小さな村落のようだ。
ポプラの並木と麦畑が延々と続く。ワオー!!!
「曹操運兵道」の入り口
東漢(後漢)の末に造られた「曹操運兵道」
地下に掘られた運兵道は抗日戦争の時にも使用されたとか。
両側から掘り始め狂いもなく一本のトンネルとなった、と。
全容は未だだが現時点で8000m、地下2,3m~6m、軍事施設や
通気孔の整った地下道は「地下長城」と称されている。
この日は、安徽~毫州市~永城市(泊)
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