福田共同墓地から北を見ると、農地の向こうにお寺の屋根が見えた。
入間川の土手を左に見て進むと、道は右にカーブして星行院の前に出た。
その直ぐ向こう側に赤い鳥居があった。鳥居には「赤城神社」の額が掛かっていた。
この額は文字が抜かれている珍しいものであった。
鳥居の右の建物は、「福田公民館」である。
その前に「福田の獅子舞」の説明板が建っていた。
鳥居を潜ると、境内の奥に社殿があった。
そばの大きな木が、社殿に影を落としていた。
「赤城神社は昔から福田の鎮守だったが、明治以後志垂(南山田)、網代(北山田)の各山王社および宿粒(南山田)、向小久保(石原町)などの各八幡社が合祀されている。したがって、氏子も福田のほかに南、北山田の者で構成されている。」
「境内には、明治41年(1908)の「耕地整理記念碑」がある。」
境内入口の火の見櫓の側に「耕地整理記念碑」があった。。
いままで見た中で、最も小さな耕地整理記念碑である。
最新の画像もっと見る
最近の「川越散歩」カテゴリーもっと見る
最近の記事
カテゴリー
- 川越散歩(520)
- 散歩写真(504)
- 川越の四季(花・木・自然)(690)
- 川越の桜(150)
- 川越動物誌(201)
- 庭の花・実(127)
- すき間に生きる(51)
- 空と雲(6)
- 行事・イベント(77)
- 碑文を読む(24)
- 文学碑を歩く(7)
- 説明板を読む(34)
- 伝説を歩く(12)
- 石仏・石像・狛犬(14)
- 伊佐沼(37)
- 時の鐘(13)
- 町まちの文字(43)
- マンホールのフタ(15)
- 街中アート(20)
- 火の見櫓の風景(44)
- ポストの風景(9)
- 街の時計(7)
- 三十六歌仙額(36)
- 案山子(かかし)(51)
- 川越駅西口(89)
- ふれあい拠点施設(60)
- 川越の端っこめぐり(138)
- 赤間川・新河岸川下り(112)
- 安比奈線(40)
- 街道を歩く(12)
- 落し物・忘れ物(15)
- 現代の妖怪(6)
- PCでお絵描き(6)
- ホームページ(3)
- 川越関連本(34)
- 小江戸川越検定試験(36)
- その他(13)
バックナンバー
人気記事