前回はコチラ。
いつものようにすっかり間が空いてしまいましたが、
今日で釜石ラーメンを一区切りにしたいと思います。
区切りということで、ちょっとした考察をば。
釜石ラーメンをテーマにして進めてきましたけども、
今思えば、釜石ラーメンの舞台である釜石市についてしっかりと紹介していませんでした。
釜石市は岩手県の沿岸南部に位置しておりまして、
ま、簡単に言えばリアス式海岸の一角を担うまちのひとつであります。
地図にするとこのあたり。
(所長画:釜石位置図)
世界三大漁業の一部でありながら、良質な鉄鉱石が採れる場所でもあって、
それに目をつけた大島高任という人が江戸時代に釜石市で洋式高炉を築いた関係で、
実は日本における近代製鉄業の発祥の地だったりします。
現在、そのときの高炉を世界遺産にしようという取り組みもあるのだとか。
近代製鉄発祥の地として、一時は人口が10万人に迫る勢いで、
県庁所在地である盛岡市に次ぐまちになるのではという時代もあったそうですが、
それは今は昔の話。
太平洋戦争時には艦隊による射撃を受けたほか、
肝心の高炉の休止も影響したのでしょう、
今では人口が4万に満たない状況です。
さらに4年前の東日本大震災によって、釜石市は大きな被害を受けました。
世界一の湾口防波堤をもってさえ、
あの大津波は防ぎきれませんでした。
これは釜石市に限った話ではないけれど、震災が釜石市に与えた絶望ってどれほどのものだったのでしょう。
個人的に、釜石市は本当に栄光と苦難を経験してきたまちだと思います。
ここらで話を釜石ラーメンに戻します。
現地調査の際に聞き取りしたように、
釜石ラーメンは比較的最近出てきたものなのだそう。
つまり、釜石ラーメンは伝統的な文化ではなくて、
きっと復興に向けた釜石市による、近年の営みのひとつなんだろうなぁと思わされます。
具体的なことはわかりませんから、あくまで推測なんですけど、
「復興に向けて何かやっていこうぜ」という釜石市の皆さんの気持ちの結実なんじゃないかなぁ。
「釜石を売り出していくために何か有名にしていこうぜ、釜石を興していこうぜ」
そんな取り組みが実際にどれほどあったかはわからないですし、
あまりテキトーなことは言いたくないなぁという感じがしますが、
最近のそんな動きのひとつとして釜石ラーメンが誕生したのではないかと。
でもこれはホント推測です。
まぁぼくはラーメンはあっさりよりもこってり味噌派ですけど。
カッパ「ぶっちゃけおれは味噌派なんだけど、きみは?」
テング「こってり味噌かスーパーアッサリの塩かな」
カッパ「ん?あっさり琥珀色の醤油スープは?」
テング「まぁ人それぞれだからな」
カッパ「…せやな」
現地調査の際、こんなやり取りがあったのは内緒の話。
震災から4年が経って、釜石市に明るいニュースが増えたように感じます。
釜石に県内3番目の規模というイオンが建ってJKとかたくさん来ていて繁盛しているようですし、
なんとラグビーワールドカップの会場にも選ばれました。
官民問わず、いろんな形で復興を目指していく途中にあって、
そのなかで生まれたのが釜石ラーメンなのでしょう。
「昔から漁師の村で、だからこそこんなラーメンができた」
といった伝統的な文化ではなく、
復興に向けて、商業的な意味合いが大きい、
比較的最近つくられた文化なのではないかなと思う訳です。
たしかに所長は味噌派ですし、副所長も味噌か塩派で、
釜石ラーメンのあっさり醤油味は、まぁ好み的にはあれなんですけど、
今後釜石ラーメンがどんな定着の仕方を見せていくのか、
釜石市の復興とともに見守っていきたいと思うのです。
(「釜石ラーメン」 釜石市)
いつものようにすっかり間が空いてしまいましたが、
今日で釜石ラーメンを一区切りにしたいと思います。
区切りということで、ちょっとした考察をば。
釜石ラーメンをテーマにして進めてきましたけども、
今思えば、釜石ラーメンの舞台である釜石市についてしっかりと紹介していませんでした。
釜石市は岩手県の沿岸南部に位置しておりまして、
ま、簡単に言えばリアス式海岸の一角を担うまちのひとつであります。
地図にするとこのあたり。
(所長画:釜石位置図)
世界三大漁業の一部でありながら、良質な鉄鉱石が採れる場所でもあって、
それに目をつけた大島高任という人が江戸時代に釜石市で洋式高炉を築いた関係で、
実は日本における近代製鉄業の発祥の地だったりします。
現在、そのときの高炉を世界遺産にしようという取り組みもあるのだとか。
近代製鉄発祥の地として、一時は人口が10万人に迫る勢いで、
県庁所在地である盛岡市に次ぐまちになるのではという時代もあったそうですが、
それは今は昔の話。
太平洋戦争時には艦隊による射撃を受けたほか、
肝心の高炉の休止も影響したのでしょう、
今では人口が4万に満たない状況です。
さらに4年前の東日本大震災によって、釜石市は大きな被害を受けました。
世界一の湾口防波堤をもってさえ、
あの大津波は防ぎきれませんでした。
これは釜石市に限った話ではないけれど、震災が釜石市に与えた絶望ってどれほどのものだったのでしょう。
個人的に、釜石市は本当に栄光と苦難を経験してきたまちだと思います。
ここらで話を釜石ラーメンに戻します。
現地調査の際に聞き取りしたように、
釜石ラーメンは比較的最近出てきたものなのだそう。
つまり、釜石ラーメンは伝統的な文化ではなくて、
きっと復興に向けた釜石市による、近年の営みのひとつなんだろうなぁと思わされます。
具体的なことはわかりませんから、あくまで推測なんですけど、
「復興に向けて何かやっていこうぜ」という釜石市の皆さんの気持ちの結実なんじゃないかなぁ。
「釜石を売り出していくために何か有名にしていこうぜ、釜石を興していこうぜ」
そんな取り組みが実際にどれほどあったかはわからないですし、
あまりテキトーなことは言いたくないなぁという感じがしますが、
最近のそんな動きのひとつとして釜石ラーメンが誕生したのではないかと。
でもこれはホント推測です。
まぁぼくはラーメンはあっさりよりもこってり味噌派ですけど。
カッパ「ぶっちゃけおれは味噌派なんだけど、きみは?」
テング「こってり味噌かスーパーアッサリの塩かな」
カッパ「ん?あっさり琥珀色の醤油スープは?」
テング「まぁ人それぞれだからな」
カッパ「…せやな」
現地調査の際、こんなやり取りがあったのは内緒の話。
震災から4年が経って、釜石市に明るいニュースが増えたように感じます。
釜石に県内3番目の規模というイオンが建ってJKとかたくさん来ていて繁盛しているようですし、
なんとラグビーワールドカップの会場にも選ばれました。
官民問わず、いろんな形で復興を目指していく途中にあって、
そのなかで生まれたのが釜石ラーメンなのでしょう。
「昔から漁師の村で、だからこそこんなラーメンができた」
といった伝統的な文化ではなく、
復興に向けて、商業的な意味合いが大きい、
比較的最近つくられた文化なのではないかなと思う訳です。
たしかに所長は味噌派ですし、副所長も味噌か塩派で、
釜石ラーメンのあっさり醤油味は、まぁ好み的にはあれなんですけど、
今後釜石ラーメンがどんな定着の仕方を見せていくのか、
釜石市の復興とともに見守っていきたいと思うのです。
(「釜石ラーメン」 釜石市)
コッテリ食いたいわー
自分でも意外と良い感じにまとめられたなと思ってるんだぜ(笑)