いわて!くせじゅ庵

岩手県のあらゆる文化をゆる~く探究していくブログ。

ダイナミック!焼走り溶岩流。

2017-07-27 02:00:19 | 岩手の自然
どうも所長です。

同じ月に2回も更新するなんていつぶりかしら…。


さて、昨年10月の話ですが(オイ)、

岩手県北西端にある八幡平市の「焼走り溶岩流」を見てきました。

場所はこちら。



アスピーテラインがあるところですね。

その日はもう10月だってのにとても暑くて、

草野球の帰りにぼくと友人とで「温泉で汗を流そう!」となってドライブにでかけたところ、

たまたま通りかかったので寄ってみたのです。



そこがどのような場所か、簡単にいえば、

溶岩が冷えて固まったまま残っている場所

です。そのまんまです。

1719年、あるいは1732年に岩手山が噴火した際、

流れ出た溶岩がこのあたりで冷え固まった様子が

約300年経った今でも残っているのだとか。

そこが公園というか遊歩道のようになっていて、

その様子を間近で感じることができます。


もうどれくらいで着くかすら忘れてしまったけれど(オイ)、

岩手山のすぐ近く、これまた山道をドライブしていると着きます。


(目に見えるUV)

写真手前のゴツゴツした地面が見えますかね?

これが冷えた溶岩です。

これが眼前にいっぱいに広がるんです。


(反対側はこんな感じ。辺り一面ゴツゴツ)

当時はポケモンGOが流行ってまして、

「ブーバーがいたらオツやなぁ」

とはこの景色を見た友人のつぶやき。

その友人がポケモンGOを開くと、

出てきたのはクラブだったらしいですけどね。



このロープに従って、溶岩の中を歩いていきます。



通路もボコボコなので少々歩きにくいです。

サンダルで行った友人は中腹でサンダルが壊れて、

後半を裸足で歩くハメになってましたので、

みなさんはサンダルで行かないことをオススメします。(おれらだけ?)



途中には木。写真の白い部分は苔のようです。わずかですけどね。

それにしても端っこが見えない風景って素敵です。



やっと終わりが見えました。

30分くらいかかったでしょうか、ゆっくり歩いて。


さて、ここの紹介をば。

焼走り溶岩流は昭和27年に国の特別天然記念物に指定されています。

その理由としては、数ある冷え固まった溶岩流のなかでも、

① 噴出時期が明らか

② 植物がほぼ生えず、地形もそのまま

この2点を満たすのがとても貴重だかららしいです。

その規模は、特別天然記念物に指定されている範囲だけでも、

約150ha!!

岩手県の人に分かりやすく表現すると、

岩手県営球場が約110個分です。

え?かえってわかりにくい?

でも東京ドームとの比較なんて意地でもしないんだぜ(どーん)。


その溶岩は「含カンラン石シソ輝石普通安山石」。

うん。

なんのこっちゃ。

早口言葉かな?

読むことすらままならない。


そして「焼走り」とは、この溶岩が流れている様を昔の人が表わしたのだとか。

目に浮かびますよね。

夜(かどうかはわからないけど)岩手山から真っ赤な溶岩がどろどろと流れている様子。

おどろおどろしい感じ。

誇張もあるのかもしれないけど、

当時の風景が浮かぶ昔の人の表現ってとても好きです。



まとめ。

この風景、もう言葉にならないよね。

火山、地球、大地、

あるいは自然という言葉で表わされるこのパワー。

圧倒的で、人間はこのパワーには勝てないというか、

そもそも本来勝負の土俵に立っていないんだろうなぁと思います。

今でこそ科学技術で自然物をあちゃこちゃしてますけど、

自然には人間とは別世界のダイナミックなパワーを感じるのです。

自然のなかにこそ人間はあるのではないか。

いかにも一般に大自然といわれるような風景を目の当たりにすると、

ぼくはそう考えざるを得ないのです。


今よりは科学技術が発展していなかった昔は、

自然物をあちゃこちゃするなんて発想は

はたして存在していたのでしょうか。

それこそ、まさに人間は自然に自然の中にあったのではないか。


自然との向き合い方が、文化もしくはそれを構成する材料であるのだと思います。


なんだか予想以上に深刻な感じになってしまいました。

しかも文化に話が飛び火もして。

おかしいなぁ。テキトーに

「サンダルで来ると裸足で歩くハメになるぞ!」

くらいのまとめにしようと思っていたのに。


ま、ここらで今日はおしまい。



(「焼走り溶岩流」八幡平市)

呑ん兵衛横丁で呑んだくれ!

2017-07-18 00:39:02 | 食文化





どうも所長です。

今日はお酒の話!

ぼくも副所長もお酒好きのお酒飲み。

よく二人で海で朝まで飲んだっけな。

ぼくはまぁどこにでもいる程度の酒飲みですが、

副所長は本当にザル。

何度一緒に飲んだかわかりませんが、

酔った姿なんて一度しか見たことがありません。

彼は酔うと友情に熱く(誤字ではないよ)なるんですよ。



さて本題です。

今日のネタは釜石市の「呑ん兵衛横丁」です。

釜石市は釜石ラーメンの舞台ですね。

場所はこのあたり。




呑ん兵衛横丁は、もともとは釜石市の漁港の近く、中心街の外れにあって、

5人程度しか座れないような簡易なつくりの居酒屋が集まった通りのことです。

外観はこちら。



中学生のころなんかは、夜にこのあたりを通ると、

なんとなくレトロな怪しげな雰囲気を感じていました。


呑ん兵衛横丁は、昭和30年代前半、戦争により旦那さんを失った方々などが

生活をするために店を始めたものなのだそう。

高度成長期の釜石市の発展も影響したのでしょう、

最盛期には30店以上もの居酒屋さんが並んでいたとか。


ですが、それは今は昔の話、

東日本大震災によって呑ん兵衛横丁は全壊してしまいました。


ですがですが、浜の女性は強いとはよくいったもので、

その後、釜石市の鈴子町に震災後に建てられた「はまゆり飲食街」のなかで、

呑ん兵衛横丁はプレハブの仮設店舗ながらも再開され、

元のママさんたちが店を続けたのでした。


今回はそこに副所長と行ってきたよって話。


一応、取材を兼ねているので、

カッパとテングの格好をして飲んだものだから、

そのママさんたちを大いに不審に思わせたと思うけど、

とても楽しい一夜になりました。





(今の呑ん兵衛横丁、はしゃぐ副所長。今夜は何かから解放されたのかな?)



1軒目は「お恵」。

ママさんは呑ん兵衛横丁で店を出してから、

なんと今年で54年。

言葉のひとつひとつに深みがあります。





ビールで喉を潤したら、料理と日本酒に真剣にならなければなりません。

どんことイカのお刺身、ホタルイカの煮物。

酒はもちろん釜石が誇る地酒「浜千鳥」の冷で。

飾り気のない料理を浜千鳥がなおのこと優しい味にします。

そして、名物の味噌おでん―。

素敵な一時でした。もう酔いました。



2軒目は「向島」。



店の中はどこもこんな感じ。こちゃこちゃした物が店内に個性を出しています。


(副所長は浜千鳥をもっきりで。)

ママさんの人生談、哲学に聞き入りながら、夜を更かします。


(ママさんが連射で撮ってくれました。ぼくは麦の水割りに移行。)


3軒目は「とんぼ」。



おだやかなママさんが優しい味の煮物を出してくれます。

そんな煮物には再度浜千鳥。そろそろ(だいぶ)酔ってきたので2人で1本。


(居酒屋でカッパの格好してたばこ吸ってんのって他にいますか?)


(ママさんがやはり連射で撮ってくれた。副所長、疲れてる?)


たっぷり堪能できましたから、ブログのネタとしては十分なのですが、

1軒あたりが安く済む天下の呑ん兵衛横丁で、

ママさんの噂に違わぬ人情に触れといて、

たった3軒で帰るわけにはいきません。


そんな訳で、4軒目は「カサブランカ」。

毛色を変えてスナックです。


(プレハブの2階にあります。)


(時間的にも〆なので、ぼくは麦、副所長は芋をお湯割りで。)

貸切のなか、ママさんに勧められるがまま、



カラオケで騒ぐだけ騒いで帰ったのでした。




いやぁとても楽しかったです。

取材と称して呑めましたからね(どーん)

いや、真面目に言うと、

味よし酒よしママさんよし雰囲気よし。

残業後にふらっとしたくなるような、

そんな懐かしさと親しみやすさがある素敵な場所でした。


ただし、話はただ酔った話では終わりません。

ここってあくまで「仮設店舗」にあるわけですから、

いずれはどこかに移る必要があります。

そのため、昨年、市が中心となって、

元の所在地の近くに新たな飲食街をオープンし、

「そこに戻って!」という話もあったようですが、

そこに移ることすら、労力と費用がかかってしまうので、

従業者の高齢化も関わってスムーズにはいかず、

今回訪れさせていただいたようないくつかの店は、

今もなお仮設店舗で営業をしているのだとか。

呑ん兵衛横丁はまさに存続するか否かの岐路にあるようです。


市の考えも仕方ないし、ママさんたちの言い分も理解できる。

「こうすべき!」なんて意見はとても述べられません。


ただ、こんな素敵なところが無くなってしまったら、

それは仕方ないことなのでしょうけど、

ただただ寂しい感じがします。


なんていうのかな、ぼくの立場で言えるのは、

こういった事情にノスタルジーな気配を感じつつ、

人情味あふれたママさんの人柄と料理を味わう。

ここってそんな場所なんだと思います。

いつかまた行ってみたいと思います。




(「呑ん兵衛横丁」釜石市鈴子町14)

桜の木の下には

2017-04-29 23:08:02 | 事務のお仕事
どうも、所長です。

相変わらずの更新速度ですね。

それでも久しぶりの2カ月連続更新です。

それすらもはや褒めてもらいたい。



今春から、岩手県沿岸南部の大船渡市に住んでおります。

1年間だけね。


昨年は岩泉町、今年は大船渡市。

もともとの生まれは一関市(旧千厩町ですが)、実家は西和賀町(これまた旧沢内村ですが)、

育ちは釜石市、大学は福島県福島市、勤め先は盛岡市。

「住めば都」が本当ならば、私の岩手県には都が多すぎだい。


つくづく「縁」って不思議だなぁと思いますから、

こういう地域の縁もかけがえのないものに感じられる人でありたいなと思います。



ところで、今住んでいる大船渡市は岩手県で最も桜の開花が早いそう。

たしかにもう散ってしまっているほどに早かったですし、

とても綺麗でしたよ。写真はないけど。


桜って綺麗ですよねぇ。

満開の桜は文句をつけようもないでしょう。

最近、それを「完璧に調っている。」と評する人がいたのですが、

まさにそのとおりだと思います。



なんかさー。

物事をむつむつ考えるのは好きだから、

そうして考えたことをここでだらだらと書くことも好きなのだけれど、

「そういうブログじゃねぇよなぁ」って最近思うんですよ。

本来の目的がないがしろになっているなぁとね。思うようになったのです。

やっと。


このままじゃいかんざき。

初心に戻って今年こそ頑張りますかね。

こんなブログでも私たちの考えを応援してくれる人もいることですし。

とはいえ放っておくとまた放置するからさ、ぼくは。

なのでここで自分に縛りを設けたいと思います。





今年中に10件岩手の文化を取り上げなかったら、




















坊主にします!!















副所長が(ぼそっ





というわけで自ら厳しい規制を設けたのですから、

今年こそ頑張りたいと思います。


まずGWに遠野市の民俗やるぞー!



もはや言い訳はしない。

2017-03-12 00:55:55 | つれづれ日記
今年もお世話になりました。
明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

ふー、たまっていた挨拶を一気に片付けました。

またまた放置してました。

あとはタイトルのとおりです。


いやぁ2017年ですね。

年々、自分が自分だけでなくなっていく心持ちがするのは、
おそらく気のせいではないのでしょうね。


4月から岩手の沿岸南部で1年間働くことになりました。

被災地派遣ってやつだね。


さほどアクティブではない私であるにも関わらず、
仕事の同期に昨日送別会を開いていただきました。

「今までありがとな!」

「おれらのこと忘れんなよ!」

「うん、みんなのこと忘れない!!」


うん、あのね、

仕事、やめる訳じゃないんだ。

いやはや、それでもありがたいことです。

とりあえず居住が1年間だけ移ります。

きっと、これを機に活動の幅を広げることになるのではないでしょうか。



たぶん。

ま、今年もよろしくです。

被災地にて。

2016-11-08 20:27:51 | おのずから人間文化考
どうも、所長です。

被災地支援ということで、昨日から岩泉町の職員として働いています。

岩泉町は岩手県の沿岸北部に位置する町で、有名なところだと、

龍泉洞や岩泉ヨーグルトなんかは聞いたことがあるかも。


今年の夏、とんでもないルートを辿った台風10号が、

岩手県の沿岸から上陸するという前代未聞の出来事がありました。


いつもの台風であれば、うまいこと日本列島に沿ったルートでくるので、

各土地では自分のとこにくる程度の勢力に慣れていて、

それぞれ「いつもどおり」に合わせた対策をしているわけだ。


でも今回の台風では、その「いつもどおり」があてはまらない状況。


よく東京で積雪○センチって大騒ぎをしていて、

それを見た東北人が、

東京軟弱すぎワロタwwww

とかいうけど、

あれは東北と東京では天候への慣れがそもそも違うのであって。


今回の台風10号のように勢力を保ちながら北上高地の東側から上陸されるなんて、

岩手県の沿岸部にとって、まさにその慣れがなかったんだと思います。


1時間に60ミリの大雨が北上高地にぶつかって、

その雨水がそこかしこの山から太平洋につながる大きな川に流れ込んで、

結果、北上高地の山々から太平洋に川をつなぐ岩泉町で、

大規模な洪水が起きたのでした。


老人ホームから逃げ遅れた利用者たちが何人も亡くなったというニュースは、

とりわけ大きく伝えられていたように思います。


ぼく自身、そのニュースばかり見ていて、

それ以外の場所がどのような被害にあったかよく掴めておらず、

被害の全体像がわからないまま、派遣されてきました。


実際に被災地に来てみて、

とんでもない洪水だったことを改めて感じます。

老人ホームのそばはもちろん、

ニュースでは見たことがなかったような場所が壊滅的であったり。


ひしゃげた家のようなものの脇を、

紅葉の下で綺麗に流れている川をみると、

なんとも虚しい気持ちになります。


そもそも人知・人力の及ばないことが「自然」であることを、

技術の発展している今、災害でこそ強く感じるのはどうしてでしょう。





何でもかんでも大きなことに繋げて考えるのはあまり好きではないので、

災害をいちいち東日本大震災と関連してどうだとか、

そういうのはしたくないのですが。

大学時代、東日本大震災から自然についてあれこれ考えるようになっていたので、

今回のようなことがあると、またそのときの感覚が戻ってくるようです。

今回の派遣を良い機会と捉えて久しぶりにあれこれ考えてみようと思いますまる