どうも所長です。
今日はお酒の話!
ぼくも副所長もお酒好きのお酒飲み。
よく二人で海で朝まで飲んだっけな。
ぼくはまぁどこにでもいる程度の酒飲みですが、
副所長は本当にザル。
何度一緒に飲んだかわかりませんが、
酔った姿なんて一度しか見たことがありません。
彼は酔うと友情に熱く(誤字ではないよ)なるんですよ。
さて本題です。
今日のネタは釜石市の「呑ん兵衛横丁」です。
釜石市は釜石ラーメンの舞台ですね。
場所はこのあたり。
呑ん兵衛横丁は、もともとは釜石市の漁港の近く、中心街の外れにあって、
5人程度しか座れないような簡易なつくりの居酒屋が集まった通りのことです。
外観はこちら。
中学生のころなんかは、夜にこのあたりを通ると、
なんとなくレトロな怪しげな雰囲気を感じていました。
呑ん兵衛横丁は、昭和30年代前半、戦争により旦那さんを失った方々などが
生活をするために店を始めたものなのだそう。
高度成長期の釜石市の発展も影響したのでしょう、
最盛期には30店以上もの居酒屋さんが並んでいたとか。
ですが、それは今は昔の話、
東日本大震災によって呑ん兵衛横丁は全壊してしまいました。
ですがですが、浜の女性は強いとはよくいったもので、
その後、釜石市の鈴子町に震災後に建てられた「はまゆり飲食街」のなかで、
呑ん兵衛横丁はプレハブの仮設店舗ながらも再開され、
元のママさんたちが店を続けたのでした。
今回はそこに副所長と行ってきたよって話。
一応、取材を兼ねているので、
カッパとテングの格好をして飲んだものだから、
とても楽しい一夜になりました。
(今の呑ん兵衛横丁、はしゃぐ副所長。今夜は何かから解放されたのかな?)
1軒目は「お恵」。
ママさんは呑ん兵衛横丁で店を出してから、
なんと今年で54年。
言葉のひとつひとつに深みがあります。
ビールで喉を潤したら、料理と日本酒に真剣にならなければなりません。
どんことイカのお刺身、ホタルイカの煮物。
酒はもちろん釜石が誇る地酒「浜千鳥」の冷で。
飾り気のない料理を浜千鳥がなおのこと優しい味にします。
そして、名物の味噌おでん―。
素敵な一時でした。もう酔いました。
2軒目は「向島」。
店の中はどこもこんな感じ。こちゃこちゃした物が店内に個性を出しています。
(副所長は浜千鳥をもっきりで。)
ママさんの人生談、哲学に聞き入りながら、夜を更かします。
(ママさんが連射で撮ってくれました。ぼくは麦の水割りに移行。)
3軒目は「とんぼ」。
おだやかなママさんが優しい味の煮物を出してくれます。
そんな煮物には再度浜千鳥。そろそろ(だいぶ)酔ってきたので2人で1本。
(居酒屋でカッパの格好してたばこ吸ってんのって他にいますか?)
(ママさんがやはり連射で撮ってくれた。副所長、疲れてる?)
たっぷり堪能できましたから、ブログのネタとしては十分なのですが、
1軒あたりが安く済む天下の呑ん兵衛横丁で、
ママさんの噂に違わぬ人情に触れといて、
たった3軒で帰るわけにはいきません。
そんな訳で、4軒目は「カサブランカ」。
毛色を変えてスナックです。
(プレハブの2階にあります。)
(時間的にも〆なので、ぼくは麦、副所長は芋をお湯割りで。)
貸切のなか、ママさんに勧められるがまま、
カラオケで騒ぐだけ騒いで帰ったのでした。
いやぁとても楽しかったです。
取材と称して呑めましたからね(どーん)
いや、真面目に言うと、
味よし酒よしママさんよし雰囲気よし。
残業後にふらっとしたくなるような、
そんな懐かしさと親しみやすさがある素敵な場所でした。
ただし、話はただ酔った話では終わりません。
ここってあくまで「仮設店舗」にあるわけですから、
いずれはどこかに移る必要があります。
そのため、昨年、市が中心となって、
元の所在地の近くに新たな飲食街をオープンし、
「そこに戻って!」という話もあったようですが、
そこに移ることすら、労力と費用がかかってしまうので、
従業者の高齢化も関わってスムーズにはいかず、
今回訪れさせていただいたようないくつかの店は、
今もなお仮設店舗で営業をしているのだとか。
呑ん兵衛横丁はまさに存続するか否かの岐路にあるようです。
市の考えも仕方ないし、ママさんたちの言い分も理解できる。
「こうすべき!」なんて意見はとても述べられません。
ただ、こんな素敵なところが無くなってしまったら、
それは仕方ないことなのでしょうけど、
ただただ寂しい感じがします。
なんていうのかな、ぼくの立場で言えるのは、
こういった事情にノスタルジーな気配を感じつつ、
人情味あふれたママさんの人柄と料理を味わう。
ここってそんな場所なんだと思います。
いつかまた行ってみたいと思います。
(「呑ん兵衛横丁」釜石市鈴子町14)