前置につづいて、本編です。
いずれ必ず参拝するつもりだった厳島神社。
何だか無性に行きたくなったのよねー。
急に気持がつながるってのも、ご縁のひとつかな。
名古屋~広島ということで距離はあるものの、
新幹線 → 在来線 → 駅前すぐフェリー乗り場
という環境のおかげで、片道3時間ほどしかかかりません。
公共機関で地方の神社巡りをする場合、
新幹線+在来線を乗り継ぎ、最寄りの駅からバス1時間、さらに徒歩で・・
なんて場合もザラにあるので、
こういった駅チカな神社は本当に助かります。
JR宮島口で降りると、フェリー乗り場までは徒歩5分少々です。
駅では大勢の観光客が降りるし、
みんな同じ場所を目指してゾロゾロと歩いていくので、迷うことはないでしょう。
地下道を通ります。
桟橋から宮島までのフェリーは二社あるのですが、
『大鳥居の前まで寄ってくれる』という、JR側の船乗り場へいきます。
駅前方面を振り返る。
とにかく、駅⇔フェリー乗り場 を行き来する観光客の数が半端ないんで、
地下道が必須になるのも大いに頷けますねー。
往復切符を買って船へ。
有名どころと言うことで、外国人観光客の姿がとても目につきました。
客室は1~3階まであり、外のデッキ部分も人でいっぱい。
およそ10分の乗船時間を、みなさん思い思いに過ごされています。
そうこうしてる間に、気づけば前方に有名な大鳥居の姿が。
到着時は、干潮だったため潮位がかなり下がっており、
大鳥居まで歩いて行けるというレアな時間帯でした。
数時間もすれば水が戻ってきて陸地は水没してしまうので、その前に私も歩いていこう!!
(・・って思ってたのに、その後すっかり忘れちゃったんだよなあ。(ノ_-。))
あっという間に到着しました。
フェリー乗り場を出るとこれまた大勢の人。
まさしく、THE観光地 です。
遠足とか修学旅行とかの団体さんもいっぱい。
さすが、国内外から年間300万人以上の観光客が訪れるという厳島です。
キャー鹿さんかわいい!!
フェリー桟橋付近、市街地沿岸部のあちこちにいて、とても人慣れしています。
ふと奈良を思い出しましたが、
こちらの鹿さんは保護の観点からエサやり禁止となっているので注意。
正式名称の「厳島(いつくしま)」は、
厳島神社の御祭神である市杵島姫命(いちきしまひめ)の名に由来しています。
対して「宮島」という通称は江戸時代以降から使われたもので、
「宮(厳島神社)のある島」という意味なのだとか。
島全域が瀬戸内海国立公園として特別保護区域となっており、
1952年には国の特別史跡、特別名勝に指定されました。
人力車発見。
〈宮島マップより抜粋〉
フェリー桟橋のところにある無料の島内マップを片手に散策開始。
ちなみに1~12までの数字は、ブログの解説用に私が追加したものです。
(※マップ無断転載禁止なので、ブログ使用にあたり念のため宮島観光協会にお尋ねしたところ、
商用でなければ全く問題ないとのことでした。)
宮島といえば、もみじまんじゅうに、杓子(しゃもじ)。
ということで、
「世界一の大杓子」。 <地図の1>
でかっっ!!!
これは、杓子発祥の地である宮島のシンボルとして3年近くもの歳月をかけて制作されたもので、
樹齢270年のケヤキの木から作られています。
長さ7.7メートル、最大幅 2.7メートル、重さ2.5トン。
あとカキもね。
厳島神社 末社
幸神社(さいわいじんじゃ) <地図の2>
大賑わいの表参道から中に入ったところに、ひっそりと鎮座しています。
御祭神:猿田彦神
かつては疫病の神・牛王が祀られていた幸神社。
社殿の背後にある陰陽石は道祖神のご神体と言われ、
『道祖神社』とも称されていたそうです。
1800年代初めごろからは『幸神社』と呼ばれるようになり、
町の名も「牛王町」から「幸町」に変わりました。
疫病封じや火難・水難の神、子宝の神として住民から崇敬されています。
その愛らしい神社名とは反対に、礼儀や姿勢には厳しい感じがする神社です。
ちゃんとマナーを守りさえすれば優しく相対して下さるので、
撮影前に一言おことわりするのは勿論のこと、
いつも以上に真摯な気持ちで手を合わせたほうがいいかもしれない。
あ、こちらも両部鳥居だ。
福井の大瀧・岡太神社のときも思ったけど、やっぱかっこいいわー。
先ほどまでの喧騒が嘘のように静かです。
家々の先には青空に映える五重塔がそびえていて、
景色をずっと眺めていたら、時代の感覚がずれそうになりました。
幸神社から、西(厳島神社方面)へ向かいます。
趣のある街並みがつづく島内。 <地図の3>
このあたりは人もまばらで、静かに景色を楽しむことができます。
島全体が御神体(神域)とされたここ厳島では、
血や死をケガレとして忌避したため、今でも島内には墓地も墓も存在しないそうです。
また、御祭神が女神ということで、
その女神の神域において女性の象徴である機織りなどをせず、
農具を土に立てる耕作を行うことも禁じられたのだとか。
石段の足もとに、紀元二千六百年と刻まれた石碑がありました。
紀元二千六百年とは、
皇紀2600年にあたる1940年(昭和15年)のこと。
ちなみに皇紀1年(元年)は、記紀における神武天皇の即位年(紀元前660年)です。
五重塔へと向かう階段わきに、
龍髭の松(りゅうぜんのまつ)という立派な黒松があります。
丁寧に手入れされた、樹齢200余年の美しい松。
その名のとおり、
龍のひげ(髯)のごとく枝を伸ばしています。
延々と横にながーーくつづいて・・
こんな素晴らしい景観を作り出しているのですね。
すごいなあ・・。
まさに芸術品でした。
その2へつづきます・・。