くららエクストラ

~140文字でつぶやききれなかったことプラスアルファ~

毎年この時期になると迷いまくる~手帳問題~

2014-11-26 08:38:14 | twitterの続き


この時期に本屋さんや雑貨屋さんなんかを覗くと、新しい年のカレンダーや手帳が所狭しと並んでいます。
自然とそちらに足が行ってしまい、ついつい手に取ってしまいます。

特に手帳!
ビジネス用やキャラクターものはもちろん、最近では占いや風水、地域情報や子育てなど、
かなり多岐に渡ったジャンルで発売されていて、見ているだけで楽しくなってきます。

せっかくだから、どれか1つ買って使おうと思うのですが、
ここ数年は手帳を入手しても途中で書かなくなってしまいます。

その理由は、

①書くこと自体が面倒
毎晩、家で手帳を開いて記入すること自体続かない。むしろそのための時間を取るのも面倒。

②持ち歩くと荷物になるし重い。

③そこまで書くことがない。
ブランクの枠を見ると、なんかさみしい気持ちになる。
特に、1日を時間ごとに細かく区切ってある欄は、とにかく書くことがないので、資源と人生の時間を無駄にしているのでは…と申し訳ない気持ちになる。

特に③。学生の頃までとは違って、毎日の予定にそんなに変化があるわけでもなく…。

というわけで、自然と手帳から遠ざかってしまうのでした。
なので、予定などは無難に携帯のカレンダーに入力しています。
それとともに、手書きで何かを記すということも激減してしまいました。

しかし気になる手帳。

以前、友人の誘いでとある講演会に行ったら、手帳が当選しました。
なかなか有名なものらしく、「この手帳で私は人生が変わったんです!」と、意識高い系の知らない参加者に突然猛アピールされ、驚いた記憶があります。

よく覚えていませんが、自己啓発とビジネスと生き方を高めるようなテーマで、日々の予定以外に自分の考えや計画、夢などを書くようになっていました。
そして、それを振り返ったりするような仕組みだったと思います。

早速、私もそれで人生を変えよう!!と意気込んだのもつかの間、内容が難しすぎて即座に挫折しました。

そもそも、夢がない。
自分がどうなりたいか、わざわざ書くほどの内容もない。
そして、そもそも何を書いていいのか分からない。手帳だというのに。

せめて、自分がどうなりたいかくらいは書こうと、「今週は、何事も無理せずに過ごす」と書き、1週間後くらいに振り返りましたが、だからなんだ…と思ったのみ。
成長も何もあったもんじゃありません。
まして、それで人生が変わるなんて、20回くらい生まれ変わらないと無理そうです。

というわけで、アホすぎて内容が理解できない&日々何も考えずに生きている。
まさに、豚に真珠。馬の耳に念仏。猫に小判なのでした。

というより、人生が変わることを望んでいなかったのでしょうか。
それすら、よく覚えていません。

なんとなく、明日も本屋さんに寄って、目についた手帳を手にとっては
「どうしようかなー、書くの続くかなー。やっぱ雑誌の付録でいいかなー」なんて迷っていそうです。

でも、それが楽しかったりもするのです!?








そろばんの時代よふたたび!!

2014-11-24 23:28:04 | twitterの続き


友人との会話で、子供の頃にやっていた習い事の話題になりました。
最近は、幼いうちから体操やら英語やら習うということで、ちょっと驚いています。

個人的には、何はともあれそろばんをおすすめしたいです。
集中力がつくし、パパっと計算ができるし、年齢もあまり関係なさそうだし、
大人になってもおつりがくるくらい役に立ちます。

私が子供の頃は、田舎だったので習い事の種類もそんなになく、
せいぜいピアノ、習字、そろばん、スイミングといったところでした。

しかも、どの教室に行っても、同級生や同じ学校の人、友達の兄弟ばかりいるローカルっぷりでした。

私が習っていたのは、そろばん。
友人たちとともに、小学生の間はずっと通っていました。

きっかけは、あまりの私の計算のできなさでした。
個人商店にお遣いに行ったら、まんまとおつりをだまされて帰ってきてしまい、
それから間もなく、そろばん塾の門をくぐることになったのでした。

そろばんは、親指と人差し指を使い、そろばんの珠をはじいてひたすら計算をします。
足し算引き算はもちろん、掛け算や割り算、見取り算や伝票算といったそろばん特有のものも。

今でこそ、掛け算や割り算のやり方は忘れてしまったけれど、
足し算引き算は日常生活に欠かせないものになっています。

たとえば、スーパーでの合計金額を計算したい時、バーゲンの割引後の値段を知りたい時、
割り勘の金額を知りたい時などなど。

計算中、右の親指・人差し指が自然と動いてしまうのですが、それを見られると不気味がられます。
頭の中にそろばんの珠があり、それで手を動かして答えを出しているのですが、
なぜそれで計算ができるのか不思議なんだそうです。

でも、私からしたら、そろばんをやっていなかったのに計算できる人たちがすごすぎる!

今は携帯の電卓機能を使えばいいけれど、携帯がなかった時代や手元にない時を考えると、
そろばんをやっていなかった人はどうやって計算しているのかが本当に謎です。

友人の1人は、頭の中で筆算をしているとのことで、もう1人は、なんとなく計算しているんだそう。

小学校3年生の時、算数の授業でそろばんがありました。
そろばん塾に通っている人たちにはかなりのイージーモードで、
ただ普通にやっているだけで周囲から賞賛の嵐だったのでした。

思えば、それが学習面で脚光を浴びた唯一の記憶かもしれません。

そして最近のそろばん計算の問題点といえば、消費税率が8%になってしまったので、
計算するのがちょっと面倒臭くなってしまったということです。






























いつかその日まで (2)

2014-11-17 23:55:01 | twitterの続き
前回からの続き

大学卒業後に入社した会社では、事務の部門に配属となりました。
ビジネスマナー研修やら実務研修やらやっていくうちに、会社での仕事も意外におもしろいのではないか!?と気づき、会社員生活を頑張ろう!と、遅ればせながら意気揚揚になりつつありました。

そしていよいよ、執務スペースで実際の業務が始まると…。
そこはまさに、女の世界。
お局さんて本当にいるんだ…なんて驚きは序の口。

女どうしの足の引っ張り合い、後輩イビリ、派遣社員イビリが淡々と行われていたのでした。
誰かが席を外せば、アイコンタクトが行われ、その人の悪口。
目を赤くしてトイレから戻ってくる人も、何回か目撃しました。

お昼になれば、誰かの噂話か前の日のドラマの話題。
まさに(悪い意味で)女の園。今でいうスイーツもちらほら。

そんな魑魅魍魎の世界だからか、男性社員や上司は、見て見ぬふり。
新人にも、歪な様子が手に取るように分かりました。

そしてしばらくして、私もイビられの世界へ引きずりこまれたのでした。

当時30代なかばだったお局さんから、「私はお嫁に行けないんじゃなくて、行かないだけなの!」と業務中に突然怒られたり、同年代の先輩からは「なんで私が遠距離(恋愛)なんかしなくちゃいけないのよ!」と詰め寄られたり。
こっちは黙々とパソコンに向かっていたのに、驚くしかありませんでした。

業務の質問をすれば、「私の説明がそんなに下手なわけ?」とキレられ、ミスをすればみんなに聞こえるくらいの声で延々とお説教。
決まり文句は「私は意地悪で言っているんじゃないの!」「そんなに私に恥をかかせたいの!?」。

何かあるたび、あからさまにため息をつかれ、空気で追いつめられるあの感じは、今でも戦慄が走ります。

右も左も分からなかった私は、ただ黙っていることしかできませんでした。
誰かに本音を話したとしても、きっとみんなに広まるし、ここには味方はいない。
私はこんな思いをするために、大学を出てここに来たわけじゃないのに!と毎日思っていました。

でも、何かをする強さも気力もありませんでした。
怒られないよう、ミスしないようにするだけで精いっぱい。

それとともに、毎日のように怒られ、怒鳴られていると、「私ってできない人間なんだ」「ダメな人間なんだ」と自覚せざるを得なくなってくるし、周りの視線もそんな風になってきたのでした。

そんなある日、梅雨に入った頃くらいから、朝起きられなくなりました。
夜、寝る前になると不安で泣きそうになるし、日曜の夜なんかは恐ろしくて眠れませんでした。

起床しても、体は重いし頭はぼーっとするしで、思うように体が動かず遅刻をしてしまうことも。
結果、先輩たちからの風当たりはより強くなり、悪循環となってしまったのでした。

さすがに、隣のチームの男性社員が見かねて、先輩たちはやりすぎだと課長に忠告してくれたものの、女性社員が恐ろしくて言えないと言い放った課長のことを、今でも忘れません。

それから何か月か後、「3か月後、半年後、1年後、3年後…と考えた時、この会社で働いているイメージが全くありません」ということと、先輩たちの所業を伝え、その会社は辞めました。

辞める日、隣の席にいたパートさんから、「まともな人は、半年もてばいい会社なのよ」と言われたのが妙に納得できたような。

とは言え、もう終わったこと。
「パワハラ」という言葉が、まだそこまでメジャーじゃなかった頃の話です。

今の私なら、もっとうまく立ち回れるだろうし、間違っていることやおかしいことははっきり言えるようになったので、たぶん同じミスはしません。
若かりし故の仕方ないことなのでした。

辞める時、決意したことがあります。
いつか、そこそこ影響力のある経営者になろう。
そして、この会社から取引を申し込まれたら、これまでのことを理由にケチョンケョンに言って断ってやろう!

あれから何年も経っているけど、特に何をしたいということもなく、知識も興味も資金もコネも何もなく、そんな会社のそんなエピソードさえ思い出になりつつあるのでした。

「転んでもただでは起きるもんか!」というハングリーさを取り戻したい、今日この頃です。

























いつかその日まで (1)

2014-11-13 00:38:54 | twitterの続き


学生時代の私は、就活に意欲も目標も何も見出せず、働かないと今後の家賃が払えないし、
学費など出してもらった親に申し訳ないという2つの理由だけで、「やらなくてはいけないから仕方なく」就活をやっていました。

なんでみんなで同じような服を着て、地毛より黒い髪色に染めて、「わたくしは!」「御社は!」「頑張ります!」だのやらなきゃいけないんだ…とひねくれ、心の中で悪態をつきまくっていました。

ただし、そこまで嫌だったくせに、特別に何かやりたいことがあったわけではありません。

自他ともにサラリーマンには向いていないと認めていたので、それ以外の何かになりたかったけど、見つけることができなかったのでした。

なので、人生経験のひとつとして、一度会社員になってみよう。
そして、首から下げたカードみたいやつを使って、ピッ!ってやってみたい。
名刺というのも、一度持ってみたい。パソコンでの仕事なら、なんとかできそうだ。

そんなしょぼい動機で自分を奮い立たせたつもりになり、自宅から通勤でき、無理なく働けそうな会社の採用試験を受けました。

学生の誰もが意欲的でリーダーシップがあって前向きなんて気持ち悪い。
私みたいに、リーダーでもなく、やたらガツガツしてなく、やや後ろ向きな人が会社に1人くらいいたっていいじゃない!
後ろ向きって、裏を返せば思慮深いし、慎重なんだよ!?何て勝手な解釈をしてみたり。

みんな「私が!私が!」じゃ、会社が成り立たないよ…という思いを抱きながら、就活をおこないました。

何社か受けて採用されたのは、品川区某所にある会社。

先述の通り、やる気があるんだかないんだかのツケが回ってきたのか、入社後は千本ノックのようでした。


長くなったので、次回へ続く→










祭りのあと

2014-11-11 00:09:38 | twitterの続き


先日、学生時代の仲間の結婚式があり、うきうきで参加してきました。

きらびやかな服を着て、化粧も髪型もいつもより華やかに、つけまつげもつけて、
懐かしいメンバーとともに楽しすぎる時間を過ごしたのでした。

久しぶりだけど、会った瞬間に昔に戻れて、
懐かしいけど懐かしくないような、不思議な感覚を味わいました。
早く帰る予定だったのに、帰るのがもったいなくて結局四次会まで行ってしまいましたが…。

たくさん笑って密度の濃い時間を過ごし、名残惜しいままそれぞれ帰宅の途へ。
自宅の最寄駅に着いたくらいから、現実に引き戻されました。

普段あまり履かないヒールの靴を脱いで髪をほどき、アクセサリーもはずし、化粧を落としたら、
さっきまでの時間は夢だったんじゃないかと思ったほど。
華やかさと地味さのギャップに愕然としました。
ああ、これが私だよね…なんて妙に納得したのがまた切なくて。

そして、みんなはみんなのままだけど、やっぱり昔のようにずっと朝まで一緒にはいられないし、
それぞれの家族があってそれぞれの生活があるんだよね。
だから、やっぱり昔のままではいられないし、思い出にすがりついていたら進めない。

そんな寂しさが、まさに祭りのあとであり、大人になったのだということなのかもと、
撮った写真をパソコンで見ながら、ぼんやり思ったのでした。

この会には、昔つきあっていた人も来ていましたが、一言も話せませんでした。
もう何年も経っているのに、何を話せばいいのか分からず、
気まずくてなんとなく避けてしまったのでした。

せっかく久々に会えたのだから、一言くらい話せばよかったなんて思いもありつつ、
終わったことだから気にしても仕方ないよなと割り切ってみたり。
本当に縁があれば、また何かの機会があるかもしれないし。

それこそ、もう大人だし、それぞれの生活があるのだから。
そんな切なさもあった、懐かしい人たちの集まりでした。

翌朝、友達から、「みんなそれぞれ色々あるけど、お互い頑張っていこう」とメッセージが。
離れているけど、心のどこかでいつも支えになってくれているということを、改めて実感しました。
そして私も、何かしらの形で支えになれれば…と思ったのでした。