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多賀氏と大中臣の西氏?(1)

2016-06-10 | 中原氏バラバラ情報
何となく、頭の中で点だったものがつながってきているような感覚。

この、多賀氏の祖が、本当に【西中三郎重直】であったと仮定する。

そして、中原氏の中には、大中臣が妬みのために「中原」と改名したと系図に書かれている人もいた。ことを鑑みると…

多賀の祖が西氏、西氏は中原系図の中にある。中原氏は、一部は大中臣氏である。 とも云えるかもしれない。 



西氏は、web情報によると、

「西」という苗字の最古、かつ正統のものは
春日権現・天児屋根命(あめのこやねのみこと)の後裔とされる
中臣氏の一族に始まります。

“大化の改新”で有名な中臣鎌足は藤原氏の祖となり、その子孫は
代々藤原氏を名乗り、藤原氏の大繁栄に繋がりますが、
中臣氏の本系は「中臣」を継承し、殊に鎌足の甥である中臣意美麻呂は
一度藤原を名乗ったのちに、文武天皇より【「藤原」は鎌足の嫡男・不比等とその子孫のみが継ぐように】との命を享けて再び「中臣」に復姓したのですが、

意美麻呂の息子・清麻呂が神護景雲3年(769年)、「大中臣朝臣」を
賜姓されて後、子孫は「大中臣氏」を名乗るようになりました。

「大中臣氏」はそののち、朝廷の主要な神社の神官を命ぜられ、

春日神社(大社)、伊勢神宮、枚岡神社、平野神社ほか、多くの神社の
神職をそれぞれ分家分家が務めるようになりました。

このうち、春日神社の神主を務めた大中臣恒滝から十二代目の大中臣時継
が、まず「中東(なかひがし)」を名乗っています。近畿の春日神社の
創建年を見ると、年代的にみて相楽郡精華町宮川原の春日神社か大阪府
豊中市の春日神社と思われますが、時継はこの神主に任ぜられ、「中東」
に改姓したのでしょう。

この際の「中東」の所以はおそらく、それ以前に仕えていた賀茂県主を
祖とする「大東」氏の「大」を「中」に変えたものと推測されます。
春日神社の神職は、北郷・南郷・若宮の三派があり、この大東姓は北郷に
属していました。
更に中東時継の孫に時尚という人物が居ました。


平安初期、淳和天皇の退位により、淳和院離宮に隠棲の為に転居し、
天長10年(833年)に離宮の守護社としてこの地に春日神社の西院を建立

この西院の神職を命ぜられたのが大中臣時尚で、彼はこれを機に「西」の姓を
名乗ったものが、一般的に「西」姓の祖とされています。


また、関東でも
高皇産霊尊(タカミムスビノミコト)の子孫・日奉宗頼(ひまつりの
むねより)が関東に武蔵守として下向し、
多摩地区を拠点に勢力を拡大し、武蔵七党の一つである「西党」の基礎を
築きました。
この「西党」は武蔵国の西部にあったことから名付けられ、宗頼の四男が
「西」の姓を名乗ったようで、その後、日野を中心とした多摩地方に
西氏が土着しています。



他にも「西」姓は日本各地で発祥しており、
列挙しますと――

○平安時代中期の武将で清和源氏六孫王・経基の子である源満仲(みつなか)の
五弟・満快(みつよし)を祖とし、信濃国で繁衍した“清和源氏満快流”にも
「西」姓が発祥しています。
満快の子・行頼の二人の息子のうち、
景行が「東」、行広が「西」を姓としています。

○663年の白村江の戦いにおいて、伊予水軍を率いた越智守興(おちもりおき)
の子・玉澄が伊予国風早郡河野郷(現・愛媛県松山市)に居住し、河野姓を
名乗っていますが、「新田橘四郎小千玉澄」という別称も持っています。
この家系は後に土佐国で福良氏と姓を変えました。
更に福良一族の一部が土佐国仁井田之郷(現在の高知県高岡郡四万十町)に
移住し、祖先の別称「新田(にいた)」から「仁井田」の地名を残しています。
仁井田郷は中世、68の村が属した広大な郷でした。
河野氏の子孫が仁井田の庄司職を代々勤めたことから仁井田庄司と呼ばれ、
東と西に分かれてそれぞれ東氏、西氏と名乗っています。

○高句麗滅亡後に亡命してきた帰化人のうち、元王族の
高麗(こま)→狛(こま)氏は平安時代、南都(奈良)方楽家として、
雅楽の演奏家系となり、平安中期に源政長に従い、吉備津神社に詣でて
秘曲「陵王」を舞った狛則高の次男・則季の孫・季時が「西」姓を
名乗っています。

○古代より脈々と肥後国の一の宮の大宮司職を務めてきた名家・阿蘇氏の家臣に
西氏かありました。

○藤原氏秀郷流大友氏の南北朝時代の守護大名・大友氏時の三男、親国が
「西」姓を名乗っています。

○安寧天皇の第三皇子、磯城津彦命(しきつひこのみこと)が源流とされる
公家・中原氏の後裔にも「西」姓が居ます。


などの諸氏があります。

・・・と、密度が濃いのにわかりやすい説明で、助かります。

長くなるので、次回に続く…


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