まろの公園ライフ

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ヒロシマの夏

2012年08月07日 | 日記

ギラつくような太陽の下
今年もまた8月6日がめぐって来ました。

正直、いつも心重たく、憂鬱になる一日です。
「歴史を風化させてはいけない!」と建て前では思いつつも
自分の中で確実に風化が進行していることへの後ろめたさでしょうか・・・
それでも様々なことを思いめぐらせた一日でした。

原爆投下から67回目の夏。
もう「戦後」という言葉ですら風化している現実の中で
今年も大勢の人たちが参列して開催された広島の「平和記念式典」。
昭和20年代生まれの私は戦争も原爆も知りませんが
この日はやはり粛然とした思いになります。
同時に、どうして戦争は依然として地球上の現実なのか
人間はなぜここまで愚かな生き物なのかと
持って生き場のない「怒り」と「無常感」にとらわれます。

生存されている被爆者の平均年齢が78歳をこえたと聞きました。
一瞬にして15万人もの命を奪った原爆の記憶は
これから確実に風化の度合いをを加速して行きます。
それはどうしようもない現実ですが、しかし、一方では新たな動きも出てきました。

言うまでもなく「反原発」の動きとの連動です。
戦後の「原水爆反対運動」が結局、政党の党利派略によって力を失ったのに対して
この自然発生的な市民運動には新しい可能性があるような気がします。
もちろん「原発」と「核兵器」を同次元で論じることには問題があるかも知れません。
しかし、人間の力ではどうにも「制御不可能な魔物」という点では全く同根だと言えます。
「核の平和利用」などという美辞麗句で次々と生まれた原発が
限りなく人間の生命を脅かす存在であることは
今回、私たちは「フクシマ」でイヤというほど知らされました。



式典で挨拶に立った野田総理。
この人は原発事故以降、厳しく問われている日本のエネルギー政策を
言いかえれば「人類の生存」の根本的な課題を
本当にどう考えているのか、その真意がよくわかりません。
消費増税をめぐる「政局」に放浪されて大局を見失っているのでしょうか。

考えてみれば・・・
日本が本当の意味で「ヒロシマ」を世界に発信したことはありません。
「核廃絶」の潮流に対してもリーダーシップを発揮したことは一度もありません。
世界で唯一の「被爆国」という平和外交の切り札を持ちながら
常にアメリカの顔色ばかりを窺って「無為無策」の67年を費やしてきました。
それは単に「外交下手」というような問題ではなく
国としての「理念」「矜持」がないということではないでしょうか。
かつての同盟国であったドイツは「アウシュビッツ」の忌まわしい教訓を直視し
国民共通の「負の遺産」として語り継いでいます。
そして、ついには「原発ゼロ」を目指す国民投票まで・・・

あまりマスコミでは話題にならなかったものの
今回の平和式典には原爆投下を命じたトルーマン大統領の孫である
ダニエルさんも参列をして献花をしました。
もちろんそれはトルーマン大統領の意志とは何も関係はなく
彼自身の意志だったのでしょうが、私はある意味「画期的」な出来事に思えました。
被爆者の間には米国に原爆投下の謝罪を求める声はまだ根強いようですが
もはや戦争の加害者とか被害者とかの恩讐をこえ
ヒロシマの惨禍を世界の共通認識として語り継ぐへぎ時ではないでしょうか。
反原発の市民運動とともに、こうした草の根の民間外交が
「核廃絶」への重い扉を開くきっかけになるような気がするのですが
どうでしょうか・・・・



今日から仕事で大阪へ。
奇しくもと言うべきか・・・「原爆」をめぐるドキュメンタリー番組の構成打ち合せです。
正直、ちょっと気が重い仕事でもあるのですが
戦争を知らない世代の私がどこまで戦争の真実に迫れるか・・・頑張ります!


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2 コメント

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私も知らない世代ですが (海月)
2012-08-07 15:21:28
私も戦争を知らない世代ですが、子供の頃に、祖父から戦地の体験談をよく聞きました。
祖父は超がつく程の「非国民」だったようで、戦地では、どうしたら生き残れるかだけを考えていたようです。

中国で終戦を迎えた祖父は、現地の中国人農夫に助けてもらい、中国で農業をやっていたそうです。
やがて、見合いの話を持ちかけられるようになり、さすがに「こりゃヤバイ」と思い、日本に帰国したそうです。

私が子供の頃も、目の前で、蛇を捕まえては皮をはぎ、お金がたまるから、この蛇皮を財布に入れておけ!とよく言っていました。
戦地では、剥いだ蛇を蒲焼にして食っていたようです。
あのたくましさは、現代人にはありませんね…

戦争体験は子や孫の代には語り継がれたものの、ひ孫の代にまで語り継ぐのはなかなか至難ですね。

私も、自分の子供に祖父の話をしても、今の子供たちには、なかなかピンとはこないようです。



昔、仕事で、東京大空襲の体験者の声を収録していた時に、聞いていたカメランや音声さんが涙を流していたことがありました。
悲惨な体験を生の声で語り継ぐことはとても大切ですが、時間はそれを許しません。
ですから、音声だけでも収録して、どんどん保管していくことが重要ですね。
特にマスコミはそういうことを積極的にするべきですよ。

オチのない話を長々と失礼しました。
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凄い (まろ)
2012-08-07 18:29:18
凄いおじいちゃんですなあ海月様にもそういう血が流れているのでしょうか。いつにない真摯なコメント、いつにない長文、ありがとうございます。旅先なので短めで失礼します
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